水没ノ都

八島えく

水没ノ都

 その都は、澄み切った湖の中心に浮かんでいるという。

 旅人のカナメは、旅のお供であり幽霊の店主と一緒に、その噂を聞きつけてやってきた。

 だがカナメは世界地図を広げてしかめっ面で首を傾げるばかりだった。

「うーーーーん……」

「見つかりませんねえ」

「だよね」

 その世界の地図によれば、カナメと店主の目の前には『湖上ノ都(こじょうのみやこ)』が広がっているはずだった。


 だが、ふたりが地図を畳んで周囲を見渡しても、そんなものはどこにも存在していなかった。

「……湖畔っつーより、鬱蒼とした密林だよね」

 彼らの周りに広がっているのは、カナメの見立て通り密林だった。

 深い緑に生い茂った木々がそこかしこに乱立している。地面は水気を吸って、踏み込むとブーツの底が水の感覚を覚える。

 ぬるい風が頬をなでる。青いマフラーとくすんだコートの裾がなびいた。

 緑を基調とした色で統一されていた密林にも、ちらほらと赤色青色の花が咲いていた。それらは薄暗い木々の中でほのかに光りをともしている。


 見渡す限り木々の群ればかりで人どころか虫すらいない。

 そして人の住んでいそうな集落も見あたらない。

 てっきり湖上ノ都があるとばかり確信していたから、都にたどり着けないことを考えていなかった。

「オレ……道に迷ったのかな」

「それはないでしょう。あなたが目的地にたどり着けなかったことなど今の今までありませんでしたから」

「今日初めて、たどり着けなかったのかもしれないよ?」

「それこそありえません。あなたはそう言う星のもとに生まれた旅人ですから」

「ご期待いただけたようで何より」

 カナメは地図を鞄に仕舞う。


 湖上ノ都があると思ったらそこは密林が広がっていた。

 それだけでもカナメの予想を外してきたのに、さらにカナメの好奇心をそそったのは、木々の間にあちこち建っている外灯だった。

 一定のの距離を保って湿地に刺さっているが、そのいずれも灯りが発せられることはない。中にはガラスが割れているものもある。茶黒の柱に触れてみれば、手袋ごしにもわかるくらいにざらざらと錆がべっとり張り付いている。

 改めて密林を見回してみれば、密集した木々の向こうに、広がる湿地帯がある。そこに澄み切った湖が広がる。……湖といっていいのかわからないけれど、川と言うには淀んでいるし、海と言うには波もない。

 

「何だろ、あれ」

「ふむ?」

 カナメの目に映ったのは、湖に建つ巨大なカプセルだ。

 円柱型で上下は磨かれた金色の留め具、いくつかのチューブがのっそりと、密林や湖の底に向かって伸びている。

 カプセルは1台。周囲に外灯だけでなく廃棄されたと思しき機械の山が積み上がっている。カプセルは湖の端っこに半分沈んでいる。

「ほんとに何なん、あれ」

「カプセルのことですか、それとも産廃の山?」

「両方」

「私にもわかりかねますねえ」

 くっくく、と店主は心底愉快気に喉をならして笑う。

 カナメは好奇心のまま、カプセルに近づく。


 すると。

「ようこそ、旅のお方」

「うわおっ」

 カナメは思わず声のした方を探る。その声は抑揚がない。男なのか恩なのかも判別しにくい。なんだか電話越しに聞いているような違和感がある。面と向かって直接発声しているのとは少し違う。そんなこもった声だった。

