第4話 誰が何と言おうと、これはハッピーエンドだ。

 雪が、舞っている。その一片が頬に降りてはすぐに溶けていった。冷たい、痛い。どうして、こんなに寂しいのだろう。


 傍らには、鮮やかな赤を撒き散らして眠る君の姿があった。その頬は雪のように白く、今にもこの銀世界に溶けていきそうだ。そっとその白銀の髪を撫で、もう二度と開かれない瞼に触れた。


 これで、良かったんだよね。返事のない彼女に、一方的に語りかけた。





 僕らの出会いは、ごく平凡なものだった。君はこの国の姫君で、僕はそんな君を騎士として守るのが仕事。年齢が近いこともあり、騎士団長だった父の紹介で、僕らは幼い頃から共に過ごした。君は身分など関係ないように振舞っていたけれど、僕にとっては最初から君はお姫様だった。


 君は、両陛下の愛を一身に受け、それは素晴らしい姫君に成長した。高貴な身分にもかかわらず、決して人を見下さない。街へ降りて貧しい子供を見かければ、ドレスが汚れることも厭わずに抱きしめる。それは人によってはある種の反感を買ったが、それすらも君は気にしていないようだった。


 僕はそんな君を見て誇らしかったし、このまま民に愛される姫君としてこの国の頂点に君臨するものだと思っていた。


  あの、野蛮な隣国が攻めてくるまでは。


 平和で資源豊かなこの国は、諸外国から狙われる要因は確かに揃っていた。けれども平和主義を掲げるこの国は、多少不利な条件であっても不戦条約を結び続けてきたのだ。王家は代々そうやって国を守ってきたし、剣ではなくペンで解決しようとするその姿勢は民に大いに支持されていた。


 崩壊のきっかけは、隣国で起こった災害だった。


 災害のせいで飢饉に見舞われた隣国は、書類上は友好関係を築いている我が国に縋りついてきた。不戦条約を結んでいるだけあって、我が国も無視をするわけにはいかない。もっとも、心優しい国王陛下はそんな条約がなくとも支援を申し出ただろうけれど。


 我が国は隣国が何とか冬を越せるだけの食料を支援することとなった。それは、いくら隣国とはいえ、やりすぎな量の支援であったかもしれないが、それほどまでわが国の備蓄は潤っていたし、国が豊かなだけにその支援量が国際的に平均とされている物よりもずっと多いことに気づく人間も少なかった。恵まれているが故に、忘れていたのだと思う。豊かさは、平和の象徴であると同時に争いの種でもあるのだと。


 隣国は、表面上は支援をありがたがっていたが、予想以上の支援量にこの国の豊かさを再認識したのだろう。明らかに、この国を見る目が変わっていた。


 我が国の支援を受け、隣国が真っ先に取り組んだのは国軍の立て直しだった。後から知ったことだが、我が国が送った食料のほとんどは民衆には届けられず、王侯貴族や軍人たちで消費したのだという。


 力をつけた隣国の軍は、殆ど奇襲という形で国境に攻め入った。ぬるま湯につかったような生活しか知らない我が国の軍は、瞬く間に散っていった。破滅の足音はもう、すぐそこまで近づいていたのだ。


 国王陛下は、悪いことなんて何一つしていない。ただ少しだけ、為政者としては聖人過ぎて、人の悪意を疑う心を持ち合わせていなかったというだけで。僕は燃える城下の街を眺めながら、そんなことを思った。


 我が国を追い詰めた隣国は、ある条件を提示して王族だけは助けてやると言い出した。それは、この国の宝である君を――第一王女を隣国の隣国の第一王子に嫁がせることだった。


 隣国の第一王子は、それはもう国の悪評に負けぬくらい悪名高い人物で、無類の女好きともいわれていた。手ひどく女性を扱っては、消耗品のように切り捨てる、とも。彼の手によって密かに始末された女性は平民だけでなく、かなり高位の貴族の令嬢にも及ぶらしい。その話を聞いたときの僕の怒りは表現しようがない。この上なく清廉で、綺麗で、慈愛に満ちた心を持ち合わせる君を、そんな男の元へ嫁がせるわけにはいかなかった。

 

 それなのに、君は二つ返事で承諾したね。それで、王室や僕らの命を保証してくれるのなら、と。


 国王陛下同様に、人間離れした清らかな心を持つ君は、あの王子にどんな扱いをされるかなんてわかっちゃいないんだ。あの王子が君と釣り合う部分があるとすれば、せいぜい年齢くらいと言ったところで、見目も性格も心の美しさも、君の足元にも及ばないような男なのに。

 

 僕は、泣いて君に縋ったね。どうか、考え直してくれ、他に道があるはずだ、と。でも君は、いつも通りの優し気な笑みを浮かべて首を横に振るだけだった。私なら大丈夫、いつかどこかへ嫁ぐ予定が少しだけ早まっただけなのだから、と。


