H・P・ラヴクラフトといえば、創元推理文庫の扉絵がまず頭に浮かぶ。
黒地に銅版画のような絵のついた、見るからに『怪奇です』といった趣きのあれだ。
十二歳の頃、わたしのお気に入りの怪奇といえば、コナン・ドイルが書いた恐怖小説だった。「大空の恐怖」がとくに好きだった。
そのうち他のものも読んでみたくなった。
創元推理文庫には広告欄が附いていて、いろんな作家と作品が短冊形に区切られて紹介されている。
その中に、ラヴクラフトがいた。
残念ながら年齢的なものもあって、理解できたとは云い難い。
ストーリーテラーのドイルと比べると、難解で、奇人の脳内妄想をそのまま紙面に書き綴っている感が強く想えた。
ただ、その表紙からして不気味で、異様な感じ、黒魔術的なもの、万人の理解を拒みとおす隔絶した陰気さは、心のどこかに深くしみ込んだように想う。
館に引きこもって弱々しい太陽からも眼を逸らすような、そんな狂人的な闇の誘いは、活字の向こうからも黒い塵となってわたしの心に降り積もった。
ラヴクラフトが憑りつかれた脳内の幻想に、さらに憑りつかれる者は世界各地にいるとみえて、今でも熱狂的なファンが焚火の回りで踊っている。
直系の子孫ともいえるような、ラヴクラフトの精神性を引き継ぐ作家も少なくない。
武江成緒さんはそのうちの一人だ。
大方の者が書くラヴクラフトもどきはパニックものに近いが、武江成緒さんのラヴクラフトへのオマージュは、セイラムの魔女を復活させ、時に埋もれた十七世紀に怒りの雹を降らせ、不気味な山羊の声を現代の若者の耳に響かせる。
泥の道を馬車が走り、縛り首の丘には木枯らしが吹く。
そして黒い聖母は無限の無慈悲を、慈悲として口端に浮かべながら、赤子の片腕を振り回しているのだ。
怪奇ホラーを見事なまでに現代に蘇らせたこの作品、ラトゥールの絵画が浮かんできてしょうがなかった。
頭蓋骨に手を添えているマグダラのマリアの絵だ。
たとえ原作を知らなくともゴシック・ホラーがお好きな方に、強くお勧めしたい。
本作はH・P・ラブクラフトの短編作品、『名状しがたいもの』のフルリメイクである。
作者は今作品の紹介欄に「ほぼ二次創作」と書いているが、この作品はその様な枠に収まる物などではない。
もし貴方が原作である『名状しがたいもの』を所持されているのならば、読み比べて見ることを強くお勧めする。
先ずは景気づけに原作の『名状しがたいもの』で一杯……。
本作の舞台は十七世紀のアメリカ。魔女狩りの余波が色濃く残る田舎が舞台だ。
当時の村社会がリアルに描かれており、暗く陰鬱な雰囲気づくりに一役買っている。
近世と現代とで交互に展開される構成も見事で、ジワジワと心に染み入っていくかの如く繊細で叙情的な描写に、読者諸兄は驚かされるだろう。
ブラック・マリア信仰が巧みに取り入れられた物語は、異形と狂信の恐怖で読者諸兄を襲ってくれる。
そして迎える哀愁漂うラスト……。
果たして、飲み(読み)終えたあとに残る味は最初の一杯と同じだろうか、それとも…………。