第20話 トリムルティシステム


 弓から放たれたのは矢ではなく莫大な量のアータルだった。

 溢れだして止まらない。

 もうアズダハクの姿はない弓だけが残り、そこから止めどなくアータルが流れ出る。

『なるほど、こうしてりゃ世界がアータルに溶けるってわけね』

『随分、平然としてるなお前』

『……そりゃあ、俺だってどっちかって言ったら、だからよ』

 佐浦は肩をすくめてみせる。

『まさか、俺が世界を守る側に見えてたわけでもないんだろ?』

『お前の目的なんて分かりたくもないよ』

 統は心底、辟易したという風に返す。

『……なあ

『名前で呼ぶような仲じゃないだろ気持ち悪い』

『そう言わずにさ、俺と一緒に、世界を創らないか?』

『嫌だ』

『にべもないな』

『さっきそうさせないって、決めたばっかりなんだよ』

 ドゥグドウとの誓いだ。破るわけがない。

『そりゃ残念。一足遅かったか』

『もう話は終わりか?』

『ああ、じゃあ付けようか』

 何を? なんて野暮な事は聞かない。

 ただ一言返す。

『決着を』


 槍と斧のぶつかり合い。

 黄金と灰のせめぎ合い。

 化身と雷撃が撃ち合い。

 猛禽と多頭蛇が喰らい合う。

 互いに全力だった。

 だが、灰色の異形は、確かに嗤っていた。

 光の化身は、ただひたすらに、この戦いを終わらせるため力を振るっていた。

 だがあと一歩、決着に届かない。

 実力差がない、泥沼の戦い。

 しかし、二人の勝利条件は違う。

 統の勝利条件は三つの結晶体を手にすることだ。

 しかし佐浦の勝利条件は、恐らく世界をアータルに溶かす事。

 つまりそれは、戦いが長引けば長引くをほどに、佐浦の勝利が近づ行く事になる。

 弓から溢れ出るアータルもそうだが、プラスとマイナスのアータルがぶつかり合うだけでアータルは生成される。

 ドゥグドウの力で抑えるのにも限界がある。

 ただでさえ今はクスティの制御までしてもらっているのだから。

 早く結晶体を手にしてトリムルティシステムを起動させ、アータルの力場を安定させなければ、本当に特区がアータルに溶けてしまう。

 焦る統を、嘲笑う佐浦。

『楽しいなぁ統! こうしてるだけで、自由な世界がもうすぐそこまで来てる!』

『自由? お前が欲しいのは自由なのか!? だったら……』

『だったらなんだ。もうインドラを倒したんだから、博士はいないんだからいいだろってか? 違うよちげぇんだよ! 自由ってのは、!』

 その野望に、思わず絶句しかける。

 つまり、こいつは。

『神にでもなるつもりかよ!』

『その通りだ! 俺は神になるんだよ!』

 佐浦の斧が、三叉槍へと姿を変える。

 その槍へとアータルが集まる。

 弓から溢れ出ていたアータルの流れも三叉槍へと変わる

『この力だ! この力で俺は、俺のための世界を創り変える!』

 コードが唱えられる。


――神唱コード世ヲ壊ス三叉の戟シヴァ・トリシューラ


 本気で世界が壊れるかと思った。

 クスティを付け、スドレを纏い、そして、その最高位まで達した統には、世界の終わり光景が見えていた。

 それは正確にはアータルの崩壊だ。

 一か所に集めたアータルを一気に崩壊させる。

 そもそもアータルは崩壊などしない、ドゥグドウのエクスペンドという例外中の例外を除いて。

 いや、その現象は消費とも違うのだ。

 エクスペンドが書いた文字を消すようなモノだとしたら。

 佐浦の起こしたソレはブラックホールの現出だ。

 集めた質量を崩壊させることで、ヤツはアータルでブラックホールを再現してみせたのだ。

『これに世界が飲まれて、新しい世界が生まれる! 最高だと思わないか! なあ!』

『いちいち同意を求めてくるな!』

 あのブラックホールはどうする事も出来ない。

 だったらアレは一旦無視する。

 確かに恐ろしい力で引っ張られてはいる。

 だけど、まだ全く自由に動けないわけじゃない。

 佐浦はブラックホールを維持するために動けない。

 チャンスは今しかない。

 統はアズダハクが残した弓へと飛び付いた。

 その溢れ出るアータルの中心に、目的のものを見つける。

『あった!』

 そこが限界だった。

 弓から流れるアータルに引きずられるようにブラックホールへと吸い込まれていく。

 その最中、統は弓から取り出した漆黒の輪、マイナス・アータルの結晶体を手に掴み、握りつぶした。

 クスティへと黒い粒子となって吸い込まれていく結晶体。

 これで対抗出来るだろうか、いや、やるしかない。

 覚悟を決めて、統はブラックホールへと飛び込んだ。


『ハハハッ! 勝った! 俺の勝ちだ! 神になれる! 自由な世界が――』


――二重神唱デュアルコード世ヲ救ウ十ノ化身ヴィシュヌ・アヴァターラ


 結晶体二つ分、フヮルナフの制御二つ分。

 アータルの制御量を、完全に上回った。

 純白に輝く巨大な化身達が、ブラックホールを突き破って現出する。

『……ウソだろオイ。疑似とはいえ、ブラックホールだぞ?』

