夏とロケット
海洋ヒツジ
第1話
窓を開くと透明な空気が流れてきて、スゥッと反対側まで抜けていく。ひんやりとした心地の良い空気に、寝苦しかった夜が洗い流されていくような一日の幕開け。
今日もいい日だ。
ボクは夏の日差しを部屋いっぱいに取り入れながら、毎朝の習慣で食パンをトースターに入れ、水を沸騰させてじっくりとコーヒーを作る。濃く抽出したものに氷を放り込むとカランコロンという気持ちの良い音がマグカップに響き、そうしたらちょうどよくパンが焼き上がるのだ。
朝食をテーブルに置くと、次にボクはテレビのリモコンを手にする。ぼんやりと赤い電源ボタンを押すと、薄いデジタルテレビは少しの間を置いて映像を映し出す。この数秒くらいが何となく歯がゆい。
天気予報か一日の運勢占いか、そうでなければ戦争のことか。ニュースでは大方そんなことをやっていて、ボクはそんな情報にぼうっと頷きながら朝食を摂る。
パンをかじる。半分は眠っているような寝ぼけ顔で。
ニュース番組にチャンネルを合わせていたはずのテレビの奥には、女の人の顔があった。
『えっ……』
画面に映った長いぼさぼさ髪と銀縁眼鏡の彼女は、朝のテレビではまず聞かないような、素まるだしの声を出した。
真っ先に思い浮かんだのはインターネットに転がっている動画のようだということ。ネットの向こうの視聴者に向けて面白可笑しい話をする動画配信者は、日本中のどこにでもいる。
それにしては一向に話をしようとしないし、彼女自身も何やら驚いている様子。そもそもボクが向かい合っているのはパソコンじゃなくてテレビだ。テレビの向こう側の彼女だ。
パンをかじったままの顔で、ボクは彼女と目を合わせた。
『これ……え? 本当につながっているの?』
女の人は焦ったように画面外でガチャガチャと物音を立てている。
ボクは何一つ事情が呑み込めないけれど、テレビに映っているものが朝のニュースでないことは分かった。
きっとニュースより面白いチャンネルに繋がったのだろう。
「ハロー! 今日もいい日だね」
食パンをアイスコーヒーで飲み下し、薄型テレビに向けて言った。
女の人は手の動きを止めて、戸惑いを見せた後、
『ハ、ハロー……』
ボクに返事した。
どうやら彼女の方でもボクが見えているらしい。
ロケットが打ちあがったようだった。
堤防で見下ろす浜辺からは、朝から寄り集まって戯れる子どもたちの声がよく聞こえる。水しぶきを上げて飛び上がったロケットは、彼らが工作したペットボトル製のものだった。宇宙には届かない。
いまどきなんて珍しい光景なんだろう。混ざって遊びたかったけれど、成人男性のボクが声をかけに行けば、きっと怖がってしまうだろう。
よく眺めてから、道路に振り返る。音もなく滑走する無人タクシーを止めて乗り込んだ。
「どこまで?」
無人と言いつつ話しかけてきたのは運転手席に座る男の人の姿。しかし人間によく似た形の機械――アンドロイドだ。
タクシーの運転をするために作られ、そのために思考するAIを搭載したロボット。
「どこか面白そうなところはないかな?」
「面白そうなところ、と言いますと……?」
ボクの質問に、運転手は悩まし気に顎をつまんで考え込んだ。こういう曖昧な質問の際、高級なAIなら一瞬でボクの思考なんかを見抜いて的確な答えをはじき出してしまうけれど、彼はそうもいかないらしい。
「どこかでイベントでもやっていないかな。ほら、お祭りとか、流しソーメンとか」
「流しソーメンはイベントと言いますか、親戚とか仲間内でやるものではないですかい?」
「あれ、そうだったの? ボクはてっきり、どこかのお金持ちがタダでソーメンを振舞ってくれるイベントかと思ったよ」
「昔はそういうこともあったかもしれませんが、今じゃあ酔狂ってもんです。祭りだって、人も集まらんし金も無駄だって、滅多にやらんのですが……おっと、お客さんは運がいい。今日ちょうど祭りを開くようですよ」
二度目の落胆をするかと思っていたところで、期待していた祭りの情報だった。
「じゃあそこに」
「あー、でもこれ、今日の夜ですわ。今から行っても何にもないですわ」
「うぅむ。ザンネン。じゃあそれまで暇を潰せそうなところは?」
「おひとりでとなると……」
「いいや、二人で」
ボクは小型タブレットの画面を運転手のアンドロイドに見せた。そこにはボクのテレビ画面に映っていた女の人――サダコが同じように映っていた。
