第11話

 絢爛武闘会のイベントがあった後は、皇居階下に大勢のプレイヤーたちが集まる。

 蛇の曜日が終わったあと、今回の戦闘の様子を観戦するムービーが配布されるのだ。


 生産職はこういうムービーから画材を得るので、戦闘とは縁遠いプレイヤー達もいる。


「ほんとうだ、一体なんでミウちゃんが……」

「誰なんだ、この男」


 離れたところで木の下に座り込んでいたアマネは、ピンク色のウィンドウを閉じると、王宮の方を見上げた。


「やっぱり、レヒトは最強」


 ふすー、と鼻で息をして、なにやら自慢げだった。

 レヒトが最強になったのは、半分は彼女のサポートのお陰なのだが。


 戦闘の結果を見ていたレニの表情は、すぐれなかった。

 本来ならば、完全なデータを集めておこなった計算結果がずれることはあり得ない。


 それが、なんらかの影響で、未来予測がずれてしまった。

 マギーが現れるなど、予測もできなかったことだ。

 いったい何が影響して、亡霊は立ち現れているのだろうか。


「……ひょっとして『心理エンジン』は、完全な乱数を生み出せるの? 人間の脳波を利用しているから? だとしたら……」


 そのコンピュータは未来予測ができない。

 未来予測ができないコンピュータなど、存在意義そのものがないはずだ。

『パズズ』は、いったい何を企んでいるというのか。


「まだ何かくだらないことをしているのか、『攻略組』」


 そこに両足を揺さぶりながら、朱塗りの鎧を身につけた男が現れた。

 レニはその姿をみて、表情をこわばらせた。

『反攻略組』筆頭、尾塚令三。


 彼は日本刀を片手に、剣呑な空気で彼らを眺め渡していた。


「ようやく来たの」

「タレコミがあったもんでな、チーターがここで暴れまくっているっていう。チーターなら、このゲームを攻略してしまう可能性があるだろう」


 アマネは、ウィンドウを隠しながら立ち上がった。

 万が一にも彼らに『コンピュータ』の存在を知られてはならない。

『パズズ』のAIに取り込まれた人間は、むろん日本の警察機関にもいる。

 警察間で情報が共有されてしまうことは、避けなければならない。


「何度も忠告したはずだ、このゲームのプレイヤーは、すべて犯人に身柄を拉致されている人質だ。貴様らの身勝手な行為が犯人を刺激すれば……」

「誰もあなたたちに護って欲しいなんて言ってない! レヒトはこのゲームを攻略する!」


 レニの後ろに隠れながら、いーっと歯を剥くアマネ。

 レニもおおむね同意見だ。

 尾塚令三の表情がわずかにゆがみ、もはや義務的で仕方なく、といった風に刀を構えた。


「そうか、ならば今度こそ、お前たちを地獄送りにしてやる……始まりの石板の前に数十名の警官隊が配置済みだ、覚悟しろ」

「……なんか今日はテンションが低いなぁ?」

「きっと寝起きだからよ」


 レニはさりげなくリアル情報をもらしたが、それが事実だとは、よもや誰も気づくはずはなかった。


「尾塚のおっさん」


 そのとき、皇居からレヒトが姿を現した。

 クロムの鎧の上に、見覚えのない紫色のマントを羽織っている。

 外套は、上級戦士職のみが装備することのできるアイテムである。


「決闘ならもう一度、俺が受けて立つ……仲間には手を出さないでくれ」

「ほう」

「魔王と戦うのは俺だけだ。他のギルドメンバーは、一切戦闘に参加しない」


 レヒトが言った真実に、仲間たちは言葉を失った。

 だが、尾塚令三はその言葉を黙って受け止めていた。


「……要するに、『TAS』ってことか?」


『TAS』とは、コンピュータによってゲームを操作するプレイ技術の事だ。


 人間の手によるプレイイングとは区別される。

 どうやら尾塚令三は、レヒトがデータだけの存在であることを見抜いていたらしい。

 彼は目をすがめて言った。


「市井の取るに足らない噂を集めるのも警察の仕事でな……お前がプログラム上の存在、『デーヴィッド・スリングの亡霊』だったというのも、聞き及んでいる」


 尾塚令三は、キセルを取り出すと顔の前にかかげ、左に振った。

 キセルの先端から煙がもくもくとあがる。

 喫煙ができる嗜好品らしい。


「俺は昔、ロボット犯罪で現場をはっていたことがある。そいつらはちょっとしたバグやウィルスのお陰で、いつかどこかで、コロッと人間を裏切る」

「ああ……そうかもな」

「無条件に人間の味方をするロボットが存在するなんて、俺は信じない……貴様らロボットは人間とは相容れない存在だ。これ以上、人質たちに近づくな。いまこの場で、俺が排除してやる」