 君と隣国の王子の婚約によって、二国間の戦争に終止符が打たれた。もっとも、両陛下の一人娘である君が隣国へ嫁いでしまうのだから、実質この国は隣国に吸収される形になるのだろうけれど。


 結婚式は、真冬の聖なる日に行われることになった。日に日に積もる雪を窓から眺めては、君はいつもと変わらぬ微笑みを浮かべていたね。君はこれからこの国のために犠牲になるというのに、どうしてそんな表情が出来るのだと、腹立たしく思った僕のほうこそ恐らくは人間らしかった。


 結婚式を翌日に控えた夜、君は最後のお別れだと言って僕を呼び出したね。この国でいずれ騎士団長を務める予定の僕は、当然君にはついていけなかった。幼馴染として、君なりにけじめをつけようとしたんだろう。でも恐らくその判断は間違いだった。


 明日、君は、死よりもひどい世界へ身を堕とす。そう思ったときには、僕は君の手を取って走り出していた。その様子は何人かのメイドや侍女に目撃されたが、僕らが幼馴染として兄妹同然にも過ごしてきたことを知っている彼らは、僕らに憐れみの視線を向けることはしたけれども、誰も止めはしなかった。君もまた、珍しく強引な態度を見せる僕を面白がって、薄着のままついてきてくれたね。


 城のすぐ傍にある、小高い丘の上まで来て、僕らはようやく足を止めた。しんしんと雪が降り続いていたけれど、走ってきた体には不思議と寒くなかった。君は外気の冷たさと走った後の熱気に頬を赤くさせて、呑気に思い出話をしていたね。そう、ここは、幼い頃から僕らが日々を過ごした思い出の場所だった。綺麗な、温かい思い出ばかりが積もる場所。


 そう、だから、君も僕らの思い出も綺麗なまま終わるべきなんだ。死よりも残酷な世界を目にして、君が壊れることは目に見えている。たとえその姿を目にすることはなくとも、隣国に嫁いだ王女の噂などどうしたって耳に入るだろう。僕はそれに耐えられる自信はなかった。


 別に、君に相応しいのは僕なのに、とか、そんな浅ましい感情はない。君に相応しい人なんて、恐らく神様のいる場所にしかいないんじゃないかな。だから、僕は送ってあげることにした。君は、この醜い世界で生きるにはあまりに綺麗すぎたから。


 毎日訓練で握り続けたこの剣を、君に向ける日が来ようとは思わなかった。君を守るために、今日まで訓練に励んできたはずなのに、何だか笑ってしまうね。ああ、でも、これはあくまで僕の自己満足だけれども、見ようによっては君を守ることに繋がるんじゃないかなあ。


 君の胸を切り裂いた時の感触は、今も嫌なくらいに蘇ってくる。ゆったりとしたドレスが赤に染まっていく光景を僕はぼんやりと眺めていた。


 君は、血を吐きながらも笑っていたね。そう、最後まで、君は笑っていたんだ。そして何を思ったのか、君はただ、ごめん、ごめんねと繰り返していた。次の生でもきっとまた、私と一緒に遊んでねと、子どもみたいに呑気なことも呟いていた。


 君はもう、この世界には生まれてこない方がいい。そう答えた僕の言葉は、果たして君の耳に届いていのか分からないけれど、間もなくして君は深い眠りについた。静かに閉じられた瞼は本当に眠っているようにしか見えなかったけれど、やがて白い雪が君の頬に積もり始めたのを見て、僕はようやく君の命の灯が消えたことを悟った。


 まあ、消えたというより消したんだけど。皮肉めいた笑みを浮かべながら、彼女の頬に積もった雪を払う僕の指は震えていた。


 これで、良かったんだよね。美しい君を守るには、この結末しか無かったんだよね。

 

 言い聞かせるように語り掛ける僕は、もうどこかおかしかったのかもしれない。ただ涙と笑みが止まらなかった。


 これしかなかった。これでよかった。僕にはこんな結末しか導けない。


 心配しないで。僕だけのうのうと生き続けるような野暮な真似はしない。そもそも、君がいなくなったこの世界は、まるで空気が無くなってしまったかのように息苦しいんだ。


 僕は君の体から手に馴染んだ剣を引き抜くと、自分の喉元にその剣先を当てた。次の瞬間には、おびただしい量の赤が噴き出して白い雪に飛び散る。人生の最後に、そんな鮮烈な光景を目に焼きつけながら僕は一人笑った。


 大丈夫、誰が何と言おうと、これはハッピーエンドだ。


 言い聞かせるような言葉だったが、それだけは紛れもない真実だ。天使を神様のいる場所へ帰しただけ、それだけなんだから。もっとも、僕は二度と君の姿を見ることは敵わないのだろうけれど。


 業火に焼かれながら、祈り続けるよ。


 どうか、君も僕も、二度とこの世界に生まれ落ちませんように。

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秋桜のお題箱 染井由乃 @Yoshino02

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