「彼女なんだ」
サダコは目を伏せるばかりで、ボクの紹介を受けても運転手に挨拶しようとしない。部屋着姿が恥ずかしいのかもしれない。ショートパンツと伸びきったティーシャツは、それはそれでキュートだと思うけれど。
運転手は画面の中の彼女をたっぷりと覗き込んで、それからボクの顔と交互に見て、不可思議なものを見た顔をした。
「あぁ、さいで……」
携帯端末を彼女と言い張る文化は、タクシー運転用に作られたアンドロイドには理解のできないものだったのかもしれない。
ボクだって通常時であれば理解はできない。
「彼女と楽しめるところ、どこかないかな?」
改めて問いかけると、どう返答したものかという困りようが伝わってくる。
「この辺りのデートスポットとなると、海はすぐそこにありますし……」
「一緒には遊べないなぁ」
「絶品の異星料理の店は……」
「タブレットには食べられないよ」
「なら……それなら、展望台はどうです? 宇宙に届くスペースツリー! いい観光スポットですよ」
「いいね。君はどう?」
画面の中のサダコは目を上げておずおずと口を開いた。
『いいと思います』
「決まりだ! そこに行ってくれる?」
運転手が威勢よく返事をすると、タクシーはほんの少し地面から浮き上がって滑走を始めた。
ボクの心も浮足立って、落ち着かず跳ねまわっている。
今までにデートというものは経験がなかった。
テレビ画面にサダコが現れたのが今朝のこと。
彼女はハッキングということをしてボクの周辺機器からボクのことを覗き込めるようになったらしい。
でもなぜかボクの方からも彼女を覗き込めるようになってしまった。全くの予想外だったという。
彼女がどうしてハッキングなんてことをしたかと言うと、
『わ、わわ、私が、あなたのこと、気になっていたから、です』
朝っぱらからとんでもないことが起こるものだ。まるで面識のない人が画面越しに押しかけてきて、その人から告白のようなものを受けるなんて。
面白そうじゃないか。
『よかったら、で、デートしませんか?』
「いいよ」
ワクワクするようなことには目がないから、ボクは二つ返事でオーケーと言った。
普通ならボクがするはずの顔を彼女がしていたのは、やっぱり面白かった。
ポカンと、口が開いていたのだ。
タクシー内に流れるラジオに耳を傾けながら、交通量の多い道路を眺める。
テレビ画面からタブレット画面に移動したサダコにも景色を見せようかと思ったけれど、余計なことをせずとも彼女にはボクと同じ景色が見えているらしい。
『たった今入りました、月面観測所からの情報によりますと、日本時間で今日の午前五時頃、火星の第八九区に設立された地球連合軍の拠点が火星生物に占領された模様です。死傷者は推定で一〇〇〇人を超えるとのこと。被害アンドロイドの総数は不明です。繰り返しお伝えします……』
垂れ流されたラジオからはそんなことが聞こえた。
「ひどいなぁ、そりゃ」
運転に集中していた運転手は唐突に口を開いた。
「また撤退ですかい。ここ数か月は全く進展がないように見えますねぇ」
「そうだね。いっそのこと、火星の資源は諦めた方がいいとボクは思うな」
火星への侵略戦争。
石油や石炭を始めとするエネルギーは世界的に枯渇し、間もなく恐慌が起ころうとしていた。
そんな時、火星へと向かった宇宙飛行士が持ち帰ってきたのは、地球には存在しない未知のエネルギー資源だった。
少量で莫大なエネルギーを生み出す魔法の資源に目を付けた地球市民は、全力を注いで火星へのラインを繋ぎ、エネルギー資源を地球へ送る手筈を整えた。
その結果として先住民の怒りを買い、程なくして戦争が始まった。
「おや、お客さんは戦争反対派ですか?」
「ボクは平和に暮らしたいと思うよ。自分の手が届く範囲のところでね。それより外側にあるものには、手を伸ばすべきじゃない」
「私もそう思います。元よりタクシー運転用のアンドロイドなんで、外側なんて知りませんがね」
生活援助のために作られたアンドロイドは、基本的に一つの目的にのみ向かうように思考をプログラムされる。思考の過程は様々で個体によって個性が豊かと言えるけれど、最終的にはその目的を遂行すべきと根底から義務付けられている。
決められた一つ以外の生き方を知らないのが、アンドロイドなのだ。