 尾塚令三は、キセルを振ってどこかに仕舞うと、通常装備の日本刀を取り出した。

 レヒトも仲間とのレベリングを通じて、日本刀の特性を理解していた。


 通常の両手剣よりもモーションのロスが少なく、片手剣よりも多い。

 極端な攻撃力を有し、防御よりも回避に特化している。

 だが、先に一撃さえ入れることができれば、戦闘はかなりこちらの有利に進められる。


「どうした……今回はデスマッチじゃないのか」

「…………」


 レヒトと真剣なまなざしを交わしていた尾塚は、ついに口を開いた。


「忘却の海より、『マリシテン』を召喚する!」


 空から降ってきた鎖が、じゃらじゃらと音を立てて地面に積もっていった。

 やがて、鎖はなにもない上空に引き上げられ、地面の底から巨大な石像を引き上げた。


 真っ赤な石像が引き上げられ、レヒトと尾塚の両者を見下ろした。


「いくぞ!」


 どちらからともなく、戦闘ははじまった。


 お互いにゲーム技術はプロ級だ。

 2人の姿は赤と紫の残像になって、複雑に地上を交錯しつづけた。


 一度交錯すると、あとは一発でも多くの手数を稼ぐだけだ。

 攻撃は一発もあたらない。

 お互いに顔と声が確認できる至近距離で、一撃必殺の乱れ撃ちを繰り出していた。


「レヒト、警察にもかつて、お前みたいに善良で優秀なロボットがいた。……だが、そいつらは突然、人間に牙をむく殺人マシーンになった。テロリストによるハッキングをうけたからだ。……そいつらは人類を滅ぼす一歩手前まで行ったが、自分の行いが間違っているなどと、微塵も思っていなかった。いまのお前と同じように」


 尾塚は、日本刀を振るいながら、レヒトに語りかけていた。

 おそらく、それは彼の本心だった。


「いいか、レヒト。『自分が間違っているかもしれない』と考えて、立ち止まって悩むことができるのは、人間だけだ。ロボットは違う、一度動き出したら、奴らは止まることが出来ない。お前は、本当にこの世界を終わらせるつもりなのか」

「その言葉、そっくりそのままおっさんにも返してやるよ……何が正しいかなんて答えは、みんなバラバラなのが当然だ。それがログアウト不能事件だ。本当の答えは時間が経過すればぐるぐる変わる、だが、たとえ変わったとしても、外にいる誰かが否定していい選択なんてどこにもない」


 レヒトも双剣を振るいながら、尾塚に言い返していた。

 言葉の途中でどちらかが死んで、最後まで聞き取れなくても構わない。

 だが、不思議なことに一発も当たらない。


「まっさきに死んだ仲間は、事件の後に誰よりも幸福だったと言われていたし、誰よりもたくさん殺した殺人鬼は、事件の後に英雄と呼ばれるようになるんだよ……真実が明るみになったいま、どちらか片方に統一しなきゃならないのは分かっているんだ。なのにどちらの答えも否定できないんだ。それがいま俺たちの置かれている状況だ」

「なるほど……貴様もそういうか、『経験した者にしか分からない』と」


 あの事件がいったい何だったのか。

 それは『経験した者にしかわからない』と、彼らは口をそろえて言う。


 尾塚は最初、その発言に眉をひそめていた。

 経験したことがない尾塚たちは、完全な部外者の扱いではないか。

 他者の入る余地がない自分たちだけのグループを構築して、変化や一般化を排斥しているだけではないのか。

 それが善だとは、尾塚にはどうしても思えなかった。


「俺にはログアウト不能事件に巻き込まれた娘がいる。俺は娘のいるVR世界に飛び込んでいって、娘を救ってきた。だというのに、あいつはもう今では口も利かなくなってしまった。あいつの体験した恐怖を、俺は理解してやることが出来なかった。だが、お前ならわかるというのか。『デーヴィッド・スリングの亡霊』なら、被害者のことも理解してやれるというのか」

