42nd. 誓いの……


 妖精王が猫に宿ることになったのは、やはりと言うべきか、オスヴァルトの提案だったらしい。

 誰が聞いても愛情に飢えていた妖精王に、オスヴァルトはそのきっかけを与えた。愛くるしい猫に宿るよう説得し、それでまずは一日過ごしてみてはどうかと。

 はたしてこの作戦は、すぐに功を成した。というのも、城内にはかわいいもの好きのメイドや侍女、はたまた癒しを求める苦労人が多かったからだ。

 先に皇帝オスヴァルトの愛猫だと触れ回り、次にその愛猫をフィンやジャメオン、ギデオンがかわいがる。すると、皇帝の猫だからと遠慮していた使用人たちが、徐々に興味を持ち始めた。オスヴァルトも、好きに触っていいと言っている。

 そして一番の決定打となったのは、おそらくビアンカだろう。皇太后グレースが南の宮殿に行ったことにより、彼女は本来なら実家に戻るところだった。が、彼女自身の希望により、まだ城勤めを続けている。

 そんな彼女が猫を「フレイ」と呼んでかわいがる姿に、他の使用人たちも手を伸ばすようになった。時にはお菓子をあげたり、時には一緒に遊んだり。時には猫好きが追い回すほど、今では城のマスコットと化している。

 そうして多くの人と関わり、戸惑いながらも、猫はたくさんの愛情を注がれているという――。



「フレイ? っていうのか、あいつ」

「それが妖精王の名前らしい。もう長いこと呼ばれていなかったと、嬉しそうにしていた」


 そうか、とアンネは小さくこぼす。名前を忘れられるほど長い時を、あの子供のような王は独りで過ごしてきたのだ。そりゃあ愛情に飢えるはずだ。しかもそれを本人が気づいていなかったせいで、この国は長いこと愚かな慣習を続けてきた。せめて今までに一人、たった一人でいいから、妖精王との会話を試みた人間がいたなら、また違う未来を辿っていたかもしれないのに。

 でももう、それは言っても詮無いことだ。


「にしても、なんで猫だったんだ?」


 四人は優に座れるソファの端で、膝を抱えながらアンネは尋ねる。


「愛嬌があれば何でもよかった。前の鴉は……少し趣味が分かれそうだったからな。フィンに言って調べさせたら、城内は猫派が多かったんだ」

「調べさせたのか」


 わざわざ? と横を見る。二人分のスペースを空けて、同じソファの反対側に、オスヴァルトがくつろいだ様子で座っていた。自由なあの猫は、すでに部屋を出ている。


「念には念を入れたかった。あなたがかかっているのに、失敗するわけにはいかないだろう?」


 事も無げに告げられて、アンネは自分の鼓動を隠すように、さらに膝をぎゅっと抱える。二人の間にある空間は、アンネがなんとか平常心を保っていられる距離でもある。


「他に訊きたいことはあるか。あなたの不安は、なるべく先に解消したい」

「別にそんなの」

「ないなら、私との結婚に頷いてくれ」

「不安って、そっちの不安⁉︎」

「それ以外の不安もあるのか?」


 逆に訊き返されて、アンネはたじろぐ。自分で言っててなんだけど、もうそっちとかあっちとか、分からなくなるくらいに色んな不安が胸にある。

 けどそのどれもが、オスヴァルトの求婚を断るものではない。一番の問題だった妖精王の不安は、オスヴァルトがあっさり解決してしまった。

 だから本当は、さっきから小さな期待が胸を疼いている。もしかして自分は、本当に彼の妻になれるのかと。

 ただそのためには、確認しておきたいことがある。


「おまえは、後悔してないか?」

「後悔?」


 尋ねられた意味が分からなかったのか、「何に対する?」とオスヴァルトが首を捻った。


「全部だ。表向き先代の皇帝は、息子に帝位を自ら譲ったと聞くが、真相はそうじゃないんだろう? 譲らせるよう、おまえが仕向けた」


 だから、先代と同じ強硬派は、この三か月でほぼ何かしらの制裁を受けている。でなければきっと、周りには父に従順だと思われていた皇太子が、その腹心を切るはずがない。

 切ったということは、オスヴァルトは彼らを認めなかったのだ。彼らの犯す悪事を、みすみす見逃すことをしなかった。

 そして、いくら残虐帝とはいえ、ラルクは彼の実父である。それは切っても切れない縁であり、たぶん、お人好しの彼にとって自らそれを断ち切る行為は、とても精神をすり減らしたことだろう。