『これが仲間の力だ!』

 統は渾身の技を破られ放心する佐浦の顔面へ強烈な一発を見舞った。

 会心の一撃を受けた佐浦は気を失い、空から落ちそうになる。

 地面に落ちる前にを統が片手で拾う。

 勝った。だけどこの勝利は単純なアータルの制御量だけではない。

 それだけでは、あの規格外のブラックホールからは抜けだけなかった。

 その規格外を弱体化させた人物がいたのだ。

 そう忘れてはいないだろうか、そもそも佐浦が持っていたのは『黄金の輪』プラス・アータルの結晶体であるそれは元々ガロードマーンラボにあったものだ。

 つまり、その制御権は。

「間に会った……なんとか結晶体にアクセス出来た……」

 ぐたりとパネルの上に倒れこむタルサ。

 彼女は、戦闘の間、ずっと黄金の輪へのアクセスを試みていたのだ。

 タルサ、ノーリッジ、ドゥグドウの三人が、それぞれの仕事をしてくれたからこその勝利だった。

 アータルの力が解け、佐浦から黄金の輪が飛び出す。

 それをそのままキャッチして砕く。

 光の粒子となり統にクスティへと吸収されていく。

『タルサ、ノーリッジ、準備完了。いつでもいける』

『こっちも準備OK~。さあもうひと踏ん張りだぁ』

『こちらも問題ありません、統、カウントダウンを頼みます』

『了解……ドゥグドウも大丈夫か?』

『うん、平気』

 深く深呼吸する。

 十から始めるカウントダウン。

 それがゼロになってからが本番だというのに。

 緊張が止まらなかった。

(本当に、俺に、フヮルナフの代わりなんて務まるだろうか)

 ドゥグドウを起点に新たな力場を創りだす。

 三つとなったアータルの力場は、反発し続けながら増産することを止め、生成・維持・消費のサイクルで動き始める。

 適度な反発で生成しながらも、過剰なエネルギーには消費の力場が働く。

 そうすることでフラストルも生まれなくなる。

 世界がアータルに溶ける事もなくなる。

 カウントがゼロになった。


――三重神唱トリプルコード三柱ノ神ヨ今一ツニダッタトレーヤ・トリムルティ


 眼下に見える光輪が輝きを増す。

 恐らく、地下の黒い奔流も同じく。

 そして、自分を包む純白もその輝きを増す。

 圧倒的な情報量が、統の脳内を駆け巡る。

 思わず脳が焼き切れるのではないかと思ってしまう。

 だけど、その時だった。

(よくやった。お前は自慢の息子だ)

(あなたならきっとできる。お母さんが付いてるからね)

 両親の声だった。

 幻聴なんかじゃない。

 フヮルナフの中に消えてしまった両親が、統を支えてくれていた。

 もう何も怖いものなどない。

 光と情報とエネルギーの奔流を前に。

 ひたすら願う。

 どうか、この力が善い方へと進みますように。

 

 まるで眠りから覚めるようだった。

 瞑っていた瞳を開ける。

 そこは特区で二番目くらいに高いビルの屋上だった。

 いつの間にか着地していたらしい。

 スドレも、もう解けていた。

 足元には佐浦が転がっている。特に怪我はしていない。顔のアザ以外は。

 そして。

「ドゥグドウ……?」

 目の前にいる少女、しかし今の彼女、今までの金髪ではなかった。

 純白の髪、輝いているのは変わらない、が。

「俺、疲れてんのかな……なんかドゥグドウが幽霊みたいに透けて……」

『ユーレイ、そうかもしれない』

「……どういう事?」

『もう、アータルの結晶体は存在しない。あるのは力場だけ』

「君は、消えてしまったの?」

『うん、でもいつでも会えるよ? 私はここにいるもん……力場としてだけど』

「……そっか。でもそういうことはもっと前に言っておいて欲しかった……かな」

『……タルサ、泣いちゃうかな?』

「きっと泣いちゃうよ。タルサだけじゃないノーリッジだって」

『ごめんね、だから言えなかった』

「こっちこそ、気を使わせてごめん。もっとなんでも気楽に話せるくらい。一緒にいられたら良かったのに」

『そうだね。私もそう思う』

 ドゥグドウの姿がどんどん薄れて消えて行く。

「ありがとう、ドゥグドウがいなかったら、きっとなにもかも上手くいかなかった。どうにもならなかった」

『それは統のお父さんとお母さんのおかげだよ』

「それでも生まれて来てくれてありがとう。父さんと母さんもそう言うと思う」

『だったら、嬉しい』

 消える直前の少女は微笑んでいた。

 自分はどんな顔をしていただろう。

 統は顔に手を当てて確認してみる。

 手が濡れる。

「最後まで、かっこつけられなかったなぁ……」

 クスティにタルサから通信が入る。

 それに出れるようになるには、まだ少し時間がかかりそうだった。

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リング オブ グローリー 亜未田久志 @abky-6102

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