 でも人らしい人はどこにもいない。

「旅のお方、密林へようこそ」

「密林……? あっ、こっち?」

 カナメの耳が、ひとつの外灯から声が発せられていると察知した。

 外灯のうちひとつだけ、柱が黒く新品同様に磨かれているものがある。しかもそれは、薄暗くてそろそろ日が沈む時間帯の今頃の景色を、乳白色に照らしてくれていた。

 柱に触れてどれどれ、と調べてみると、カナメの目線より少し上あたりから声が聞こえた。スピーカーが内蔵されている。

「何だ、人じゃないのか……」

「ようこそ、旅のお方。わたしはこの密林近辺の訪問者を案内するものです」

「案内……。案内役がいてくれるならありがたいな……」

「こちらでお休みでしょうか。あるいはお食事をご希望でしょうか。もしよろしければ、ここから5メートル先の温泉で体を清めることも可能です」

「……温泉まであんの。便利だなここ」

「お休み、お食事、温泉。いずれをご希望でしょうか」

「まずお風呂入りたいな、案内役さん」

「かしこまりました。温泉への道のりをご案内いたします」

 てっきり、案内役がどこからかひょっこり出てきてついてきてくださいと言うのだろうか、とカナメは考えていたが、どうやらそうでもなかった。

 案内役は音声でカナメを案内し、歩かせた。

 地図ばかりに目を向けすぎていて気づかなかったが、この密林周辺には至るところにスピーカーがちりばめられているようだった。

 地面だったり樹木の中だったり、捨て置かれたような外灯の内蔵だったり、露を含んだ葉の裏だったりと、ひとつ歩けばひとつ見つけられた。

「密林入り口にある木をごらんください。うち1本に青いリボンが結びつけられているかと存じます。ご確認いただけますでしょうか」

「どれどれ」

 カナメは案内役の言っていた木とやらを1本1本触れてみる。細い木のうち1本に、言われたとおりの青いリボンがあった。

「あったよ、案内役さん」

「ありがとうございます。その木の下に水路があります」

「うん。ある」

「はい。流れる水に沿っておよそ2分進んでください。温泉がございます」

「ありがと」

 案内役のガイドに従って、ちょろりと水が緩やかに流れる水路をたどる。

 2分もしないうちに温泉へと到着した。薄暗い密林の中に、白色の湯気が立ちこめる。その真下には澄み切った湯が張られ、温泉の底がよく視える。

 ごつごつした岩が円形になって湯を囲む。隙間からときどき熱湯がこぼれた。

「温泉についた。ありがとう、案内役さん」

「とんでもないことでございます。当密林の温泉には、疲労回復、血行促進、頭痛の緩和、また安眠を促します。心行くまで密林の秘湯をお楽しみください」

 案内役の声が、ぶつり、と切れた。観光客の入浴時間にアナウンスを入れるのは野暮だという心遣いなんだろう。

 温泉は広く、カナメひとりだけなら入るのにだいぶ余裕はある。

 カナメは帽子とコートと手袋を脱ぎ、店主に預けた。店主は恭しく受け取ると、温泉のすぐ近くに腰を下ろした。

「幽霊なのに、オレとオレの持ち物には触れるんだよね」

「そのようです。ただし、カナメに対してのみ触れられるというだけなんですよねえ」

「じゃあ温泉にもつかれない?」

「つかることはできます。湯船にも沈めます。ただし温泉に浸った感覚がないだけです」

「変なシステムしてる」

「だからこそ便利でもあります」

「おかげで助かるよ」

「もったいないお言葉。これからも存分に使いつぶしてください」

「そうしようかな」

 カナメは湯船に身を沈めた。

 やや熱い湯が全身に行き渡り、いつの間にか蓄積していた足と肩の負担が一気にとけていく。

 ふわあっ、と体を伸ばしても、温泉はまだ広い。誰もいないから実質貸し切りだ。店主は入浴の必要がないから、衣服を預けて近場に待ってもらっている。

 カナメはしばし秘湯を堪能した後、一度上がって体を洗う。秘湯の近くには2台のシャワーが設置してあった。

(密林にシャワーとか、外に出たってだけの銭湯みたいなものか)

 カナメは備え付けられていたタオルと石鹸で体を丁寧に洗った。

 シャワーを頭からかぶって洗い流し、また秘湯に沈む。

 湯は熱いが、外は涼しい。頭やわずかに湯から露出した肩には冷たい風が通り抜ける。

 堪能しきって、カナメは入浴を終えた。


   *


 密林の涼しい風に乾ききっていない髪を遊ばせながらカプセルに戻る。

 案内役が「お帰りなさいませ」と声をかける。

「秘湯はお楽しみいただけましたでしょうか」

「とっても。良い湯だったよ」

「何よりでございます」

 案内役は淡々と告げ、食事を用意してくれる。用意、といってもカプセルの近くに積み上げられた産廃の中の保存庫から食料を取るだけだった。

 保存庫だと案内役が言っていただけあってか、中にしまわれている食料はどれを食べても問題なさそうだった。

 保存の聞く乾燥食材が並んだが、中には野菜や魚の水煮を詰め込んだ缶詰もあってなかなか楽しい食事だった。食材はたくさんの種類が見つかったのでアレンジもカナメの好きにできる。