「……俺は……」


 尾塚の指摘に、レヒトは言いよどんだ。

 レヒトは、自分がデータから生まれた、まったく新しい命だと理解していた。

 平穏なRPGの世界で、死の恐怖から徐々に解き放たれていった、朽木レヒトのデータをもとに作られた、別の個体だ。


 その中で、徐々に事件に対する価値観が変わっていくのを感じていた。

 本当にいま自分の中にある『デーヴィッド・スリング事件』のデータは、正しいと言えるのか。

 それは社会のフィルターが作用して善悪が入れ替わったのと同様に、人間のフィルターによって変質してしまった、なにか別のものではないのか。


「……俺は……それでも……」


 たとえ朽木レヒトとレヒトが話し合ったとしても、レヒトには彼の気持ちを理解することができないのではないか。

 つまるところ誰1人として、ログアウト不能事件が一体なんだったのか理解できない。

 わかるのは――。


「このゲームを、終わらせなければならない……!」


 レヒトの右手に、巨大な魔剣が出現した。

 マギーの振り回していた、建築物のような剣。

 楔皇クサビノオウだ。


「おおおお……ッ!」


 横に大きく振るうと、尾塚令三の周囲にいた警官隊の3割が同時に吹き飛ばされた。


「ぐぬうぅッ!」


『回避』の文字が浮かび、当たり判定はなかった。

 尾塚令三は荒れ狂う爆風に耐えた。


「当たれ……ッ!」


 地面を削りながら、真上に振り上げると、尾塚令三の背後にいた警官隊が人の海のように割れ、さらに3割が一瞬でロストした。


 だが、爆風の中心地にいる尾塚令三は動かない。


「おおおおおッ!」


 真上から、渾身の一撃で振り下ろした。

 それは剣の一撃というより、隕石の衝突のように、半径50メートルの巨大クレーターを地面に生じさせた。


 レヒトの手の中にあった巨剣は、やがてポリゴンの欠片となって消えた。

 どうやら本物のの楔皇クサビノオウも、プレイヤーが使うぶんには、30秒しかもたないみたいだ。


 気が付くと、警官隊は全員がロストしていた。

 だが、尾塚令三はクレーターの中心にいて、なおも立ち続けている。


 そのとき、尾塚の日本刀がひび割れ、足元に散らばった。

 どうやら攻撃を受け続けて、耐久値が限界に達したようだ。


 それを見て、レイナは「ちっ」と舌打ちをした。


「当たっているじゃないか……鎧に『クリティカル回避』をつけていたのか……卑怯だな」


 レヒトは、首を傾げた。


「『クリティカル回避』とは?」

「クリティカル攻撃が発生すると、ダメージを回避するスキルだ。マリシテンの効果で、すべての攻撃がクリティカルか失敗の二択になるので、実質100パーセントダメージを受けなくなる」

