MAILER-DAEMON氏からの手紙

吉岡梅

電子の海のダイモン一族

 メールボックスに「MAILER-DAEMON」氏からのメールが届いていた。文面は英語だ。辞書を引き引き調べてみると、どうやら私の出したメールに不備があるとのことだ。確認すると確かに宛先が間違っていた。ありがたい知らせだ。


 おそらく、彼(もしくは彼女)は、郵便局員的な立場なのだろう。しかし、郵便物に負けず劣らず、日々やり取りされるメールは膨大だ。とても一人で捌ききれるものではない。複数人で作業を行っているのだろう。すると、「MAILER-DAEMON」の「MAILER」部分は、通り名や屋号のようなもので、「DAEMON」は組織名、もしくはファミリー・ネームといったところか。この、「MAILER-DAEMON」という署名は、「配達屋のダイモン一族」という意味なのだろう。


 そこまで考えたところで、友人から聞いた話を思い出した。メールの配達を生業なりわいとしている一族がいるという話である。間違いないだろう。日々、電子の海に投げ込まれるメール入りのガラス瓶を見つけ出しては宛先を確認し、配達するのが彼らの仕事だ。


 時に荒れる海へ繰り出すのは、父のヨゼフ・ダイモンと長男のカールの役目だ。ヨゼフは探知機と長年の勘を頼りに舵を取り、カールは網を片手に舳先へさきで踏ん張り水面みなもを見つめる。瓶は見つけ次第回収され、船内に設えた生け簀へと集められる。生け簀を使うのは、しばしば一緒に網に入る魚とより分けやすくするためだ。瓶は浮き、魚は沈むというわけだ。


 漏れなく回収出来たら帰港する。港では祖父のギュンターと末っ子のティムが出迎え、協力して生け簀からビンを取り出し、真水で洗って箱に詰める。後で取り出しやすいようにビンの口の向きを揃えるのがコツだ。逆方向の物がある場合、それはティムの仕業と思って間違いない。まだメールが何かもよくわかっていない彼は、すぐに仕事に飽きてしまい、いろいろとのだ。そのため、たいていは途中から生け簀の魚を魚籠びくに詰める作業へと回される。


 1度の漁で獲れる瓶は5箱分ほど。全て箱に詰めたら、ヨゼフとカールは再び海へと船を出す。時々ティムがこっそり乗り込んでいるが、見つからずに摘み出されなかった事は未だにない。ダイモン一族は、きっちりしているのだ。


 ギュンターは、箱と魚籠とティムを持って配達所に帰る。今度は母のエステルと双子の娘のミアとレナ、そして、のヤナギとマツシマの出番だ。3人の女は、ゆったりとした黒いローブを身に纏っている。黒は「何ものにも染まらずに業務をこなす」という、ダイモン一族の心意気を表す色なのだそうだ。


 配達所の中央には、回転寿司のようなコンベア付きのテーブルが置かれ、その脇には滑車付きのが据え付けられている。魚をえさ箱へ入れると、かわうそ達が駆け寄ってきて餌を食べては滑車を回す。すると、ぐるりと輪になっているコンベアが回転を始める。彼らは貴重な動力源だ。3人の女はテーブルに腰掛け、ギュンターとティムがコンベアにどんどん瓶を乗せる。配達業務の始まりだ。


 ミアとレナは流れくる瓶を手に取る。宛先を確認して呪印を焼き上げると、髪を1本抜いて巻き付け、ふっと息を吹きかける。呪印は見る間に鳩へと変化へんげし、2人の前にきちんと座る。魔法仕掛けの電子鳩だ。首に瓶を結わえ、そっと頬をひと撫ですると、ほろっと一声泣いて天井の穴から空へと飛び上がる。しばらく辺りをぐるぐる周って方角を確認すると、一直線に宛先へ向かって飛び立っていく。


 双子に比べると母のエステルは手慣れたものだ。彼女の髪は、ひとりでにふわりと持ち上がり、言霊だけで次々鳩へと変化していく。鳩は行儀よく列を作り、瓶を結わえられ、頬を撫でられるのを待っている。その仕分けスピードは、双子2人がかりでも追いつかないほどだ。


 たちまち上空の青空は、ミアの赤毛とレナの黒髪、そして、エステルの鈍色がかった銀髪に染まった鳩で一杯になり、それぞれの宛先へと3色が流れゆく。


 黙々と作業をこなし、ヤナギとマツシマがへとへとになる頃には、すべてのメールの配達が終わる。この工程を日に5度ほど繰り返せば、一日分の作業完了だ。


 ヨゼフとカールも陸に上がり、一族は揃って食事をとる。多くの場合、夕食のメニューは余った魚だ。それに加え、たまに網にかかるカニや貝をお造りや網焼きにする、ヨゼフとギュンターは、それを肴に蜂蜜酒ミードを一杯やるのを楽しみにしている。就寝前、男たちは女たちの髪を丁寧にくしけずると、眠りにつく。


 ダイモン一家は、この配達業務を休まずこなしているそうだ。考えてみると、凄いことだ。私も日々お世話になっているのに、それと気づくのは、宛名をミスし、しかも、わざわざ知らせていただいた場合のみという体たらくだ。私の頬は、思わず熱くなった。


 なんとか感謝の意を伝えたい。そう思い、私はダイモン氏のメールに返信してみることにした。何せ、一族のアドレスはわからない。宛先を誤記したことへの謝罪と、それを知らせていただいたことへの感謝、そして、日々の業務への労いの言葉とお礼を添えて送信した。


 数日経つが、返信は無い。やはり連絡を取る手段は無いのか。それとも、この類の物は扱わないルールなのかもしれない。黒のローブを身に纏ってちらりと宛先へと目を遣り、すっと瓶を脇へと避けているのだろう。せめて本文を目にしてくれれば良いのだが、かの誇り高き一族は、そんな事はすまい。暗号化をするまでもなく、本文は決して目にしない。彼らはそういう一族だ。


 それでも私は、時々ダイモン氏にお礼のメールを送っている。好意や感謝は、それを表さなければ伝わらないものだ。いつかは、いたずら好きな末っ子が、うっかり瓶を割ってしまい、中身を目にするかもしれない。その時、彼らは私のメールを見て、目を丸くするだろう。


 その差出人が私と知れなくとも、感謝のメールがダイモン一族にとっての不思議な都市伝説にでもなってくれれば本望だ。忙しい日々のほんのひと時、くすりと笑ってもらえれば十分だ。ひょっとしたら世の都市伝説というのは、そういった、突飛な思いや行動が産み出したものなのかもしれない。

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