「グレースは、なんて言ってたんだ?」

「……あなたの好きなように、と」


 息子にそう告げた彼女の姿が、容易に目に浮かんだ。優しい母の顔で、彼女はきっとそう言ったのだろう。

 だから思う。やっぱり後悔していないのかと。オスヴァルトは、結果的に母も追い出してしまった形になる。


「後悔、か。正直、自分でもよく分からない。父の真相を知って、母の想いを知って。たまに自分は、やり方を間違えたのかと思うときもある」

「……」

「でも、過去の私の様々な行動が今に繋がっているのだと思えば、不思議と後悔はない」

「本当に?」

「本当だ。辛いことも、苦しいことも、死んだほうがマシだと思うような出来事も。それらがなければ今の私はいない。今の私がいなかったら、アンネとも出逢えていなかった」

「どのみち出逢えてはいたんじゃないか」


 皇帝と、妖精王の花嫁として。


「いいや、それでは意味がない。私があなたを愛したいんだ」


 真っ直ぐと見つめられて、アンネはくすぐったい気持ちを覚える。誤魔化すように「そうか」と呟いて、おもむろに立ち上がった。


「なら、今度はわたしが頑張る番だな」

「アンネ?」

「もう一つ、おまえとの結婚に問題が残ってる」


 分かるか? と言外に促せば、オスヴァルトはすぐに答えてくれた。


「身分か」

「ああ。実はおまえには隠してたんだが、わたしにも一応、貴族の血が流れてる」


 それはすでに知っていたが、オスヴァルトは黙って続きを待った。結局、彼女がリンテルン王国のどの貴族の御落胤だったのか、フィンをもってしても分からなかったからである。


「わたしはおまえの弱点にはなりたくない。だから、嫌いだけど、ちょっとお願いしてくるよ。わたしを認めてくれるように」


 アンネの言葉の意味をだんだん理解したオスヴァルトは、ここで思わず腰を浮かせた。

 つまり彼女は、自分の求婚を受け入れてくれたことになる。

 

「そのまま待っててくれ、アンネ」

「?」


 なぜか急に慌て出したオスヴァルトが、隣の寝室に消えていく。この流れでどうしてそうなったのか分からないアンネは、言われた通りそのまま待ってみた。

 が、少しと経たず、オスヴァルトが戻ってくる。その手に小さな箱を持って。


「アンネ、手を出せ」

「手?」


 不思議に思いながらも、アンネは両手のひらを上にして差し出す。

 すると、オスヴァルトはそのうちの左手だけをとって、くるりと手のひらを返した。


「約束だ。これから先、何があってもあなたは私の妻だ。やっぱりやめたは受け入れない」

「おい、まさかこれ……」


 自分の薬指にはめられた指輪に、アンネは恐る恐る尋ねる。


「もちろん結婚指輪だが」

「気が早い!」


 なぜ婚約指輪でないのだろう。

 透き通る青い光を放つブルームーンストーンの宝石が、少しだけ恐ろしく見える。エルディネラでは、愛の石とも呼ばれ、結婚指輪にこの石をはめ込む夫婦は多い。その青い光が強ければ強いほど高価であり、さらに夫婦の絆も強くなると言われている。

 アンネの指にはまるそれは、素人目にもかなり希少なものだろうと分かるほどだ。

 

「悪いが、私もこれだけは譲れない。以前も言ったが、正直身分なんてどうとでもなる。あなたをどこかの貴族の養子にして、迎え入れることもできる」

「でもそれは、おまえのためにはならない。形は整えど、結局血筋は違うと認めない奴は必ず出てくる。そのたびにおまえが何か言われるのは、我慢ならないんだ」


 そこで我慢ができるなら、アンネはさっきだって我慢していた。口さがないあの男たちに。

 自分が的になるだけなら、たぶんそれでもよかったけど。


「一応、そう思えるくらいには、おまえのことを想ってるよ」


 震える声で伝えて、指輪に視線を落とす。何気なく言いたかったのに、これでは台無しだ。でも、どうでもいい相手じゃないから、ちゃんと認められたかったのだ。

 目を上げると、オスヴァルトが瞳を揺らしていた。意表を突かれたからだろうか。

 それが心外だとばかりに、アンネは唇を尖らせる。


「わたしだって、たまには素直にもなる」


 触れたブルームーンの石が冷たい。不思議な青い光が、二人の間を結ぶように反射している。


「だから、この指輪に誓おう。この先何があっても、わたしはおまえのそばにいる。おまえの妻として」

「ならば、私も誓おう。この先何があっても、夫としてあなたを幸せにすると」


 視線を合わせるように、オスヴァルトが膝をつく。指輪に触れるアンネの手に、彼も自分の手を重ねた。あたたかい。至近距離で見つめ合う。この誓いは、きっと生涯守られることだろう。そんな予感がした。

 どちらともなく顔を寄せて、重なった唇は、まさに新郎新婦が交わす誓いのキスのようだった。



 

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妖精の受難 蓮水 涼 @s-a-k-u

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