アンドロイドは戦争においても多いに実用されている。
「サダコはどう思う?」
『どうって?』
「ありゃ、聞こえてなかったかな? 戦争に賛成か反対かって話をしていたんだよ、運転手のおじさんと」
サダコは眼鏡の似合うキリッとした印象の女性だけど、見た目とは違って隙がある人のように思う。初対面の時とか、人並み以上に焦っているように思えたし。
考えているか、ぼーっとしているか、その中間くらいの顔で固まった後、彼女は言った。
『どっちでもいいと思います。ただ……』
「ただ?」
『戦争のために作られるアンドロイドが、可哀そうとは思います』
言いづらそうにつぶやいた声は小さくて、なんだか申し訳と言っているような。
彼女は一体何者なのか。
実のところ、ボクには大よその見当がついているのだ。
「あぁそうだ、運転手さん。今日の天気は分かるかな? 天気予報を見逃しちゃったんだ」
「それなら、今日は一日中晴れですよ。おかげで客足も多そうで、運転のしがいがありますわ」
運転用のアンドロイドは気楽に口笛なんかを吹いている。
タクシーを降りたボクたちは、目の前の巨大な塔を首どころか腰をも曲げながら見上げていた。傍目には一人で腰を曲げているように見えるだろうけど、寂しいとは思わない。この眺めにはサダコも圧倒されているだろうから。
同じ思いを二人きりで共有しているのだから。
「ワオ、なんて高さだ! さすがは宇宙まで届くスペースツリー!」
『残念ながら、宇宙には届いてないですけどね。せいぜいが富士山より少し高い程度ですよ』
「あれ、おじさんの言っていたことは間違い?」
『間違いというか、誇張されていたようですね。名前もスペースツリーですし。ちなみに宇宙まで届かせるのなら、これの百倍は高くないと』
「これを百個作るのは大変そうだ」
『ふふ、そうですね。倒れたりしたらどうするんですかね、これ?』
「倒れないでほしいね」
ボクたちはスペースツリーに入り、エレベーターで一気に最上階へと昇った。
狭いカプセルが開いて視界が広がる。窓から見えるのは雲の上の景色。
『さすが、富士山より高いだけはありますね』
「地上の様子なんて、全く見えないや」
見下ろしても見えるものはなく、ただ宇宙を見上げるための巨大な塔が、日本にそびえ立つ宇宙に最も近い樹。
『夕方のここの景色は綺麗なんですよ』
「来たことがあるのかい?」
『いえ、知識として知っているだけで、行ったことは……』
「君も一緒に来られたらよかったのにね」
『景色なら見られていますから。外はなんだか慣れなくて……苦手なんです』
「そっか。普通のデートというものを体験してみたかったけど、仕方ないね」
『……すみません』
謝られると、こっちの方が悪いことをしている気になる。楽しいデートなのだから、どうせなら楽しいことだけをしたい。
とはいえ、画面越しのデートでは、恋人同士の楽しみの大半が実現できない。不意に手を繋いでみたり、綺麗な光景の前で肩を寄せ合ったり、ロマンチックなムードに包まれてチューをしたりが、薄い画面に遮られてしまって、プラトニックなデートしか演出できないのだけど、この際それは仕方のないことなのかもしれない。
「それにしても、今日の空は一段と青いなぁ」
気持ちの良い晴れの日に、恋人と一緒の時間を過ごす。世間一般ではこういうことを幸せと呼ぶのだろう。
今日はやっぱりいい日だ。
建物内には食事を摂るスペースもあって、昼のいい時間にはオムライスを食べた。濃厚なデミグラスソースの掛かった高級そうなオムライスだった。
サダコの手前、食事はよそうかとも思ったけれど、彼女が気にしないようにと言うので一人でいただいた。
その間の彼女は、小さなブロック状の栄養食に噛り付いていたので、それを傍目に見ながらオムライスを頬張るボクは心苦しく思ったのだった。
スペースツリーにまつわる展示や土産物屋を堪能して外に出る。いい具合に時間も潰れて昼下がり。
噴水のある広場のベンチに腰掛け、びしょ濡れになりながら遊ぶ子供たちを眺めていた。
「いいよね、水遊び。ボクもしてみたいよ」
タブレットに向かって話しかける。画面上のサダコの視線はこちらに向かっているけど、彼女にも子供たちの様子は見えているはずだ。
『そうですか。結構子供っぽいんですね』
「よく言われる。ボクは立派な成人男性なのにね。おかしいかな?」