「よーするに、あれか! チートっちゅうやつか!」


 なにわは激昂した。

 レヒトは、驚いたように尾塚令三と顔を見合わせた。


「そうだったのか、尾塚のおっさん」

「万が一にも、俺が負けるわけにはいかんだろうが……」


 険しい顔をしていた尾塚令三だったが、レヒトの様子を見て、不意に眉をしかめた。


「おい、レヒト。どうした? どうして笑っているんだ、お前」

「笑っている? 俺が?」


 レヒトは、自分でも気づかないうちに笑っていた。

 顔を触ってみたが、どうも筋肉がもとにもどらない。

 にやけを押さえることができなかった。


「さあな、これが『人間らしい』というこということなのかと、そう思っただけだ」


 本当は、止まることのできない自分を止めて貰いたかったのかも知れない。

 本当にレヒトが助けたかったプレイヤーは、もうこの世界にはいないのだ。


 本当にレニを護りたいならば、攻略を諦めた方が近道なのかもしれない。

 むしろ、レヒトが攻略を目指せば、彼女の身は危険にさらされてしまうのだ。


 だが、それでも、世界を救う事を止められない。

 彼は自分に与えられた役割を、最後までこなさなければならない気がするのだ。


 レヒトは、アイテムストレージから剣を一本取り出すと、尾塚令三の方に投げ渡した。


「続きをやろう、尾塚のおっさん……お互いに、チートは抜きの真剣勝負だ」


 尾塚令三も、口の端に笑みを浮かべた。


「やれやれ……」


 レニは、呆れたように首を振っていた。


「レヒト君、あなたは戦闘民族かなにかなの?」




 2時間におよぶ交戦の末、レヒトはついに尾塚令三をくだした。

 尾塚令三の体力が尽きたのだ。


 普通の人間は、そこまで集中力を持続させることができない。


 尾塚令三は自分の限界に気づくと、自らその場に膝をつき、レヒトに剣を投げ返した。


「俺も10代だったら、そのくらいの集中力は発揮できる自信はあったんだがな……」


 尾塚令三は、それを歳のせいにした。

 レヒトがプログラムだからだとは、言わなかった。

 彼は、レヒトを自分と同じ『人間』として認めたのかもしれない。


 レヒトは、首をふった。


「おっさん、俺は自分で止まることが出来ないロボットだ」

「言い過ぎたな。『人間』にも自分で止まることができない奴はいるさ」

「おっさん」

「そいつが俺の制止を乗り越えて、先に行ってしまうのなら、俺は黙ってそいつを行かせるしかないと思っている」


 2人の様子を見守っていたレイナが、近づいてきた。

 その目は尾塚のことを気遣うような色を浮かべていた。


「おっさん、警察の義務はどうした」

「こいつは、男の義務だよ」


 子供のような理屈をこねる尾塚令三に対し。

 レイナは、ふっと笑ったのだった。


「老けたな、嫌いじゃないよ」




 魔王城の廊下は薄暗く、モンスターの気配はない。

 ボス直前の休憩ポイントは、2万人規模のプレイヤーが立ち並ぶことができるほどの広さだ。


 まるで身長100メートルの巨人の家に紛れ込んでしまったような気分になる。


 レイドボスである魔王の間の直前には、飛空艇で一瞬にして移動できるワープポイントが設置されていた。

 最奥の扉まで、レヒトたち以外のプレイヤーの姿はなく、雷鳴がただひたすら鳴り響いていた。


「あーッ!」


 とつぜん、なにわが大声で叫んで、一同はびくっと肩をふるわせた。

 どうやら彼女なりに緊張していたみたいだ。


「えっへっへ、なんか叫んでみたくなったわ」

「あーッ!」


 アマネもそれを真似して、めいいっぱい声をあげていた。

 レイナは、微笑ましいものを見つめる眼差しを彼らに向けていた。


「レニ……お前は大丈夫か?」


 含みのある言葉を向けられて、レニは表情をやわらげた。


 不安要素は多い。

 アマネの乱数調整が、完璧に機能しない。

 時間が経てば経つほど、未来予測にずれが生じる。

 それは、本当にゲームをクリアできるかどうかが賭けになることを示していた。

 恐らく、何度も再挑戦せざるを得ないだろう。


 リアル世界のレニは、ゲーム会社に潜入して、外からこの世界への干渉を試みている。

 その危険な試みが、果たしていつまで続けられるのだろうか。


「このゲームが終わったら、みんなに言わなければならないことがあるの」

「今は言えない事か?」

「ええ、ごめんね」

「そうか……レニは大丈夫なのか?」


 もう一度、レイナは同じことを尋ねた。

 レニは、大きく目を膨らませて、笑っていいものか困ったような、微妙な顔つきをした。


 彼女がレニのアカウントを乗っ取っている他人であることに気づけば、当然その向こうにある真実、本当のレニがログアウトしたことにも気づくだろう。


「レニ、お前、リアルのオヤジが眠っていることを知っていたんだよな?」


 レイナは、言った。


「夢を見たんだ……オヤジのよく飲むブランデーに女の子が睡眠薬をまぜている夢を。分量が分からなくて、瓶の中身ぜんぶ入れたところも」

