終話 異世界の木の下で

 屋敷の地下室に、僕たちはいた。

「その魔法陣、合図するまで触るでないぞ」

「分かってますってば」

 イサさんは、今日もとの世界へ帰る。これで世界に平穏が訪れる。万歳。

「晩御飯どうしようかと思ったけど、助かったわー」

 当の本人は、ちっとも感慨深げじゃなかった。隣の家へお茶を飲みに行ってきた、その程度にしか考えてなさそうだ。

 最初に乗ってきた乗り物には、来た時と少しだけ違う荷物。イサさんが持ち込んだ食材はとうの昔に料理されちゃったけど、近所のおばさんたちが「餞別だ」って言って、いろんなものを渡してた。それが山ほど入ってる。

「帰ったらこれで、急いで晩御飯作らなきゃ」

 本当におばさんって生き物は、どうしてこう現実的なんだろう? もうすこし情緒とかを理解すればいいのに。

 師匠の長い長い呪に反応して、魔法陣が光り出す。

「イサさん、行きますよ」

「はいはーい」

 緊張感のカケラもない声で、おばさんが返事をした。

 一歩、踏み出す。

「わー、帰ってきたー」

 そう言うイサさんの声が、遠く聞こえた。

 目の前に広がるのは、想像を絶する異世界。

 近くにあるのは、たぶん家だろう。でもどれも二階建て三階建てで、何部屋も中にありそうだ。遠くの建物はどれも塔のように高くて、もっともっと大きくて、空を遮るようにいくつもいくつも建っている。

 でもいちばん目を奪われたのは、薄桃色の木。僕が今いる広場と、その周りに続く道のどれも見渡す限り、薄桃色の花で覆われた大木が植えられてる。

「きれい、ですね……」

「桜、きれいでしょ。ちょうど満開ね」

 夕闇に浮かび上がる、一面の薄桃色。見上げる大木は、空までも薄桃色に染めていた。

 そよ風が吹いて、はらはらと花びらが散る。

「一年でいちばん、この国が綺麗な季節なの」

 言いながらおばさんが大木の一つに歩み寄って、「本当はいけないんだけど」と言いながら、下のほうの花の房を、ひとつだけ摘んだ。

「はい、おみやげ」

「ありがとうございます」

 僕の世界には存在しない花。きっと師匠も喜ぶだろう。

 でもこの夢みたいな景色を、信じてくれるだろうか? それ以前に、想像してもらえるだろうか?

「――さ、帰らなきゃ。子供たち待ってるし」

「そうでしたね。僕も帰ります」

 イサさんが乗り物に乗る。金具にかけられた足が踏みこまれて、勢いがつく。

 夢のような薄桃色の中に、その後ろ姿が消えていった。

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召喚呪文「おばさん」 こっこ @kokko_niwa

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