『いえ、むしろ納得です。それだからこそ……』
「だからこそ?」
『……なんでもありません』
今みたいに、たまにサダコの顔つきが一段と暗く見えることがある。彼女のいる部屋が暗いせいもあるけれど、それ以上に何かを思いつめた顔が、彼女の中の感情を押し殺しているように見えたのだ。
「そういえば、君はどこにいるの?」
『私のいる場所ですか? 自宅から失礼してますけど』
「あーやっぱり君の家なんだ。そっかぁ」
『……なんですか』
「もっと女の子らしくした方がいいよ。君の後ろに見える景色、飾りっけがなくて女の子っぽくないんだもの。きっとそういうことが苦手な人なんでしょ」
ボクに指摘されたサダコは頬を真っ赤に染めて、慌てたふうに画面を手で押さえつけた。画面は暗転して何も移さなくなる。
「あ、コラ。隠れるのはずるいよ」
『やめてください。女の子っぽくないとか、そんなこと言わないで』
「飾り立てればもっと魅力的になるって言っただけだよ」
『いいんですいいんです。私はどうせ暗い人間ですし、名前だってこんな……妖怪みたいな』
サダコと言えば日本では有名な名前だ。ちょうどこんな暑い夏の時期には話題になる、白いワンピースの似合う彼女。
名前だけを聞いたら、一目見ないうちにでも暗い印象を抱かれるかもしれない。
「君が画面から出てきてくれたら、ボクは嬉しいんだけどな」
暗い画面が少しだけ開けて、彼女の顔が見えた。
『夏の日差しは嫌いです。元々インドア人間ですし』
「ザンネン。君の顔が見れるだけでも良しとするよ」
こんな軽い言葉のつつき合いをしていると、どこからかガスコンロのように呻る音が聞こえた。
水辺で遊んでいた子供たちは手を止めて、一様にある方向を見ている。一人が指さしたその先。
遠目に小さく映った細長い物体が空へ昇っていくのが見えた。
「ロケットだ」
ペットボトルではない。国が打ち上げ、そして間違いなく宇宙に――火星に届くだろうロケットだった。
『見えてます』
「あれには何が詰め込まれているの?」
『戦争に必要なものです』
「必要なものって?」
『食料と、武器と、それから……アンドロイド』
サダコはアンドロイドが戦争へ行くことを可哀そうだと言った。だから今、彼女は申し訳なさそうに顔を伏せているのだろうか。
きっとそれは理由の半分くらいだ。
「そっか」
子供たちは雲を貫くロケットに手を振っている。あれにアンドロイドが乗っていることを、彼らは知っているだろうか。
あるいは知っていても、彼らにとっては所詮ロボットでしかないというのか。人と同じ形をした、ただの。人の思考を植え付けられた、ただの。
戦うしか能のない、そんな。
鳥が空を飛ぶように、魚が海を泳ぐように、アンドロイドは当たり前みたいに目的を果たす。そのことに疑問を持ち、一つの生き方しか知らないことを悲しいと思うのは、欠陥品だけだ。
為すべきことを為せない欠陥品。生まれた意味に疑問を持つ欠陥品。ボクは、どうしようもない――。
感情に荒波が立って、考えすぎた思考は容量を超えた。
悪性感情をハッケン。システムかいふくまで、いちじてきにシャットダウンシマス。
ソノトキ、メマイガシタ。
開いた視界には光が少なくて、自分がどこにいるのか、前後の記憶が曖昧になった。それも数瞬のことで、広場のベンチに横たわっていることに気づく。
日は落ちてしまって、昼間の人通りはもうない。
『大丈夫ですか?』
寝そべったまま視線をずらすと、地面に落ちたタブレットの画面にサダコが映っていた。
長いぼさぼさ髪と銀縁眼鏡が特徴的なボクのガールフレンドが、また申し訳なさそうな顔で。
ボクは跳ね起き、タブレットを拾い上げる。
「グッモーニンっ! 今起きたよ。あまりにいい陽気だったからちょっと寝ちゃったけど、もう大丈夫! さあ祭りに行こう!」
そのままずんずんと歩き出す。
『あの、どこか壊れちゃいました? やっぱり長い間メンテナンスしてないから、AIにバグが……』
「メンテナンス? AI? サダコはよく分からないことを言うなぁ」
『もうお互いに隠す必要なんてないです。あなたは戦闘用アンドロイドで、私はその開発者の一人。こんなくだらないこと終わらせて……』
「サダコ」
名前を力強く呼ぶと、彼女は言葉を止めた。
「今日は……今日だけは、そんなことを思い出させないでくれ。君はボクのガールフレンドで、今日は楽しいデートの日だ。人並みの幸せってやつを、どうか醒めさせないで」
