第16話

 膨らみのある頭部を小さく揺らしながら男が続ける。


「あの女に会ったのはもう5年も前です、日本じゃない、東南アジアのね、気味の悪い鳥や獣の鳴き声が永遠に止むことのない、うんざりするような密林がどこまでも広がるジャングルに建てられた金持ちの隠れ家のパーティーに、女はある個人投資家のペットとして連れてこられたんです」


 俺は絶望的なまでに広大なジャングルの中にひっそりと佇む、別世界の大金持ちが道楽で造った屋敷の風景を想像した。


「その投資家は40を少し過ぎた元起業家で、自己顕示欲の強い企業やクリニックの経営者、詐欺師まがいの情報商材屋、ネットワークビジネスの成功者あたりを顧客に持つ自費出版の会社をやっていましてね、

 その商売で稼いだ小金で手に入れた海外不動産の1つが当たり我々のコミュニティに入ってきた、言ってみれば新参の小物だったわけです」


 男はそういうことを非常になめらかに、文字どおり滑るような口調で抑揚なく喋った。


「ご存知かと思いますが、グループに入ったばかりの新参がとる行動はだいたい決まっていますね、つまり古株に敬意を払い分をわきまえて下手に目立たぬよう振る舞うか、自分の存在感を示そうと焦り古参のメンバーが求めぬ無用な言動をくり返すか、です、

 その男はもちろん後者で、彼がコミュニティに出入りするようになって1年も経たないうちに、我々は彼を招かれざる異端として問題視するようになりました」


 いつの間にか、さっき寝ている俺の脇腹を蹴った男の姿が部屋の中から消えていた。背後にあるドアから出ていったのだろう。ドアが開いたことにも気づかないほど、奇妙な容姿のこの男の話に引き込まれていたのだろうか。


「似たようなことは以前にもありました、少数の会員制をとってはいるんですが、どんな組織でも団体でもメンバーの質を維持するのは簡単ではありませんからね、彼をコミュニティに紹介したブローカーを誰も責めたりはしませんでしたよ、

 ただし彼は別です、我々の全員を不快にするあの男については、早急にグループから退出願おうという当然の結論になりました、

 ところがこれがなかなか注意を要する問題なんです、ああいう類の人間は、異端として出入りを禁止されれば自尊心を傷つけられたとしてまた不穏な行動を選ぶことになりがちですからね、

 退会のメッセージを届けた使者の前で暴れて殴りつける程度ならかわいいものですが、逆恨みして我々のグループの存在を外の誰かに話すといったことになると非常に厄介なわけです、我々の中には、表に出ることを何より嫌う面々も少なくありませんからね、そしてそのようなメンバーほど、コミュニティでは上位に、つまり人間世界での圧倒的な地位と権限を持っているわけですから」


 この日のために台本を何十回と読み込んだ舞台俳優のように、男はまったく淀みなく淡々と語り続けている。その話をどれほど正確に理解できているか、俺にはわからない。ただ俺などにはうかがい知れない驚くべき権力者だけで構成された世界が、確かに存在するらしいということだけはわかった。


「そうなると取れる手はひとつです、いえ、早とちりしないでくださいね、殺してしまおうなどというものではありませんよ、我々はそこまで野蛮じゃない、

 ただ彼をね、いつもの、密林の隠れ家のパーティーに招待してね、そこである手術を受けてもらおうという話になったんです、

 メンバーの一人は東南アジアのある国でかなりの地位まで登りつめた元医師なんですが、彼は脳医学の専門家で、凄腕の脳外科医でもあった、

 それで彼にね、これは以前にも一度手を煩わせたことがあったんですが、男の処置をお願いすることになったというわけです、

 脳という器官はご承知のとおり実に複雑で、いや私だって詳しいことは知りませんがね、ある箇所をレーザーメスでほんの少し切り取るだけで、特定の社会性に関する記憶をそっくり消去することが可能なそうなんです」


 男の話が、徐々に狂気を含んだものに変わっていく。耳を塞ぎ背後のドアを開けて飛び出せば解放されるはずだが、俺は身動きひとつせず男の前で話の続きを待っている。


 狂気は、と俺は声に出さずつぶやいた。


 狂気は、あの夜地下のバーでメイコと出会ったときから、ゆっくりと俺の日常を侵食し始めていたんだ。

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マンイーター・フリークス 神谷ボコ @POKOPOKKO

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