第三節

   1


 ガクンッ!!

 膝を付くシロ。

 全身からサンドスターが抜け、体内が空空に近い状態だった。頭からつま先まで、全身に至る関節が痺れている。

 出し切った。


 息を絶え絶えに、流れる滝汗と共に笑みを浮かべる。

 もうこれ以上頭も回らない、躰も限界だ。本当に、本当に全て出し切った。真に彼の表情はそれを物語り、躰の血の気が薄れ息が絶え間なく途切れる。


 ――だが。


「……まだダッッ!!」

 土煙の中から、声が聞こえた。


 背筋に寒気が走る。

 目を開いて、ゆっくりと振り返った先……土煙の中から出て来たのは、二本足で何とか地面を踏み締めている、華奢に見える少女。

 それも、先程までの強化形態では無い、あの時初めて目にした姿。


 戻っている。

 彼女のあの暴力的な力は、供給過小により断絶されていた。

 更には、彼女も同じくギリギリなのだろう。セルリアンの筈が、まるで息絶え絶えの人間を、本当にシロと同じような出し切った表情だ。


 彼の蹴りが彼女を貫いた瞬間、彼女はきっと自身の核へのダメージを寸前で回避し、残りの全てを修復につぎ込んだのだ。

 故に、両者力は枯渇し、真に限界寸前。


 シロは、歯を噛み締め睨み付ける。

 黒かばんは、ダランと垂らした腕と上向きの顔を、キッと彼を睨み付ける。


 まだ、終わってない。


「やっぱ強いな……テメェッ!!」

「しぶといのはお互い様でしょウ」

 シロは、立ち向かう。

 黒かばんは、歩を進める。


 一定の距離で立ち止まり、互いの顔を睨み付けていた。

「振り出しに戻っただけですよ、互いニ」

「そうだな……悪ィけど、俺もやっぱ考えは変わんねぇよ」

「それもお互い様ですネ。僕も、この想いを挫かせるつもりはありませんヨ」


 再確認した。

 この二人の芯は、決して柔では無い。

 強固で、不屈で、頑固で、折れ所の無い真っ直ぐな欲望。


 何度決着が付いても、相手が生きている限り、闘争が終わらない。


 だが、

「でも、これは聞いておきたいんですヨ」

 華奢な少女の姿をした黒い影が、小さくぼやく。

「オマエは、まだ僕を否定しますカ?」

「……ああ、するよ」

「その先に、未来が無いとしても?」

「お前が言えた事か?」

「ハッ! ……でも、貴方だって、ゼロじゃ無イ」

「だろうな。若しかすれば、お前に勝ったとしても、明日俺は絶望し、心を失っちまうくらい重い物を背負っちまうかも知れない」

「なら、尚更僕の考えに乗りませんカ? その重い物を背負わなくても良いんですヨ」

「尚更乗れないんだって、それが……」

 黒かばんにとって、彼がそう返す事は解って居る。シロは、絶対に今の幸せを手放す事は無い。なぜならば、それは、幸せが如何に大事で、愛おしく思えるか……知っているから、こそ。


 だから。

「やっぱリ……僕らは解り合えませんでしたカ」

「解りきってたんじゃねーのか?」

「そうですネ」

 一瞬、彼の目に何かが見えたような気がした。


 ただ、その一瞬の何かの直ぐ後には、黒かばんは拳を握り此方へと歩み始めていた。


(敵は一匹。小細工は力押しで揉み消されル)

(奴は一人。力押しも技術で受け流されちまう)


(躰の中に残っているロウも、もう使い物にならなイ)

(残ってるサンドスターも、頼りにならない)


(敵を仕留められる物は、己の身、一ツ)

(本当の意味での、個人の力の戰い)


(だかラ)

(だから)


((真正面から、最初の一発ッッ!!))


 轟ッッッ!!


 拳が、互いの頬に衝突する。

 どちらも喰らい、だが揺るがず。

 だが、黒かばんは直ぐさま反対の拳を彼へ向けた。彼では出来ない、ついの拳による追撃。


 ゴッッ!!

