最終節
1
――久方振りに、青空を見た気がした。
「……、」
最初に思った事は、とても綺麗だったという事。
澄んだような蒼に、真っ白い雲がゆらゆらと気持ちよさそうに浮かぶ。
ただ、それだけの事なのに、唯、どうしても、懐かしかった。
久々な青空だと、そう思って止まなかった。
でも、何故だろう。
余りにも澄み切った空は、眩しくて、痛かった。
初めて、涙を流したような気がした。
2
「痛てっ」
全身が、痺れるように痛む。
シロは、大地の上で寝転び、空を眺めていた。
(……あれ? 俺って)
ここまでの記憶が、ゆっくりと浮かび上がる。
そうだ、気絶していたんだ。
出し切って、絞り切って、そのまま倒れたんだ。
「……っっ!?」
突然、躰を起こそうと無理矢理全身に力を入れる。
だが、激痛が走り、思う様に動けなかった。
「おや、起きましたカ?」
頭の先で、声が聞こえる。
動かない躰を余所に、頭を上げて、地平線の先を見れば、何処かで見た事のある黒いふさふさの髪が少し離れた場所で靡いていた。
「何だ、生きてたんだ」
「おや、酷いですネ」
「別に」
淡々と、吐き捨てられた会話。
ただ、それが当たり前になってしまっていたのか、彼はハッと我に返る。
「……ッッッ?!」
そしてまた躰を起こそうとして、痛みが全身を走った。
「君は学ばないんですカ?」
「……ッ、うるせぇ」
「安心して下さイ。僕も動けませんヨ」
同じように寝転んで空を見上げる黒かばん。
供給されないサンドスター・ロウ故にか、激しい疲労感が躰を支配し、同じく満身創痍だった。
「だから、トドメを刺すなら今だと思いますけド?」
「安心しろ。俺も動けねぇ」
シロは踏ん反り返るように吐き捨てる。
もう、そのトドメを刺す気力も失せ、何処か投げやりな口調に変わっていた。
「おや、僕という脅威は排除されていませんガ?」
「もうイヤなんだよ。つか、適う事ならかばんちゃんの膝枕で起きたかった!」
「何ですかそレ……あ、聞きたかったんですけど、貴方って結局何処のフレンズ? あー……ハーフなんですカ?」
「あー……」
シロは、今となって思い返す。
始まりにした会話を。
「僕個人としてはどうも嘘を言っているようには思えないし、かといってかばんも孕んだ様子もありませんシ」
「お前の口から『孕んだ』とか聞きたくなかったんですけど……」
「僕にはそういう経験が無いので、気になっちゃうんですよネー。知的欲求?」
「経験あったらあったでやりにくいわ! ……つか、お前はかばんちゃんと違うし、お前みたいな奴を好きになる奴の事が解らねぇよ」
「意外と居るんじゃ無いですカ? そういうマニアックな性癖の持ち主」
「マゾヒスティックな奴がお好みか? 部屋血だらけでも足りねぇな」
「豚は家畜で十分でス♪」
「マジで鬼畜だなお前!!」
大きく溜息を吐き捨てるシロを余所に、ケラケラッと笑う黒かばん。
だが、その笑いも止むと、彼女はもう一度問いかける。
「殺さないんですカ?」
「面倒臭い!」
「うワ。断言しちゃっタ」
「つか、別に生死で勝負なんて決まるもんでも無いだろ」
「エー……」
「と云うか、何? お前はお前で死にたがり願望とか在る訳?」
「それなら自殺してますよ既ニ。そうでは無く、貴方は勝者ですヨ? 貴方にとって脅威だった訳ですし、早めに消して置く方が身の為でハ?」
「ま、別世界の住人の身だし、そういう他人の世界を喰っちまうような事って……正直良いのかどうか」
「あ、やっぱ違う世界の住人だったんですネ。え、何? 僕居まス??」
「グイグイ来んな!! そして居ねぇよ!! ……まあ、そうだけどさぁ……つか、話を戻すにしてもだ。俺はお前を殺す気なんてサラサラ無い、以上!」
「ハグラカサナイデクダサーイ」
「……結局お前は真面に会話する気あるの?」
呆れるように溜息がまた彼の喉奥から吐き捨てられる。
だが。
彼は痺れが引いてきた躰を起こし、再び彼女の問に返しを告げた。
「正直、お前に良い子になれとか、そんなお人好しな事はするつもりねーよ。お前を殺せたら、確かにあの子達も笑っていられるんじゃねーかなっては思う」
「なら何故?」
「……なんつーかな。尊重したいんだよ。この世界のかばんちゃんの事を」
「……、」
チグハグな彼の言葉に、彼女は何も言わず耳を傾けるだけだった。