そうしてボクたちは口を開かないまま、祭りが行われているという場所へと向かった。
研究所で大量生産され、戦争のために火星へと送られる戦闘用アンドロイド。
一か月前、そのうちの一体が逃げ出した。
研究所は逃げたアンドロイドを現在も捜索しているのだそうだ。
一本道の通りに屋台がずらりと並び、香ばしい匂いにつられて足が勝手に動く。ロボットが世の中に出回り始めて、簡単に火星に行けるほど技術が進歩したとしても、この光景は変わらなかった。
夏も終わりに差し掛かり、ともすればこの辺りでは最後の夏祭りなのかもしれなかった。
焼きそばを食べたし、りんご飴を食べたし、わたあめを食べたし、かき氷を食べた。
金魚すくいで大きな金魚を狙って失敗したし、射的で小さな箱のお菓子を何とか倒したし、サダコに似合いそうな雑貨を選んだりした。
恋人らしいことができたかどうか分からないけれど、外に出たがらないサダコが少しでも祭りの雰囲気を味わえたのならそれでいいと思った。
「やっぱり楽しいんだね。こういうことって」
『それは、良かったですね』
「うん、良かった」
やっぱり今日はいい日だ。
祭りを味わい尽くしたボクたちは会場を抜け出して、来た道を引き返す。
タクシーに乗ってきた道を味わうように、ゆっくりと。
きっとボクは火星へ行くだろうから。
『ちょっと外しますね』
そう言ったサダコはタブレット画面から姿を消し、それからは一人で歩いた。
途中で見知った顔に会ったので声をかける。
「お、今朝の兄ちゃん」
タクシー運転手のおじさんは、車を止めて客を待っているようだった。
「乗っていきますかい?」
「いえ……」
悪いけれど、客として来たわけではないので断る。
それならどうして声をかけたのかと言うと、不安だったのかもしれない。日常という、戦闘用アンドロイドにはふさわしくないモラトリアムを抜け出すことが。
「今日はいい日だった?」
出し抜けなボクの質問に彼は驚いたようだったけど、
「今日も務めを果たして、おっさんは満足ですよ」
目的の決まりきった、アンドロイドらしいことを言った。
それから運転手と別れ、ペットボトルロケットを見かけた海沿いの道を歩いていると人影が見えた。真っすぐとこちらを見て、待っているようだった。
この短い間で随分と見慣れた、ぼさぼさ髪と銀縁眼鏡。
「やあ、サダコ。やっと画面から出て来てくれて嬉しいよ」
「初めまして。G4型19356号機。これまで多くのアンドロイドを生み出したけれど、あなたのようなイレギュラーは初めてです」
街灯を浴びながら落ち着き払った表情でこちらを見据えるサダコに、これまでの陰気な印象はなく、ただ美しいと思った。
彼女の隣に寄り、暗く静かな海を眺める。恋人役らしく、彼女も同じようにした。
「意外だよね。何十万何百万ものアンドロイドの中で、ボクだけが自分の役目を放棄したなんて」
「ウチの研究所の警備システムがおろそかだったのもありますが、あなたは、その……AIモデルが夢見がちで、子供っぽいから」
「よく言われる」
大量生産された中の一つに過ぎなかったボクは、生まれたての体で研究所の壁を壊し、鉄条網を越えて逃げ出した。ボクがしたことの意味を他のどの個体も分からず、ただ眺めるだけだった。
やっぱりボクの中身は未熟な子供で、自分の生き方も知らないままに生きようとしていたのかもしれない。
どうとでも生きられると勘違いしていたのかもしれない。
そんなバグも、今ではすっかりなくなったけれど。
「普通の人間みたいな生活をしてみて分かったよ。楽しいことは楽しいけれど、やっぱり人と同じようには生きられないな」
だってボクは人とは違うように作られたんだから。
「それにしても、今朝は可笑しかったね」
テレビを付けた時のことを思い出す。ボクはパンをかじりながら、そして彼女も何の準備もしていないままに顔を合わせた時のことを。
あの時から、人間らしい日常の終わりは薄々と感じていた。
「君の戸惑いようと言ったらなかったよ。どうしてボクのことが気になっていた、なんて無茶なことを言ったんだい?」
「あれはただ単に焦っていただけで、他意は……あれは反則です。あなたの居場所を突き止めてあなたのカメラにハッキングしたと思ったら、まさか逆探知されていたなんて」