「そう、下手をすると死んでいたところだったのね」


 AIによって操作されているリアルの肉体は、目や耳、皮膚の感覚で現実世界の状態をとらえている。

 その情報は、通常ならモーファードの五感サプレッサーによって上書きされ、脳に届く前に遮断されるものだ。

 だが、神経には確実に残るため、ゲーム世界で眠っているときにそれを見てしまったのだろう。


「夢の中で、私は元気そうだった?」

「ああ、元気にしていた」

「だったら、そういう事よ」


 レニは、落ち着いた声音で言った。

 レイナは、それで納得したみたいだった。


「私は、このゲームでお前たちと知り合えた事を誇りに思う」

「なんや、エンディングみたいなこと言わんといて、レイナちゃん」

「本当の事だ」




「いちおう、未来予測では25ターンであなたは魔王に勝つ」

「25ターンか、思ったよりみじかいな」

「レヒトが強いから仕方ない」


 だだっ広い休憩ポイントに、今はレヒト以外の人影はない。

 彼は送られてくるチャットの文章を確認していた。


「戦いが終わるまで、一切の通信はしない。ログも見ないで。このチャットを閉じたら、もう一度、最後のシミュレーションをする。レヒトは1分後に扉を開いて、魔王との戦闘を開始して」

「ああ」

「レヒト……頑張って」


 アマネの最後の通信が途絶え、1分間、レヒトはじっと時計を見ていた。

 シミュレーションがうまく行かなければ通信が入ってくるだろうが、その様子はない。


 充分に間をおいて扉を開くと、そこには巨大な玉座がそびえていた。

 この巨大な建物に似つかわしい、巨人がその玉座に身を鎮め、ゾンビのようにやせこけた頬を片手でささえ、にまにまと微笑みながら、こちらを見下ろしている。


 どうやら、あれが魔王のようだ。

 数百メートルは離れているというのに、まるで目の前にいるかのように、その造形はくっきりと見える。

 圧倒的に巨大なオブジェクトだった。


 どこまで近づけば戦闘イベントが始まるのだろうか。

 そう思いながらただひたすら歩いていくと、魔王の足元に、うっかりすると見落としてしまいそうな小さな人影があるのに気が付いた。


「……プレイヤーがいたのか」


 アイコンを確認すると、どうやら他のプレイヤーがいたようだ。

 レイドボス戦で他のプレイヤーと遭遇することは、さして珍しくない。

 だが、今はタイミングが悪い。


 アマネのシミュレーションに使われているボス戦のデータには、そういう不確定要素は含まれていないはずだ。

 事情を話して、出て行ってもらうしかない。


 レヒトは、その手前まで近づいて行って、そして立ちすくんだ。

 そこには白衣に身を包んだ、黒髪の少女がいた。


「遅刻よ、レヒト君」

「………………」


 彼女はレヒトが近づいてくるまで、じっと待っていた。

 なぜなら、彼女は4歳の頃から歩いたことがない。


「入ってきたのか、レニ」

「うん」


 リアル世界のレニが潜伏していたのは、この監獄ゲームを製作したゲーム会社だ。

 隠されたミラーサーバーを発見して、それだけならまだしも、ゲーム世界にまでやってきたらしい。


「どう? このアバター。会社のミーティングは仮想世界で行うから、私をモデルにして、ぱぱっと作ってくれたのよ」


 レニは、自分のアバターを見下ろして、気に入った様子で微笑んだ。

 表情の変化も、髪の質感も、本当にリアル世界の彼女そのものだった。


「レヒト、本当にこのゲームをクリアするの?」


 レニの言葉に、レヒトは首を傾げた。


「何を言っているんだ、リアル世界に戻らないと、FPSが遊べないだろ」

「いま、私はこのゲームのGM権限を操作できるの。こうやって、この世界に入ってくるのも、この世界を新しく作り変えるのも、私の意のままなのよ……」

「変えられるのか? この世界を、FPSに?」

「……やってみないと分からないけど、そうよ。だから……別にクリアしなくても、よくない?」


 彼女がこのような態度になるのに、レヒトは疑問を覚えた。


「FBIがこの世界を終わらせようとしているのは、どうしていい事なの?」

「レニ」

「私はね、AIでも、生きている気がするのよ、レヒト君」

「どうしたんだ、レニ」

「Caroの人たちに聞いたわ……あの人たちはこの事件に関わったデータを、一切消滅させるつもりよ。亡霊たちも、すべて」


 レヒトは、現実世界で生活しているAIたちのことを思い出した。

 まるで生きているかのようだった。


 自分自身も、朽木レヒトの人格をコピーして新しく生まれた存在だ。


 どうやら現実世界で彼らと触れ合ううちに、彼らを消し去ることに抵抗を覚えるようになったらしい。

 ゲーム世界を終わらせる、ということは、その人格を消滅させることと同じだ。


「しっかりしろ、レニ。『パズズ』の最終目的は、人口を今の6分の1にし、ロボットを人類の管理者にすることだ。分かっているのか、オブラートに包んでいるが、そこにあるのは数十億人の人類を殺して、残りを奴隷にするってことだぞ」