「お前の事は殺したい程憎いよ。色んなフレンズ傷付けて、何でそんな笑ってられんだって痛ぶり殺してやりたい。でも、それって結局さ。他の奴も同じような事考えてると思うんだ。でも、かばんちゃんはそうしなかった。態々お前がこうして生き返る道を作った。何でかは知らねーよ。正直、自分の心が腐ってる証拠なのかも知れない。けど、ここで殺したら、全てが意味を無くしちまう。だからこうした。唯それだけだ」
「……ハァ」
黒かばんは、変わらぬ呆れた声で吐き捨てる。
「正直あの僕の考えてる事が解りませんヨ」
「俺もさ。俺も、それが解らないまま、片腕を失ったんだ」
解らない事だらけだ。
それでも、シロは何となくでも、それでも思う。
「でもさ、それが“らしさ”なんじゃねーの? 一人一人、個人個人が持つ考えって言うかさ。だから誰かの考えてる事が解らないから、確かめ合う。多分、そういう事だよ」
「詩人ですか?」
「なっっ?! 俺今良い事言った!! 良い事言ったんだけど!?」
「自分で良い事だと思ってる奴はロクな奴が居ませんヨー」
「あー……釈然としねぇ……!!」
何処か口調が荒っぽいシロ。
彼なりの本音なのだろう。
突如。
シロの胸の中心から、光が漏れる。
「おぅぇえっ?!」
なんとも言えない声を上げるシロ。
光は彼の胸から飛び出した。
それは、欠けた歯車。
歯車はギュルンギュルンッ!! と回転すると、その空間に穴を開けた。
「……時間らしい」
シロは、小さく呟いた。
「そーですかさっさと行って下さい君が居ると僕の計画がボロボロになります迷惑ですさあ早ク」
「最っ後の最後まで辛辣なのねお前……」
呆れた声を吐き捨て、唯それでも小さく微笑み彼は立つ。
そして。
「じゃ、行くわ」
「はいはイ」
「ハァ……、ま、少しはマシになれよ?」
「えー、審議を深めた後~、可及的速やかニ~」
「出来の悪い官僚答弁はやめてくれ!!」
最後の最後まで締まらぬ会話。
だが、シロはその最後でも、呆れたように微笑み、告げた。
「またな」
空間の穴に駆けだし、飛び込む。
彼がその穴に入り込んだ瞬間、空間の穴は閉じた。
瓦礫と、腐食した木々と、相反するような綺麗な青空。
白い雲がプカプカと優雅に浮かぶ。
彼女は彼の言葉に返す事も無く、寝転んだ躰をゆっくりと起こして、吐き捨てた。
「馬鹿みたいですネ」
そして。
彼女もまた。
その果てに何を望むかも見定められずに、自分の道を歩み出した。
3
「よっ……と」
亜空間の穴を抜け、シロは再び己の世界に足をつける。
彼が振り返れば、通ってきた穴は閉じ、差し伸べた手元に歯車が落ちる。
パキィィッッ!! と歯車は割れ、手の中で歯車は消えた。
「ありがとな……」
光の粒子と成り消失して行く歯車を眺め彼は物思いに更けていた。
だが。
「……あ?! 待って今何日!? つか、本当に俺の世界だよね!?」
突然慌て始める。
あたふたと喚きながら、彼は山を駈け降り始めた。
「か、かばんちゃ~~~ん! 俺のかばんちゃ~~~~~~~~~~ん!!」
猛スピードで駆け抜けるシロ。
その後、下山した先では彼女と再開するのは、言うまでも無い。
日にちも変わらず、先程出て行ったシロに目を丸くし驚く彼女だったが、それでもそんな彼を優しく包み込んだのも彼女だった。
「お帰りなさい、シロさん。ほら、お腹の中で赤ちゃん達がお父さんの帰りを喜んでますよ」
かばんは、シロに耳を当てるように促す。
中では微かにコツンッとお腹を蹴る将来の子供達の産音が響いていた。
産声が聞こえる。
いつか産まれてくる、将来の子供達の小さな生きている音が聞こえてくる。
「あぁ……本当に、本当に……ただいま」
彼は、涙流しに告げていた。
帰ってきたのだと、戻ってきたのだと。
そして、自分が本当に父親になれるのだと、再確認して。
――おかえり。
4
そして、もう一つの世界では。
「ねぇねぇかばんちゃん! またシロちゃんに会えるかな?」
サーバルが上機嫌で彼女の隣で微笑み語る。
あの小屋で一晩を越え、快晴の空に笑顔を映し歩む少女達。
「きっと会えるよ。シロさんにも、他のフレンズさんにも♪」
「そうなのだ!! アライさんが早速見つけてくるのだ~~~!!」
アライグマがかばんの声に同調するように、突如駆けだした。彼女の突飛な行動に目を丸くする二人は、驚きの声を上げる間もなく見えなくなってしまいそうな彼女を追いかける。