「そんな機能があったなんて自分でも驚きだけど……開発者ならボクの機能のことなんて、ボク以上に分かってたはずじゃない?」
「G4型にはそんな機能は付けていないはずです。どこで拾って来たんですか、そんなプログラム?」
自分でもよくは覚えていないけれど、一か月を過ごした中でそうした機会もあったのかもしれない。
研究所を抜け出してからは、できるだけ人間の真似をして、普通っぽいことばかりをしてきたから。
「分かんないな……じゃあ運命ってことで」
「ウンメイ?」
「神様のお導きでボクはハッキングのプログラムを貰って、君に出会った。ホラ、なんだかロマンチックで夢がある」
「また子供みたいな……私はそういうこと、信じないのです」
隣にいるサダコはボクが想像していたよりも背が低くて、よっぽど子供らしく見える。
さて、もうそろそろだ。
「サダコ。君はきっと、ボクを連れ戻しに来たんだろ?」
逃げ出した戦闘用アンドロイドを戦場に戻すため。または本来あるべき生き方から外れたアンドロイドを処分するため。
研究所を飛び出した時点で覚悟はしていて、だからこそ彼女の正体にも一目で気づけた。
サダコは息を溜めて、言った。
「いえ、その必要はないんです」
しかし彼女の答えは予想を裏切るもので、ボクは喉の奥から「へ?」と間抜けな声を出した。
「考えてもみてください。数百万ものアンドロイドの中であなた一人が逃げ出したとして、それで軍が困るようなことがあると思いますか? どこもかしこもアンドロイドだらけの社会で、あなた一人の代わりを作れないとでも?」
タクシーの運転手を始め、デパートの売り手、街の警備、様々な場面でアンドロイドを見かける。祭りの屋台もいくつかはアンドロイドが経営していた。
だったら、彼女は何故こうして姿を現した?
「私があなたに接触したのは、あなたの安全性を確かめるためです。あなたは虐殺を目的に作られたアンドロイドですから、野放しにしておくと危険と思われたのです。どうやら杞憂だったようですが」
対象設定に異常はなかったようですね。もっとも異常があったら他の個体もみんな反逆して、割と日本がヤバかったのですが。サダコはぶつぶつと物騒なことを言っている。
ボクは未だに自分の立場が分からずにいた。
「えっと、つまりどういうこと?」
「つまり、あなたはこれからの生き方を自分で決められるということです。このままの生活を続けたければ、そのように」
サダコが現れた時点で、ボクは今日が終わりの日だと思っていた。
それはどうやら違ったようで、ボクは人間らしい生活を続けられるのだそうだ。
アンドロイドの体で、あの日夢見たような自由な生活を――。
「いや、ボクは火星に行くよ」
しかし、どうやらそれは難しいらしい。
「やっぱり、そうですか」
サダコは分かっていたように言う。
仄かに宿った熱が引いていくのが感じられた。
「ボクは虐殺を目的に作られたから、それ以外の生き方を知らないんだ。いくら日常が幸せで、夏祭りが楽しくて、恋愛みたいなことにドキドキしても、最終的には戦場へ向かう。そこでしか生きられない。どうしようもなく、ロボットだ」
「そうですか」
申し訳なさそうに呟くサダコ。今日だけで何度見ただろう。
なんてことない。ただ夏が終わるだけ。
「では、行きますか」
ボクの脇を通り過ぎようとする彼女の腕を掴んで引き止める。小柄な彼女は不思議そうにこちらを見た。
「せっかくだから、あと一つだけ。恋人らしいこと」
「何ですか?」
ボクは自分の唇を指さす。意味することは伝わっただろう。
てっきり彼女は恥ずかしがるかと思ったけれど、
「別にいいですよ」
そんな軽い返事をしたので、ボクの方が驚いてしまった。
サダコは人差し指をクイッと曲げてボクに屈むよう指示する。言われたとおりに腰をかがめると、彼女の顔が近づいてきた。
唇が触れ合う前、彼女は呟いた。
「ホント、子供っぽいですね」
すぐ傍の暗い砂浜ではパチパチといくつもの閃光が弾けている。
一つ、空へと飛ぶ、まるで宇宙を目指しているかのような光があった。
夏の終わり。打ちあがったロケット花火。
それは綺麗に夜空を彩り、儚く闇に溶けた。
夏とロケット 海洋ヒツジ @mitsu_hachi
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