第1話
須藤と俺は幼馴染だ。それも幼稚園の頃から一緒で、学校のクラスが離れてもなぜか縁は切れなかった。共通の趣味があるわけでも、特別仲がいいわけでもない。と思う。ただ、病気が発覚し、病院での長い入院生活で友人が減っていった彼の元に見舞いに行くのをやめなかった俺は、少しだけいいやつに見えたのかもしれない。俺もその頃から心理学の勉強にのめりこんでいたため、須藤以外に友人と呼べる人間はできなかった。
結果としてお互い唯一の友人になったわけだが、治療に専念する須藤と、勉強に没頭する俺だ。須藤が呼び出すか、俺が見舞いに行くかしか会う機会はない。そんな彼から昨夜メールがきた。相談したいことがあるとか、よくわからないが、とりあえず家に来いと書かれていた。
そういうわけで俺は今、須藤の家に向かっている。病室に来いと言われなかったのが不思議だが、そんな疑問は暑さでかき消された。
夏休みが始まってから一週間。ひたすら研究室に通い、空いた時間に須藤の見舞いに行っていた。研究室も病院もバスで通っていたため、俺が太陽の下にさらされることはほとんどなかった。そんな人間が真夏の、真昼のコンクリートの上を歩いているのだ。体調はすぐれないに決まっている。俺と須藤の家は結構近い。ただ、ここらはかなり急な坂道になっているため、坂の上にある須藤の家は恐ろしく遠く感じる。
肌を刺す太陽と頭を揺らす蝉の声になんとか打ち勝って家にたどり着くと、須藤の母親が迎えてくれた。
「いらっしゃい、ひさしぶりね。透から聞いてるわ。どうぞ上がって」
「お久しぶりです。お邪魔します」
俺の気のせいか、須藤の母、よしこさんは少しやつれて見えた。いや、見間違いではないだろう。いつもならもっと話しかけてきて、なかなか上にあがらせてくれないのだ。やはり、息子がいつ危篤に陥ってもおかしくない状態で過ごす日々は、辛いのだろう。家族のカウンセリングも必要だな、と心理士を目指す者として再度思う。
よしこさんにお土産を渡して二階へ行き、一番手前にある部屋をノックした。中から「どうぞ」と聞こえ、ドアを開ける。
久々に訪れた須藤の部屋は、性格にそぐわず整頓されていて、生活感がなく、入るのを一瞬ためらってしまう。あるのは窓の下の勉強机に、棚と化した本棚、それとベッド。それだけだ。
「遅いぞ春川。待ちくたびれた」
ベッドにあぐらをかいて座っていた須藤はいつも通りで、ほっと息をついた。側の椅子に腰を下ろし、わざとそっけなく返す。
「この暑さを恨め。あとたいして遅れてない」
「まあ、普段研究室に引きこもってる割には頑張ったな。褒めてやろう」
「はいはい、どうも。それより、相談って?」
よくぞ聞いてくれた、と言いたげな顔になった須藤を前に、面倒なことが起こることは容易に想像できた。
「オレさ、デートに誘いたい子がいるんだよ」
目を伏せ、そわそわと話す須藤に、俺の頭はかたまった。
「桐嶋って名字らしいんだ。高校の入学式で一目惚れしたんだけど、俺そのあとすぐ入院生活に戻っただろ?だから一回も喋ったことがない。そこで、お前だ。三人で遊びに行きませんか?って誘って欲しいんだよ。たしかクラスは一緒だったはずだから」
確かに同じくクラスに桐嶋という名字の女子生徒はいる。肩まで伸びた艶やかな黒髪に、透けるような肌、長い睫毛とその奥から覗く黒い瞳は、まるで須藤のようだと思ったことがある。ただ彼女は寡黙で、須藤とは違った不気味さを纏っていた。彼と似ているという点では、俺も彼女が気になっていた。だが話したことはほとんどない。だからこれはいい機会といえばそうなのだが、面倒な匂いがしすぎてすぐに頷く気になれなかった。それに、まさか須藤に恋愛の相談をされるとは。
「お前からそんな話が出るなんてびっくりだよ。でも、三人で行く必要はないんじゃないか?俺がきっかけを作って、二人で会えばいいだろ」
病室にこもりっきりで出会いがないのもあるだろうが、こういった話は初めてだった。正直、どんな反応をすればいいのかわからない。
しかし俺の動揺をよそに、須藤は調子が良さそうに話を進める。
「もちろん、途中で二人きりにはしてもらう。お前がトイレに行くふりでもすればいい。けど、どうせお前も桐嶋さんと話したことないんだろ?そんな人間が紹介する、しかも初対面の男と二人きりで会ってくれると思うか?」
その言い草に少し苛立った。
「いや、それを言うならそもそも三人でもだめだろ」
「そこはお前の腕の見せ所だ。心理学を駆使してなんとか誘い出してくれ」
「無理。却下だ」
「頼むよ。不審がられたら、桐嶋さんの友達も連れて四人でもいいから」
そういえば彼女が誰かと一緒にいるところを見たことはほとんどない。友人はいるのだろうか。いたとしても、その条件で彼女が頷くとはあまり思えないが。
まあ、やるだけやれば、彼も満足するだろう。
「……きっと断られると思うけど、頼むだけなら――」
「ほんとか!?」
食いつく須藤の気迫に気圧され、椅子から落ちそうになった。
「ああ、でも、期待するなよ?」
「それはちょっと難しいけど。ありがとな、春川」
どうせ断られると諦めていた自分が小さな罪悪感を覚えたが、無視した。
「そうだ、誘うときって、お前の病気のこと話してもいいのか?」
「いいよ?別に隠してるわけじゃないし、知ってる人は知ってるだろ?」
「そうだけど」
「入学式以降顔すら出してないから、存在自体知られてないかもだけど」
「桐嶋さんがどうかは知らないけど、結構いると思うぞ、そういう人」
「だよなあ」