「水は第二番保存庫にございます。必要の際はそちらからお取りください。ゴミは第五保存庫へ仕舞ってください。分別や洗浄の必要はございません」

「ありがとう」

「なお、カプセルから南の距離2メートルの場所に洗面台がございます。歯磨きや洗顔の際はこちらをご利用ください。タオル、石鹸、歯ブラシ各種取りそろえてございます」

「わざわざどうも……」

 食事を終えてゴミを片づけ、洗面所で歯を磨く。案内役の言っていた通り、洗面所は存在した。

 就寝はこのカプセルでどうぞ、と案内役はすすめた。カナメは素直にしたがった。


 カプセルの側面一部がぱかっと開き、カナメひとりを中へ招いた。カプセルは傾斜する。どうやら、カプセルの内側か外側どちらかで寝やすい状態を変更できるらしい。

 カプセルのドアはぱたんっ、と閉じたが息苦しさはない。繋がっているチューブを通じて空気の入れ替えを行っていると案内役は言っていた。

「それではおやすみなさい。良い明日のために」

 案内役は、それきり黙った。

 空には暗闇が広がり、無数の星がちらばっている。密林の中だが木々に遮られて空を満足に眺められないということもなかった。

 それどころか、カプセルで就寝する自分の視界には何らの遮蔽物もない。空を自由に心行くまで堪能できる。密林の木々は、この空間に限っては邪魔にならないよう謙虚に立っているらしかった。


 カナメはのんびりと空を眺めながらうつらうつらしていたが、丁度良さそうなタイミングで店主がカプセルを透過してくる。

 重い瞼をかろうじて開いて見上げる店主の口元は笑いにゆがんでいる。

「みつかりませんでしたねえ」

「そのようだ」

 カナメは最低限の動きだけで喋る。口をきくのも面倒なくらい、眠気はやってきていた。

「今日中に見つかると思いましたが、湖上ノ都には着きませんでした」

「だろうねえ……。明日起きたら密林の周りを探してみよう……今日はもう寝よう。ごめん、話し相手にはなれない」

「お気になさらず。話は明日に持ち越しできるんですから」

「……ふ、ふ」

 カナメはふっと息を吐くように笑って、それきり眠りについた。


   *


 翌日、案内役の「7時になりました」という優しいアラームによって、カナメは目を覚ました。旅人というのは基本的に夢を見ない。だから眠っていたのも一瞬だという錯覚さえある。