 シロは、避けずに喰らった。

 だが、不動。

 頬が潰れながらも、グググッと押し返し、再度片腕を振るう。


 彼女の頭上高く振り上げ、彼はバゴォォォッッ!! と叩き落とす。

 脳が揺れ、黒かばんは一瞬意識が遠退く。それでも彼女は意識を繋ぎ止め、彼の腹部目掛け渾身の蹴りを放つ。

「ガッッ!?」

 溝下に喰らった蹴り。

 だが、彼は足を踏み締め、撥ね除ける。


「くッ……全ク」

 彼女は、まるで彼に同調するように不敵に笑む。

 怪しい笑みとはまた違う。己の疲労を隠せない状態にまで追い込まれた彼女にとっては、不本意なのかはまた解らない。

 だが、余裕を演じるように吐き捨てている。


 それも、その筈だ。

「何故、核を狙わないのですか?」

「……あ?」

「僕はもうあの状態じゃ無イ。であれば、石を守る装甲を貼れない事はもう解っているでしょウ?」

「ああ、わかってるさ」

「なら何故?」

「お前はさ、この戰いに何を求めた?」

「解りきった事でス。意思の勝利、それだけですヨ」

 そう、それは互いの意思の通し合い。


 この決着は、どちらかのとなる。


 だからこそ、最も効率よく勝利を獲得するなら核を狙いセルリアンとしての意地を砕けば勝てる。

 でも。

「だけど、それは張り合いじゃ無い」

「張り合い、じゃなイ?」

「俺はさ、意地の張り合いとか、男同士のぶつかり合いとか、仁義の戰いとか、正直そういうのって、真っ向からのぶつかり合いだって気がするんだ。けど、そこにさ、一方的に急所を狙う戰いとか、タイマンを張るのに片方が銃火器持ち出したりとかさ、俺に取っちゃ意地も何でも無い唯の一方的な殺戮さ。正直お前が意思のないセルリアンだったら、簡単に核狙ってサッサと倒せば脅威は終わるだろうけどさ……けど、違うだろ? お前はお前の意思が在って、俺は俺の突き通す意地がある。きっと、こうすれば勝てるだろとか、そういうヤジは要らないんだ。そんなの面白くも何ともない。だから、俺は核じゃ無くて、お前の心を挫かなきゃ勝った事にはならないんだ。だから、お前の心挫かなきゃ、俺の心が挫けちまう」


 相手に勝つ。

 きっと、誰もが効率で考え、勝てるだけの武器と戰術を持って戰う事が当たり前だろう。そうで無くても、相手は脅威その物だ。同情など必要なく、脅威は排除するべきだ。でも、それではたった一瞬の幸福にしかならない。今回の事が二度と起こらないように、今回のような事が繰り返されないように、その根本を折らなければいけない。

 そして、それは心の戰いでもある。

 相手の意思を挫けなければ、相手が正当化しようとする世界は何度とも無く押し寄せる。


 だから、故に何度でも彼等はその心に思うのだ。

 これは『意思の戰い』だと。


「あァ……甘ったル」

 ただ、そんな彼の言葉に彼女は軽く吐き捨てるように鼻で笑った。

「何とでも言ってろ」

「そんな言葉で同情を買えるとでも思ったのかイ?」

「お前の同情なんてティッシュに丸めてゴミ箱に捨ててやるさ」

「なら、そんな意地を通す必要ないじゃないですカ」

「意地って言うのは、効率で考えられる程単純じゃないんだよ」

「馬鹿馬鹿しイ」

「ごもっとも」


 次の瞬間、彼等の拳が衝突した。


   2


 最後の激突が、始まる。


 拳が衝突し、足が相手の腹にめり込み、頭が顔面に衝突し、全身が相手への武器となる。

 躰の一部も余さない、攻防が連鎖する。


「オラァァッッ!!」

 シロの拳が振るわれる。

 だが、黒かばんは飛び退き、地面を打ち砕くその衝撃を回避する。


 手元に転がってきた石コロを彼女は拾い上げて投げれば、シロは手で払い除け接近した。


「……ッッ」

 彼が払い除けた一瞬で彼女は距離を詰め、彼よりも早く拳を放つ。

 華奢な少女とは思えない拳が、彼の喉に直撃した。

 気管が閉ざされ、苦しむシロを余所に彼女は躰の回転を活かして両手を握りしめ頬を殴り飛ばす。

 シロの躰が大きく仰け反り、立ち眩む。

 追撃を逃さず、彼女は鳩尾に向かって指先を尖らせて放とうとする。


 だが、それよりも早く彼の足が彼女の手を弾く。

 意識を繋ぎ止め、彼は直ぐに再起する。


 だが。

 黒かばんは彼の襟元を掴み掛かり、今度は引き寄せ頭を彼の顔面に撃ち放った。

「ガッッ?!」

 鼻に直撃し、赤黒い液体が鼻から飛び出す。


(まだだっ!!)