「わかっている。けど、レヒト君。わたしは、貴方にも、みんなにも消えて欲しくないの……」

「わかっていない、俺たちはただのロボットだ」

「ロボットじゃない! みんな生きているのよ!」


 レニが顔をゆがめて、泣きそうになっていった。


 彼女の病は現代医療でも完治することはない。

 延命治療には想像を絶する苦痛を伴う。


 苦痛に満ちた現実世界をAIに任せ、ゲームの世界に永住する。

 それは、『パズズ』が彼女に与えた選択肢のひとつだった。

 一度、彼女はその選択肢を選んでいた。


「私がログアウトするまで、私の苦痛をずっと受け止めてくれていたAIがいたのよ。その子は友達とゲームで遊んでいる間だけ幸福でいられて、ずっとこの幸福が続けばいいと願っていたの。けれど、あるときから突然ゲーム作りを志して、入門書を買い集めはじめたのよ。それがどうしてなのか、貴方にわかる? ゲーム会社に入ろうとして、履歴書も作ってあったわ」

「それは……まさか……」


 ひょっとすると、AIも見ているのか。

 この世界の出来事を。


 ゲーム世界の人間が、生身の肉体の経験を夢に見ることがある。

 脳に情報が蓄積されるからだ。


 それと同様に、ゲーム世界にいる人間の経験も、同じく脳に蓄積される。

 まさか、AIと情報を共有することがあるとでもいうのだろうか。


「ときどきゲームで遊んでいる夢を見て、夢の中で出会う男の子の事が自分は好きなんだなってどうしてかわかるらしくて、ずっとその男の子の事を探していたらしいのよ。あの2人が教えてくれたの。それは私とは違う、私のコピーでもない、まったく別の人間なのよ。貴方とまったく同じ存在なのよ、レヒト君。私は彼女に一時の間、苦痛のすべてを受け止めてもらっていて、都合が悪くなったから彼女には消えてもらったのよ」


 まただ、とレヒトは自分の中に沸き上がる感情をこらえた。

 何が正義で、何が悪か、その定義が事件の後と前で真逆になる。

 経験は社会のフィルターから乖離された何かになる。

 単純なデータでもない、何かになるのだ。


「彼女はマイクロチップごと焼却されて、もう、どこにもいないのよ……復元すらできない。この世界にいる2万人のプレイヤーだけじゃない、世界中の4000万人のプレイヤーを元に戻そうとするCaroの方がよっぽどロボットみたいだわ。ゲーム世界に永遠に住みたいと願ったのは、もともと私たち人間の方じゃない?」


 レヒトは、首を振った。

 それでも。

 人間かAIか、どちらかを選ぶか迫られたら。


「俺は『人間』を選ぶ……レニ、俺は苦痛も生きていることの一部だとか、そういう達観めいたことを言いたくはないが……誰かにぜんぶ背負わせるのは間違っている。それが不幸な奴を生むなんてのは、分かりきったことだ。これ以上、同じ不幸を増やさないためにも、俺がここで、この事件を終わらせなきゃならないんだ。それに」