 もうこんな時間だったのか、とカナメはカプセルから出た。

「おはよう、店主」

「おはようございます。カナメ。よくお休みになられましたか?」

「そりゃもうぐっすりと。目を閉じて一回呼吸したらもう朝になってた」

「それは良うございました」

 洗面所で顔を洗い、保存庫から朝食になりそうなものを選ぶ。食事を軽く済ませて旅の支度を整えた。

「今度こそ、湖上ノ都を目指さないとね」

「そうですね」

「行ってきます、案内役さん」

 スピーカーには何ら問題はないはずだったが、案内役は答えない。数秒の沈黙の後、「お気をつけて」とだけ返ってきた。


 結果は散々だった。カプセルのある場所から遠く離れた場所まで足を運んでみたが、目的地である湖上ノ都は見つからなかった。

 鞄の中に入れていた地図を何度広げて何度確認しても、この密林近くに目的の都があるはずなのだ。

「この地図古いのかな」

 カナメは前髪を掻き上げる。

「この密林に来る前に、地図は最新版にアップデートしたはずではないですか」

「アップデートができてなかったのかも。……いや、バージョン情報は最新だな……? おっかしーな、何でこんな」

「都そのものはそもそも存在していなかったとか、でしょうか」

「それはそれで興味深い」

 カナメの散策は昼まで続いた。

 地図を頼りに密林から出ても、カナメの行きたかった場所が見つかることはなく。

 いったん休もう、とカナメは店主に提案した。店主は快諾してくれた。

 昼を過ぎてそろそろ日が沈む頃に、密林のぽっかり開いたあの空間に戻った。カプセルのある空間には一応食事も寝床もそろっている。休息には快適な場所だ。

 旅人は旅をする種族故に、人間よりも体力はずっと多いが、それでも今回は疲弊だけがたまった。


   *


「お帰りなさいませ」

「ただいま……」

「ご就寝をご希望でしょうか。お食事をご希望でしょうか」

「軽食で……」

「かしこまりました」

 カナメは案内役の教えてくれた保存庫に行き、適当に食料を取ってかじりついた。缶詰を開く元気もない。

 旅人というのは旅慣れしているが、こうも収穫のない旅だと精神が先に疲れ切る。

 体を引きずりながら、空になった食料を保存庫にゴミを捨てる。

 カナメが水で一息ついているのを、店主は楽しそうに眺めていた。

「見つかりませんねえ」

「なんでだろうね……。地図をみても何もないし、歩き回っても見つからない。

 ……っつーかオレたちの目的地って本当に『湖上ノ都』で合ってるはずだよね?」

「そうですよ。あなたが世界の名前を間違えるはずもありません」

「だとしたらどうして見つからないんだろう……。湖上ノ都は地図上じゃこのカプセル空間の場所にあるはずなのに」

 ああでもない、こうでもない、と店主と一緒に途方もなく考えていると、


「お探しの都でしたら、私がご案内可能です」

 沈黙していた案内役が、そう持ちかけてきた。


   *


  カナメは案内役はそこにいないとわかっていながら、カプセルに視線を移した。

「……知ってるの?」

「はい。存じております。お時間を1時間前後いただく形となりますが、ご了承いただければご希望の街までご案内いたします」

 案内役は昨日とおなじ淡々とした口調で答えて見せた。

 正直、打つ手の無かったカナメと店主には、ありがたい申し出だった。

 カナメは店主と顔を見合わせた。そしてうなずく。

「案内してくれる?」


 案内役は、「かしこまりました」と告げた。

「では、まずカプセルにお入りください」

 カナメは言われたとおりに開いた扉からカプセルに身を突っ込む。扉の隙間をくぐりぬけて、店主も中に入った。カプセルはおひとり様用らしく、店主とカナメの胴体がくっついた。

 だが案内役は店主のことなど見えていないように、次への指示を出していた。

「シートベルトはございません。カプセルの天井に緊急キットが設置されているのをご確認いただけますでしょうか。オレンジ色のザックです。……ございましたか? かしこまりました」

 その後、いくつかカナメにカプセルの内部に緊急時の備えがあるか念入りに確認してくれた。いずれの確認もクリアしたと判断した案内役は、「それでは」とようやく本題に入る。

「大変お待たせいたしました。それではご案内いたします」

 案内役のアナウンスが流れた直後、カプセルが徐々に湖へと沈んでいった。


   *


 カプセルについていた金具はすべて外れ、ゆっくりと湖にすべて沈み込む。

 中は店主のおかげでせせこましいことこの上ないが、それを除けばカプセル内は快適だった。

 カプセルは湖の底へまで深く潜ろうとしている。

(どこまで行くんだろう)

 戻ってこれなかったらどうしよう、という不安もないわけではないが、それをかき消す勢いで、カナメにはこの湖の底がどうなっているのか好奇心がざわめいていた。

 

「湖底をご覧ください」

 という案内役のアナウンスが、カプセル内に響いた。カナメは狭いカプセルの中、起用に体をねじって外を眺める。

「う、わ」

 カナメから、感嘆の声が漏れた。


 湖の底には、街があった。

 ひとつの街が、湖の中にそのまま落っこちたような状態だ。

 外灯が整列し、赤煉瓦の道が伸びている。大きな建物の群がきちんと並んでいる。

 ある建物のウィンドウには、華やかな衣装を着たマネキンが飾ってあった。

 となりの小さな建物は飲食店か何かだろうか。ドアに張られた『OPEN』の看板、植木の横には日替わりメニューが書かれている。

 案内役はあちらをご覧ください、隣をご覧ください、とせっせとガイドをしてくれていた。

 カナメはそれを聞き入っている。水の底に沈んだ目的地は、今にも息をして活動を始めそうだった。

 だが人という人はいない。せいぜい魚が何匹か自由に泳いでいるだけだ。湖のもともとの住人たちが、すでに沈んだ街を受け入れている。灯るはずのない外灯の周囲をくるくる回ったり、公民館(だと案内役は説明した)の開きっぱなしの門をくぐって中へこっそりと見学している魚もいる。