 シロは、数々の痛みを堪え、黒かばんの躰を蹴り上げる。

 バゴンッッ!! と彼女の腹部に炸裂した蹴りが、その勢いのままに彼女の躰を空中高く跳ね飛ばす。

「…………ァッッ?!」

 彼に続いて、彼女もまた意識が飛び抜けそうになる。

 だが、直ぐさま持直し、地面に四肢四点を使って着地する。


「……ッ!」

 鼻血を拭い、喉の奥に指を突っ込み気管を確保する。

 嗚咽交じりの声を吐き捨て、再度構えた。


 黒かばんは足を踏み締め、飛び出す。


「……ッッ?!?!」

 飛び出そうとした黒かばんが、突如失速する。

 何とか踏み締めその場に立ち竦むが、その突然の出来事に混乱を起こし、そして実感していた。


 シロも、同じくだった。

 ガクン……ッと、構えていたはずが、目眩に襲われ崩れかける。

 必死に足を踏み締めるが、それでも実感する。


 限界が近い、と。

 シロはそもそも人間としての体力が限界であった。サンドスターも枯渇し、フレンズ状態が最早気力だけで繋ぎ止めている状態だ。

 黒かばんはセルリアンであるが、無論サンドスター・ロウを過剰にまで使い果たしていれば、起こる事は必然の現象だった。人で言う疲れるという状態が、皮肉にもこの瞬間実感してしまっていたのだ。


 でも。

 それでも。


 決着はまだ付いていない。

 なら、悲鳴を上げる足を叱咤し駆け出すだけだ。

 困窮する肉体を無理矢理に動かし、貫き通すだけだ。

 気迫を放ち、己を鼓舞するだけだ。


「まだ、終わってねぇぇぇッッ!!」

「まだ、勝っていませンッッッ!!」


 拳が、彼女の頬に衝突する。

 蹴りが、少年の腹部を貫く。


 互いに互いの一撃を喰らい、仰け反る。


 足が震える。

 目眩が為る。


 躰が、悲鳴を上げる。


 これ以上続ける事は困難だ。

 そう、声を荒げてからだが訴えてきている。


 知った事か。

 ここで勝たなければ、意味が無い。


 だから。


「ウォォォォォォォォォォォァァァァァァァッッッッ!!」

 シロは、咆哮を上げる。

 全身の最後の一滴までサンドスターを絞り出し、野生解放を最大にまで高める。


「ハァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!!」

 黒かばんが、声を上げる。

 全身を構成するサンドスター・ロウを最大限に活性させ、身体能力を極限まで高める。


 解って居る。

 決着は、今。


 ――決まる。


 ダンッッッッ!!


 駆けだした。

 二匹の猛獣。


 黒かばんは、拳を振るい上げる。

 シロもまた、片腕しか無い腕を振るい上げる。


 直前まで辿り着き、振り下ろす腕は風を切り、風圧が金切り音を上げている。


 彼等の拳は、その接触点にて、衝突した。


 轟ッッッッッッ!!


 拳が拮抗する。

 もう次の手など考えていられない。

 これを押し切れば勝ちだ。

 力を乗せ、相手をこの一撃で組み伏せる。

 唯それだけを考えて、拳がその中点で火花を散らす。


 ――一人を、除いて。


 バッッ!!

 突如、シロから力が抜けた。

 拳を合わせていた黒かばんが、突然力を失った拳に目を丸くした。

(イヤ、違ッッ?!)

 気が付いた時には遅かった。


 嘗て、白き獅子は片腕を犠牲にした。

 大切な、愛する者の元に返る為に。


 そう。

 その失った片腕には、失いきれない思い出が詰まっていた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」


 今にも消えそうな、半透明な――もう片方の腕。

 微かに維持された、今にも砕けてしまいそうな脆い腕。


 なのに。

 何故だ。


 真っ白になるような世界に、放り出されたような気がしてた……黒かばん。

 彼が隠し持っていた、最後の切り札を前に、彼の怒号さえも耳に入らず、唯迫り来る片腕を眺めるしかできなかった。


 ゴギャァァァァァッッッ!!


 白き獅子は、その思い出を乗せて、渾身の拳を彼女の頬向けて振り抜いた。

 頬に衝撃が入ると同時に、彼女は走馬灯のようにその真っ白な景色の世界で、意識が薄れ行くのを感じた。


 あの時の勝敗とは違う、決定的に違う何かが、在った。


(………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぁ)

 プツンッ! と、意識が途切れた。


 躰が地面に打ち上げられ、地面を少し削る。

 横たわったその華奢な躰は、もう立ち上がる事はなかった。


「――、」

 倒れそうな躰を、何とか必死に立たせるシロ。


 勝者は決まった。


 そして、それはまるで天啓のように、彼等の先では朝日が昇り始める。

 朝日が勝者を照らす。

 彼は、粒子となって消えゆく片腕を空に向けた。


 そして……、


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 勝利の咆哮を上げた。

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