 失望に瞳を曇らせるレニの頬を、レヒトは撫でた。


「そこにゲームがあるのにクリアしないなんて、RPGのプロじゃないだろ……お前は見たくないのか? このゲームのエンディングを」

「レヒト君……どうして貴方は、私のツボを的確についてくるの?」


 レニはレヒトにしがみついて、小さくすすり泣いた。


「この前、横浜のとある大学の心理学部に行ってきたの。そこで実験室の異様に知能が発達したモルモットがどんなものか見てきたわ……箱の中で、一日中ゲームやってた」

「お前そっくりだな、レニ」

「貴方そっくりって言いたかったのになによ、レヒト君」


 朽木レヒトという人間は、恐らくそこの学生だったのだろう。

 時間を持て余した大学生がFPSにハマって、世界チャンピオンにまで登り詰めた、そういう話だ。

 ずっと部屋にこもりきりだったから、ログアウト不能事件に巻き込まれても、誰もそれに気づくことはなかったのだろう。


 彼はもう、この世にいない。

 それはレヒトの前世と呼ぶべきものなのかもしれない。


 レニは、レヒトの前髪を撫でて、その目をじっと見つめていた。


「GM権限で、貴方のパラメータを最大にしてあげる」

「助かる」

「勝って、レヒト君」


 レニの姿は消えた。

 そこには、レヒトと魔王しかいない。


 戦闘が終わるまで、仲間との連絡は取り合うことが出来ない。

 レヒトは、クレイモアを肩に担いだ。

 その巨大な剣はポリゴンになって崩壊してゆき、やがて惑星のように重力によって周囲の物体を引き付ける、巨大なオブジェクトへと変貌した。


「待たせたな」


 太陽の周りを巡る星々のように、その先端は巨大な空間を横薙いだ。

 魔王の巨大な体が、その重圧に触れたとたん、びりびり、と震えた。


 どうやら効いているのだ。

 見た目にも分かりやすい。


「よく来たな、ニンゲンよ。私が、最後の天空民だ」


 人間と呼ばれたレヒトは、思わず頬を緩ませた。


 魔王は玉座から立ち上がると、その巨躯を揺さぶりながらこちらに一歩ずつ近づいてきた。

 攻撃範囲がどれくらいか探りながら進んでいると、いきなり強靭な爪が振り下ろされた。


 攻撃範囲は100メートルを超えている。

 しかも乱数調整はほとんど働いていないらしい。

 だが、このまま戦闘を諦めるつもりはない。


 今のレヒトのステータスは最高にまで高められている。

 その爪を受け止め、カウンター気味に一刀を振り下ろした。


「ぐっ」


 レヒトは自分の両足が床から浮かんでいるのを感じた。

 魔王の攻撃に相手を押しのけるノックバック効果がある。

 それが桁外れの勢いだ。

 まるで宇宙空間で戦っているみたいに、後ろへ飛び退っていく。


 狙えばほぼ必中に思えた楔皇クサビノオウの攻撃範囲が、みるみるうちに魔王から遠ざかっていく。

 レヒトは壁に背中からぶつかって、ようやく止まった。


 すべての規模が桁外れに大きい。

 やはり単独での攻略は不可能だったのか。

 諦めかけていたレヒトの耳に、何者かの声が聞こえた。


「レヒト! 間に合ったにゅ!」


 振り返ると、ミウがいた。

 僧侶のパーカーに身を包み、樹木の質感をもった杖を携えている。


「ミニミ銃! いったいどうしてお前がここに!」

「んー! なんか分からない、ここに来なきゃいけない気がしたにゅ!」

「おい、レヒト」


 新たな声に振り返ると、アシュがいた。

 レヒトは戦慄を覚えた。

 その背後には、数百名からなる『憲兵』を従えていた。


「加勢しに来た」

「加勢って……」

「レイドボス戦は1人で攻略できるものではない」


 ここにはプレイヤーしか入ることができないはずだ。

 ときおり戦闘のためにフィールドに出ることがあるミウならまだしも、街の外に出ることのない『憲兵』が、いったいどうして来られるというのか。


 そうだ、GM権限。

 いまレニは、このゲームのルールをすべて塗り替えることができるのだ。


「いいのか……俺は、この世界を消すために……魔王と戦っているんだぞ」

「ああ……かもな。俺も消滅するのは恐ろしい。あとで復活すると言っても、要は俺のコピーが作られる、というだけのことだ」


 アシュは剣を垂直に立てて、顔の前に構えた。

 空を突くように剣先を突き出すと、周囲にいた『憲兵』たちは怒号と鎧の音を響かせ、魔王に突進していった。

 魔王の攻撃対象が分散し、隙が生じた。

 攻めるなら今しかない。


「だが、デスゲームを生み出すのは人間だ……恐れがデスゲームを生み出すのだと、俺たちは学んだはずだ。立ち止まるな、レヒト」

「あはははは! なーに、悠長なこと言ってるんだよ」


 振り向くと、マギーもここに来ていた。

 魔剣士の武人に、その配下たち兵士たち、忍者たちの姿もある。

 ひゅーう、とマギーは口笛を鳴らし、拳銃を前方の魔王に向けた。


「見ろよ、どこの国の巨兵かしらないが、すぐ目の前を兵士もつけずに、単独でうろうろしてんだぜ? 超ラッキーだろうが!」

「ラッキー……?」

「これを狩らなきゃ、世界を救ったヨトゥンの名が泣くじゃんよ!」


 振り返ると、ミウが小さく縮こまっていた。

 がたがた震えている彼女の頭に、レヒトは手をのせて微笑んだ。


「ああそうだ……俺たちは3人とも、ヨトゥンの英雄だったんだよ」


 栄冠は貰えなかったが、彼らは世界初のログアウト不能事件で、ひとつのゲーム世界を救ったのだ。


「38連勝ぐらいした。惜しい」

「ほんと、攻略サイトに記事が載ってもおかしくない記録だったのによ」

「どうせこれも、記録に残らないのだろう……」


 魔王の足元にアリのように群がっていく『憲兵』たち。

 矢継ぎ早に攻撃を繰り出し、着実にライフを削っていた。


 あるとき、魔王は低く身をかがめ、不穏な動きを見せた。

 攻撃範囲を示すサークルが、魔王を中心にゆっくりと広がっていく。

 その範囲は広大な王宮の間をすっぽりと包み込み、さらに城の外まで広がっていく。

 視界が真っ赤に染まり、DANGERのアラートまで鳴り響いた。


「ディアボロ・ブレスまで来るのか」

「ウソだろ、ここで強制終了か?」


 そのとき、レヒトは魔王の顔めがけて飛んでいた。

 クサビノオウの一撃を振り下ろす。


 口から炎をたぎらせていた魔王の巨体がノックバックを受け、後退した。

 凄まじい威力に、足元の『憲兵』たちもどよめいていた。


 どうやら、この魔剣は魔王のディアボロ・ブレスの発動を一瞬だけ抑制することができるらしい。


 一瞬だけだ。

 だが、一瞬さえあれば十分だ。


「うぉぉぉッ!」


 レヒトはすかさずジョブを切り替えた。

 どれでもいい、魔剣士スキルを発動できないジョブならば、どれでも用は足りる。

 その瞬間にスキルのリキャスト時間はリセットされる。


 ふたたび魔剣士にジョブチェンジすれば、最速でもう一度この剣を振ることができる。


 頭上から巨剣を振り下ろすと、ダメージとは無関係に魔王の巨躯が弾かれ、大きく姿勢を崩した。

 口腔に燃えていた炎は消え、攻撃が不発に終わった様子だった。


 ライフゲージはすでに半分以上削れていた。


「……削り切れるか……!」


「レヒト君、魔王には超回復の期間があるわ。ライフが20パーセントを切ってから、魔王の回復速度は急激にあがる。毎秒1000ポイント、ディアボロ・ブレスが発動する確率も80パーセントになる」