「これはこれは」

 店主が声を漏らす。


「ごらんいただけましたでしょうか。

 こちらはかつて『湖上ノ都』と呼ばれた世界。


 現在は『水没ノ都』とされております」


 案内役は、カナメの探していた世界の名を、初めて告げた。


   *


「もし旅のお方にお時間がまだおありでしたら、僭越ながら私がこの世界の生まれた経緯をご説明させていただきたく存じます」

「教えてくれるかな、案内役さん?」

「ありがとうございます」

 すると案内役は流れるように淀みなく話す。

「旅のお方はご存じでしょうか。宇宙には無数の世界が存在することを」

「うん、知ってる」

「では、宇宙で『大嵐』が発生したことはご存じでしょうか」

「おおあらし……?」

「はい。世界ひとつひとつは宇宙でそれぞれ生まれましたが、その規模やサイズが異なっております。その原因とされるのが『大嵐』です。

 『大嵐』は文字通り、宇宙全体に巻き起こされた災害です。その正体は天災であったり人災であったり、核による爆発、戦争など諸説あります。

 しかし世界の住人たちはそれぞれ、『大嵐』をあらかじめ予見できました。どのようにして大嵐の情報を入手できたかは世界によりますので私も詳しいことは存じ上げません。

 世界はそれぞれの方法で、『大嵐』に備えました。住居の補強、食料の備蓄等対策は講じられております。これらは総じて冬眠と呼ばれています」

「嵐がきたのに、世界は無事だったの?」

「それも世界によりました。厳重な備えのもと、ほとんど無傷で乗り越えた世界もあれば、備えが不足し滅んだ世界もあります。中には乗り越えはしたものの、規模が小さくなった世界もあるといわれております。

 湖上ノ都は、乗り越えることができずに滅んだ一例です」

「……」

「水没ノ都……旧湖上ノ都は、『大嵐』に耐えきれず湖底に沈みました。住人たちは『大嵐』の後の湖上で生活をしようと試みましたが、それもうまく叶いませんでした。

 旧湖上ノ都の住人たちは、『大嵐』が間接的な原因となって滅びたのです」

 案内役は淡々と説明していく。その口調に感情がこもっているようには思えない。ただ静かに、水没ノ都の経緯を語るだけだ。

 カプセルの目の前を、無数の魚が通り過ぎた。カプセルは湖底をまんべんなく漂っていく。

 カナメはずっと湖に沈んだかつての世界に目が釘付けとなっていたが、耳はしっかりと案内役の言葉を聞いていた。


「私は水没ノ都になるおよそ10年ほど前に作られました」

「そのときは何をしてたの?」

「湖上ノ都に訪れる旅人や観光客を対象に、世界をご案内させていただいておりました」

「今と同じわけだ。……キミは、水没ノ都になってからも、ずっとここに人を案内してたの?」

「はい。旅のお方がいらっしゃる前にも何例かの訪問者はいらっしゃいました。彼らに食料、浴場、就寝場所などを提供し、こちらの湖底をご案内いたしました。

 訪問者の方々はみなさまそれぞれのご感想をお持ちでしたが、全員この都が湖底へ沈んだことを理解していただけました」

「理解して、皆また別の世界へ旅立つの?」

「はい」

「人によっては故郷へ帰るんだよね?」

「さようでございます」

「……そしてキミはまたひとりになっちゃうんだよね。寂しくはないの?」

「寂しさはございません。私は私の仕事を行っているだけにございます」

「そっか」

 カプセルが湖上へと浮かんだ。


   *


 カプセルの扉が開く。カナメはそこから這い出て、ようやく外の湿った空気を吸い込むことができた。

 ぐっと四肢をのばす。あの中では体を縮こめていたから、開放感が大きい。

「なかなか興味深い話でしたねえ」

「そうだね。……案内役さんありがと。楽しい観光だったよ」

「お役に立てまして光栄です」

「……さて。オレたちはここを発つ。陽の出てるうちにここを出なきゃ」

「かしこまりました。よろしければ、第八番倉庫に保存してある携帯食料をご利用ください。旅の途中や、ご休息をされる際にご活用いただければと存じます」

 案内役のアナウンスに従って倉庫の扉を開くと、簡易的な食料がきれいに整頓されていた。確かに、世界から世界へとつなぐ道中で休憩がてら口にするのには丁度良い。

「ありがとう。大切に食べるね」

「とんでもないことでございます。お役に立てましたならば何よりです」

 カナメは食料を鞄に仕舞った。


 その足は密林の入り口へ向かおうとしている。背中は湖上に向けられていた。かつて湖上ノ都と呼ばれた世界は水没し、湖底に長く暮らしている。

 きっと、水没ノ都がふたたび湖上ノ都になることはないだろう。

 それをわかっているから、案内役はずっとここでたったひとり、案内を買ってでるのだ。

 この世界を知ってもらう。そのためだけに。


「旅のお方」

 カナメは湖上を振り向いた。

「道中お気をつけて。

 あなたの旅路に、多くの幸がありますようお祈り申し上げます」

 それきり、案内役は黙った。カナメが呼びかけても、答えは返ってこないだろう。


 カナメはふと微笑んで、今度こそ前を向いた。

「次の世界へ」

「行きましょうか」

 店主を伴い、旅人のカナメは水没ノ都を後にした。



   了

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水没ノ都 八島えく @eclair_8shima

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