なんでもないように笑っているが、本当のところどう思っているのだろうか。
「そうだ、この前面白い映画見つけたんだよ。観る?」
「……観る」
須藤の趣味は映画鑑賞だ。自由に動けない彼の、唯一の趣味と言っていいだろう。こうして会うたびにおすすめの映画を観せてくれる。
映画を見終わると、桐嶋さんをどうやって誘うか考えた。須藤が体調を崩してもすぐに病院に向かえる場所なのを前提に、体力を使わず、俺が抜けても不自然ではなく、会話が止まっても気まずくない場所。などと、話しているうちにどんどん条件が増えていき、最終的に桐嶋さんの様子を見て、俺がその場で決めることとなった。
桐嶋さんは確か図書委員なので、夏休みの間は学校の図書室に行けば会える。須藤の強烈な希望もあり、明日の朝、話しに行くことが決まった。「待ちきれないからできるだけはやく行ってくれ」とのことだ。
***
十時ちょうどに学校に着き、二階にある図書室へ向かった。階段を上ったところで人の気配がして振り返ると、須藤がいた。
「……驚かそうとしてた?」
「うん。でも失敗」
「っていうか、なんでいるんだ?」
「え?だめ?」
「いや、駄目とかじゃなくて……」
だって、彼は医者からの許可がないと外出なんてできないはず。そうだ、昨日だって家にいるのはおかしかったのだ。入学式が終わって体調を崩してからは、ずっと病室にいたのに。
「オレが言い出したんだ。いてもいいだろ?気づかれないようにしてるから。だから早く行こうぜ」
「……あのさ、須藤――」
「お、早速会えた」
須藤の視線を追うと、数冊の単行本を抱えて図書室に入っていく桐嶋さんが見えた。
「じゃあ頼んだ、春川」
「おー……」
図書室は、当然だが静かだった。それは人が黙っている静けさではなく、単純に人がいない、部屋の沈黙だった。考えれば、夏休みの序盤を図書室で過ごす人間なんてあまりいないだろう。
高校の図書室にしては広い方だと思う。カウンターと長机が入り口付近にあり、奥に向かって縦に本棚が並べられているため、ここから部屋の全てが見える配置になっている。
桐嶋さんの座るカウンターに一番近い席を取り、鞄からノートを取り出す。宿題はすでに終えたから、心理学の勉強をする、ふりをする。桐嶋さんと目が合うかと緊張していたが、入ってから席に着くまで、一度もこちらを向きもしなかった。それが少し不自然な気がして、待ってみることにした。
須藤は図書室の外で聞き耳でも立てているのだろう。どうやら図書室には二人しかいないようで、シャーペンを走らせる音が時間を刈り取っていった。桐嶋さんはさっき持っていた単行本の一つを読んでいて、その本から視線が動くことはなかった。
ページを捲る音と、エアコンの音と、息をするたびに起こる着崩れの音で、俺の限界が訪れた。
「あの、桐嶋さん。初めまして。春川です」
急に立ち上がって自己紹介を始める男が珍しかったのだろう。大きな目をこちらに向け、一瞬固まった桐嶋さんは、すぐに本に視線を戻してしまった。
「知っています。同じクラスですよね。何か用ですか?」
こちらを見ずに発せられる言葉は淡々としていて、けれどイメージ通りであまり動揺はしなかった。
「えっと、実は前から話してみたいなと思っていて。少しだけいいですか?」
「いいですけど、デートとか、そういう誘いは断ります」
聞く前から断られたぞ、須藤。これは無理じゃないか。
「あー、実はそうなんです。俺の友人に、須藤ってやつがいるんですけど――」
「えっ」
「え?」
何かおかしかっただろうか。よくわからないが、やっと桐嶋さんと目が合った。
「それで、どうやら入学式で貴女に一目惚れをしたみたいなんです。彼、一応ここの生徒で俺たちと同じクラスなんですけど、重い病気にかかってるので、式のあと体調を崩して以来、入院していたんです」
「……知ってます。彼は、宝石病にかかっているんですよね?」
「そう、なんです。あの、もしよければ今度の土曜日、明後日ですね。三人で会ってくれませんか?不安だったら、友達とか、呼んでくれても構わないので……」
「……――わかりました。行きます。三人で結構です。集合場所はどこですか?」
桐嶋さんは様子がおかしいものの無表情を貫いており、こちらだけが状況を掴めていないようで落ち着かない。
「そうですね……ここの近所で画展が開かれていることは知ってますか?そことかどうでしょう」
「大丈夫です」
「それじゃあ、一時に建物の入り口集合でいいですか?」
「はい。……では、土曜日、また」
「あ、はい」
そう言うと、桐嶋さんは読書に戻ってしまった。俺も用は済んだので荷物をまとめて外に出た。須藤は予想通り、ドアのすぐそばにいた。
「やったな春川、成功だ」
「そうだな」
「それにしても、なんですんなりオッケーが出たんだ?まさか本当に心理学を……」
「そんなわけないだろ。始終無表情で、何もわかんなかった。それに、いくら心理学を勉強してるからって、実際にそれを使う練習はしてないんだ。そうそうできないよ」
「ほー……。そういうもんか」
「そういうもんだよ」
そうだ、そんなことができれば、須藤に使っている。どいつもこいつも、何を考えているのか全然わからない。
「あ、画展でよかったよな?チケットは俺が取っておくから。場所はあとでメールする。一時集合な」
「了解!」
須藤が寄るところがあると言うので、その日はそこで解散した。
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