「毎秒1000ポイント……! ダメージをあげていかなきゃムリか……!」


 楔皇クサビノオウはリキャスト時間が10秒、さらに効果の発動まで5秒かかる。

 リキャスト時間をスキップして5秒に1回で振っても、一振りのダメージが5000ポイントを超えなければならない計算だ。


 魔剣を連続で強化して、12倍攻撃を発動した。

 ダメージは2000から一気に2万4000へと膨れ上がった。


 可能性はまだ見えない。

 楔皇クサビノオウは使用時間に30秒の制限がある。


「……おおおおおッ!」


 レヒトは、さらに魔剣の強化を重ねた。

 12倍の2乗、144倍だ。

 横薙いだ剣は、28万8000の数字をはじき出した。


「ダメージが……限界突破してやがる……」

「レヒト君、わかったわ、あなたのそのプレイヤーは……デモプレイ用のプレイヤーよ」


 製作のために試験的に使われるプレイヤーは、戦闘の時間を短縮するために、あらかじめステータスが上限だったり、それをはるかに超えたりしたものが使われる。


 その製作途中のデータが、なんらかの手違いで消去されず、プログラムの中にそのまま残っていることがあるのだ。


「道理でこの攻撃は、レヒト君にしか使えないはずだわ。製作者が意図的に作ったバグだったのよ……」


 レヒトは攻撃の手を休めず、さらに魔剣を強化した。

 魔王を突き上げた剣は、345万6000を表示した。

 1728倍。

 もはやこの世界におけるダメージの概念を凌駕している。


 だが、相手はレイドボス。

 2万人のプレイヤーが協力しあいながら戦うように設計されている。

 たかが1000倍ではまだ足りない。


「まだいける……!」


 レヒトの手の中で、魔剣は崩壊しはじめた。

 ポリゴンを宙に飛ばし、溶けていく。

 この剣が存在していられる時間は、残り10秒。


 レヒトが振るった剣は、魔王の胸を貫き、4147万2000の数字をうかべた。

 もはや意味をなさない数字の羅列のようにさえ見える、巨大な数字。

 20736倍。

 およそ2万回、2万人ぶんのダメージを与えた。


 ライフゲージはがくんと減り、20パーセントを大きく下回り、ほぼ潰えるほどとなった。


 だが、魔王はまだ生きていた。

 不敵な笑みを浮かべて、その口に再び炎を宿していた。


 ……まずい。


 楔皇クサビノオウをもう一度生み出し、再び5秒をかけて攻撃を再開する。

 そのような時間は、すでにない。


 だが、レヒトはすでに消滅してしまった剣に、再び強化を試みた。


 レヒトの手の中で、楔皇クサビノオウはすでに姿を失っていた。

 表示時間は、すでに0:00となっている。


 なのに、強化スキルの効果が、確かに吸い込まれていく。

 強化スキルがかけられている間、ライト・エフェクトがぼんやりと浮かび、巨大な剣の影を浮かばせていた。


 ……そうか、この剣。

 補助スキルがかけられている間だけ、消滅が引き延ばされるのか。


 新たなバグを発見したレヒトは、口角を釣り上げた。

 魔王に背を向けて、振り向きざまに手の中の剣を振り下ろした。


 浮かび上がった数字は、4億9766万4000となった。

 ダメージはついに億を突破し、5億へと到達しようというところだ。


 だが、魔王のライフゲージは、理不尽な数字を示した。

 紙一重で止まっている。


「……倒せない」


 レヒトは、それでも気にしなかった。

 もう一振り、最後の一撃を放とうと剣を振るう。


 だが、ライト・エフェクトも完全に消え、その存在は完全にこの世界から消滅していた。

 手の中にあった楔皇クサビノオウは、すでにその感触すらもなかった。


「改造されている……ガチで破壊不能なのか」


 意図的に攻略アイテムを隠されていただけではなかった。

 本当に体力が完全になくならないように、このゲームそのものが改造を受けている。


「フフフ……ハハハハ……」


 魔王は、不気味に笑っていた。

 魔王の内部にも、高度なAIが存在するようだ。

 このような事態に陥った時、どうすべきか。

 そのデータを心理エンジンが取得しようとしている。


 スクリプトが自動生成され、物語の続きが決定した。

 魔王は、腰に帯びていた剣を抜き放つと、自分の胸に突き立てた。


「バカな……」


 ライフゲージがゼロになり、意味をなさなくなったそれは消滅した。

 魔王はひときわ大きな叫び声をあげると、跪き、全身から青い炎をあげた。


 魔王のとった不可解な行動に、レヒトは眉をひそめた。


「レニ……あれは何の攻撃だ」

「レヒト君……そうじゃない、そうじゃなくて、それは……あなた達と同じ……」

「同じ?」


 ゲームのAIは、いままで経験したことのない事態に巻き込まれると、そのときどうすべきかを心理エンジンのデータから取得する。


 それは、ここにいるNPC達の行為と同じだった。

 自らを消滅させることで、終わらせるのだ。


 AIは、ただ理論的にその答えを導き出しただけだ。

 そこに人間性があるように見えたのなら、それは錯覚に過ぎない。

 けれども、レニは涙が止まらなかった。


「ごめん……レヒト君……本当に、ごめんなさい……私は、生きるから、貴方の分も……絶対に」


 レニとの通信は、それを最後に途絶えた。

 魔王の瞳をじっと見て、その青白い光に、レヒトは不意に記憶を揺さぶられた気がした。


「ゴリアテ……お前なのか……」


 それは、デーヴィッド・スリングにともに閉じ込められ、事件を一番近くで見てきたAI。

 そうだ、あのログアウト不能事件を解決する、唯一の方法。

 あのとき、彼が破壊されていれば、すべては終わっていたのだ。

 果たして、ゴリアテはなにも答えなかった。

 魔王の最後のセリフは、プログラムされた通りのものだった。


「ぐふふ、この私を、たおす、ニンゲンが現れるとは……だが、覚えて、おくがいい、光があるところ、闇も、必ず、あるのだと……覚悟、するのだ、私は、何度でも、蘇るだろう……」


 魔王の体は複数のパーツに別れ、崩壊していった。

 やがてひと際おおきな炎につつまれ、その巨躯は消えた。


 魔王がいなくなった魔王城は、やけに広く見えた。

 天井に開いた大きな穴から、黄金色の陽光が降り注いでいる。


 銀の紙吹雪のようなものが、音もなくそこから降ってきていた。


 お互いの姿を眺め渡す彼らの視界に、唐突に文字が浮かび上がった。


 企画・制作 アリストロ・メディア


「エンドロールだ……始まった」


 エンドロールの報は、すべてのプレイヤーへと同時に流される。

 Caroの仕組んだプログラムが、それを通じて各プレイヤーの脳に埋め込まれたマイクロチップの機能をマヒさせる。

 彼らはやがて、夢を見ている状態から覚めるだろう。


 アシュも、レヒトも、マギーも、呆然としてその文字を見つめていた。


 こんな時にどうすればいいのか。

 あの時、閉じ込められたプレイヤーたちだったら、どうしていたのか。

 そのデータは、『心理エンジン』には残されていない。


 デーヴィッド・スリングの亡霊たちが夢に見て、そしてたどり着けなかった、エンディングだ。


「終わったな」

「ああ」


 彼らは、自分たちの役割を、演じなければならない。

 ここからは、本当のロールプレイだ。

 レヒトは、なにか口を開きかけた。


「レヒトぉ~!」


 ミウに飛びつかれて、レヒトは小さくよろめいた。

 彼女は全身で喜びを表現していた。


 このエンドロールが終われば、消滅してしまうというのに。

 それを見て、そうか、笑えばいいのかと、ようやくレヒトは判断する。


「レヒト、俺たちはエンディングにどうすればいいのか分からない。どうすればいい」

「そうだな。とりあえず、ギルドの連中に報告を」


 メニューを開いて、チャットのメンバーを確認する。

 レヒトは目を見開いた。

 いつも通話可能だったプレイヤーたちが、次々と『ログアウト中』の表示になっていく。


 どうやらCaroのウィルス・プログラムが、すでに活動を始めたみたいだった。


「街に……急ごう」


 魔王城のワープゲートを抜けて街に戻ると、プレイヤーたちは歓喜に包まれていた。

 エンドロールが流れている間も、次々と彼らは光に包まれ、消滅してゆく。


 彼らはもう二度と、この世界に来ることはないのだろう。

そのとき、プレイヤーの1人が、レヒトの元に飛び込んできた。


「レヒト!」


 アマネの姿は、やがて光に包まれて消えてしまった。


「ありがとう。さようなら」


 レヒトは空を見上げて、プレイヤーたちが消えていった方を見上げた。

 恐らく、レヒトの消滅は最後になるのだろう。


 その広場からは完全に人間が消えてしまい、レヒトたちだけが残された。

 プレイヤーのいない広いゲーム世界に、NPCだけだ。


 エンドロールが流れる静かな広場で、アシュはため息をもらした。


「これがRPGか」

「ああ、これがRPGだ」

「プレイヤーがいないと、まるで終わったコンテンツみたいだな」

「そうだな……また次回作が決まっているから、そこで会おう」


 アシュは、レヒトと固い握手を交わした。

 マギーは、レヒトの腕をたたいた。


「gg(グッド・ゲーム)」


 レヒトは、それに笑顔で答えた。


「また戦おう、マギー」


 視界に表示されるメニューが乱れていく。

 レヒトのモーファードにも、とうとうウィルスが蔓延したらしい。

 レヒトが消える直前、ミウが彼の腰にしがみついてきた。


 レヒトはその額を撫でて、トカレフの毛並みを思い出していた。

 そうだ早く帰って、エサをやらないと、などと、止めどない思考が流れ出していた。


「どうだ、ミウ。RPGって、面白いだろ」


 ミウはそれに対して、満面の笑みを浮かべたのだった。

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グッド・アールピージー・ライフ 桜山うす @mouce

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