「アライグマ~~!! まってってばーー!!」
「ま、待って下さ~い!!」
「気長に行った方が良いよ~アライさ~ん」
「のだぁっ!?」
彼女達は予想していた。
そして、的中した。
盛大に顔面から転ぶ彼女の姿が。
「のだぁぁぁ~~……」
「もう、大丈夫?」
「あはは、フレンズさんは逃げませんよ。きっと、この先で色んな方が待ってくれてますから」
かばんは、彼女に手を差し伸べ、立ち上がらせる。
そう。
なにも、彼女達の冒険は終わってない。
きっと、この先にまだ見ぬ出会いが待っているはず……そう、信じている。
何故なら、ここはジャパリパーク。
多くのフレンズと触れ合える、そして楽しみ合える、最高の場所。
きっと、大きな不幸があったとしても、皆で立ち向かい、明日の笑顔を勝ち取れる。
そう、信じて……。
……居たはずなのに。
「……、」
フェネックは、一番後ろで彼女達と共に歩んでいた。
時折悩ましい顔を見せる彼女だが、その顔を彼女達の前で上手く隠しつつ、そして考えていた。
(――彼所に居たのは、誰だろう? あんな服、見た事が無い)
5
事件は、まだ序章に過ぎない。
6
黒かばんは、崖を登り、木々を抜け何処かに歩んでいた。
ただ、何処という決まりは無い。
立ち止まる事も面倒になり、やり場の無い感情を何処かにぶつけたいような感覚だったのかも知れない。
モヤモヤと、奥底で蠢く何かが、彼女の思考を掻き乱していた。
だからこそ。
失念していた。
ズバァァッ!!
突如、躰に衝撃が走る黒かばん。
ゆっくりと、俯くと……そこには胸から伸びている手があった。
否。
正確には、背後から何かに腕ごと突き刺されていた。
「……………………………………………………ァッッ?!」
声が、出ない。
恐怖では無い。
だが、言い知れぬ何かと、まるで気管を防がれたような膨れ上がる不快感が彼女を襲っていた。
『……人に近づき過ぎたな。傀儡の分際で』
「何……、者ッだ……ガハッ!?」
ズブリッと、腕が引き抜かれる。
身体の奥で不快感が止まらない彼女は、前のめりに膝を突き、穴の空いた胸を押さえ苦しむ。真面な呼吸すらままならない人間のように、呻きながら、彼女は背後にいた何かを睨み付けた。
瞬間だった。
「……ァ」
記憶の奥から……嘗て奪った密猟者の知識の中から、押し流れてくる風景があった。
その光景を目にし、その風景を思い返し、彼女は……震えた口で何かを言おうとしていた。
「……ァ、――?」
『あぁ、その様な名前も持ち合わせていたか……いや、お前達の主の名を出せぬのであれば、最早それまでよ』
彼女の奥底の引き出しから現れ出でる、その風貌に錯覚してしまい連結する記憶。だが、その記憶とは違う箇所が一点。奴の右腕がどうにも不格好だった。
その腕その物が衣服から剥き出し、まるで肘から先を別の誰かの腕に付け替えたような、妙に引き締まり、傷跡が痛々しく残る右腕。微かに腕には歯車のような波紋が見え隠れしているが、それは断じて奴の腕では無かった。
だが、戦利品のような腕を見せびらかすような、だが、まるで無気力そうにゆっくりと右腕を黒かばんへと向け、吐き捨てる。
『さて、出来損無いよ。貴様の出番は終わりだ。終えた舞台にぬけぬけと顔を出す事をするな。醜いぞ』
重みが、違う。
言葉の重みが、彼女を押し潰すかのようにのし掛かる。
恐怖。
まるで、今まで感じる事の無かった感情が、一気に噴き上がる。
だが、迫り上がる不快感が、ゆっくりと彼女の意識を刈り取り始めた。
声が、聞こえた。
『さて、我々の計画も大詰めへと進む。善い役者を演じたぞ、木偶人形。では、終わりを与えよう』
彼女に向けた右腕。
奴は、意識の糸が切れかけそうな黒かばんに向かって、吐き捨てるように言い放った。
『真なる終焉を望むか?』
奴がそう、一言はなった瞬間。
世界は大きく歪んだ。
7
何処かの世界。
その世界の少女は、突然振り返った。
だが、その先には誰もいない。
なのに、何かが聞こえた気がした。
梟のような様相で有りながら、その髪や服は蒼という、余りにも異質な姿。
そんな彼女は、己の勘違いかと首を傾げ、そして……。
羽ばたいた。
蒼い羽を、鏤めて。
第二作へ 続く……
白き太陽と影の怪物 甘味しゃど @Shadow_Kanmi
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