世界がおわる前に、きみと辿りたい幾つかの場所

糸乃 空

第五話 水と祈りと想いと君と

 雨上がりの朝。

柔らかな陽射しに照らされた水の粒たちが、濃い緑色をした葉の上できらめいている。触れたら身体によくないものだ、と分かっていても、そのきらめきは美しい。


 「これだけあれば、しばらく大丈夫だね」

 シラツユが、嬉しそうにタンクのキャップを順番に閉めていく。ろ過装置を通された雨水が、夜のうちに飲用のタンクを満たしていた。車の燃料分も十分確保されている。

 「ああ。体調はどうだ」

 一瞬きょとん、とした瞳を向けたシラツユが、花のような笑顔を咲かせて飛びついてくる。

 「大丈夫だよ、ありがとう!それよりクロハは大丈夫かな、睡眠の交代時間短かったから」

 「平気だ。後で仮眠をとる」

 そう答えながら、飛びついたままのシラツユの腕をそっとほどいた。外へ向けた頬がほんのり赤くなっている。


 シラツユが、クロハにほどかれた手を勢いよくあげた。

 「地図にある都市を目指す前に、寄り道したいところがあります!」

 「ん?」

 「ナイジェルさんが待っているナオ……ちゃん。技術者を探しに出たのなら、造船所のあった港を目指すんじゃないかなって」

 「港か。技術者に会えなくても、設計図を入手できる可能性はあるな。わかった、立ち寄ろう」


 車に乗り込んだ二人は、後方へを流れる景色に目を凝らす。

かつて、街と呼ばれていたであろうその土地に、生命の気配は感じられない。全ての物が原型をとどめないほどに破壊しつくされた街。そこで暮らしていた人々の願い、想い、祈り、それらはどこへいった?

 絶望の想いすら残すことを赦さない戦争とはいったい、何のためであったのか、誰のためであったのか。


 時折、晴れ間が顔を出すものの、空にはまた厚い雲の層が集まり始めている。雨が多く降るのは、汚染された大地を洗い流そうとするこの星の意志なのかもしれない。という思いがふと浮かぶ。


「ねえ、クロハ」

「ん?」

窓から吹き込んでくる風に、シラツユの前髪が揺れている。

「人間だけだよね」

「んん?」

「生きるためじゃないのに、お互いの命を奪い合ってしまう生き物は」

少しの沈黙の後で、クロハが口を開いた。

「ああ、そうかもしれない」

シラツユの手が、シフトノブを握るクロハの手にそっと重ねられる。クロハは前を向いたまま、その手を振りほどくことはしなかった。


 一時間ほどで平坦な土地を抜け、アップダウンのある山間へ入ると、いくらか気温が低くなってきたようだ。ガタン、ガタンと車輛が揺れるたびに二人の肩が触れる。

 周囲の緑が濃く深く変わってゆき、時折ふと感じる異質な香りは硫黄だろうか。地形が変わり、地図にない温泉がどこかで湧いているのかもしれない。

 クロハは、周囲に油断なく視線を飛ばしながらハンドルを握る。隣に目を向けると、楽し気に外を眺めるシラツユの姿があった。

 「風、冷たくないか」

 「うん大丈夫!ひんやりして気持ちいいよ。これで入れる温泉があったら、さっぱり出来て最高なんだけどなぁ」

 「そうだな。温泉は見付からなくても、今日は少し水に余裕がある。石鹸を好きなだけ使っていいぞ」

 「ええっ!ほんと?やったー!」

 「っと!運転中に飛びつくなって」




 やがてところどころ、削り取られたような赤い山肌が景色に混ざる。流れる空気に湿気が多く感じられ、濃厚な水の気配に包まれた。車は徐々にスピードを落とし、静かに停車する。


 「道が……ない」

 「え、あ、あれ?」


 道が塞がれている――。

 

 山の一部が崩れて道を塞いでいた。むき出しになった山肌から、幾筋もの水が流れ出している。赤い川となって。

「戻ろう」

シラツユは、コクンとうなずいた。


 シフトレバーをバックギアに入れると、二人を乗せた車は滑るように走り出す。左手を助手席の背に置いて後ろを振り向き、目視で確認しながら慎重に進む。

「クロハすごい!後ろ向きに走ってるのに、前に進むのと同じぐらい上手!」

シラツユの、妙な関心の仕方に思わず笑ってしまう。

「Uターン出来るとこまでは、しばらくこのままだぞ」



 走り出して間もなく、右側の斜面からパラパラと小さな小石が降ってきた。よくない兆候だ。

「崩れるかもしれない、急ごう」

アクセルを踏み込んで、ハンドルを小刻みに動かしながらバックで駆け下りる。

「シラツユ、少し揺れる。しっかりつかまって」

ドンッと突き上げられる音と共に、一抱えほどもある岩が目の前へ転がり落ちてくる。シラツユの口元から小さな悲鳴が聞こえた。

 

 数を増やした落石がボンネットの上で跳ね上がる「シラツユ、頭を守れっ!」「はいっ!」急加速するタイヤが悲鳴をあげた、くっ……間に合えよっ

 シフトを二速に叩き込み、クラッチをきり吠えるエンジンを黙らせる。サイドブレーキを引きあげ、ロックさせたタイヤが横へ滑り振られた車体がスピンする、180度回転したところでクラッチを繋ぎハンドルを切った――。



  バックミラーの中では今走り抜けた道が完全に塞がれているのが見える。

ふぅっと息を吐いたクロハは隣を向いてギョッとする。

 見るとシラツユの瞳にこぼれそうな涙が浮かんでいた。

 

前のめりにブレーキを踏み、慌ててシラツユに向き直る。

「怪我したか?どこが痛いんだ?」

シラツユは首をぶんぶん横に振ると堰を切るように泣きだした。

「クロハごめん、わたしがこの道を案内したから…ひっく……クロハを危ない目に……うっ……」

「大丈夫だ。シラツユは何も悪くない。乱暴な運転で怖がらせてごめんな」

クロハはグローブを静かに外すと、これ以上、大切な涙が零れないよう指先でそっと拭う。

 そして一瞬ためらったあと、シラツユの頭にぽんぽんと手をおいた。

「……わたしは子供ではないんです」

「そうなのか」

「もうクロハったら、いつも子ども扱いしてっ」



 港を目指すルートを海沿いに取り、オフロード車がひた走る。

二人の間に落ちていた沈黙の扉を、シラツユがそっと開けた。

 「塞がった道って、きっとほかにもあるよね」

 「ああ」

 「今まで、崩れちゃった道もたくさんあったよね」

 「ああ」

 「もしも、もしもだよ。巻き込まれたらアンドロイドでも……」

 「ああ。だが誰もまだ諦めちゃいない。そうだろ」

 「うん、そうだねっ!そうだよ!」

 自分に言い聞かせるかのように、シラツユが胸の前で両の手を握りしめる。


 港周辺で一番規模の大きい造船所へ着くと人の気配はなく、半壊した建物がいくつも並んでおり、その歪な影を地面へ落としている。湾を囲む防波堤はほぼ、原形をとどめておらず、海へ伸びた桟橋も先端だけがぽつねんと残されていた。

 車から降りたクロハが木刀を一振りし感触を確かめる。

 「一番大きなところから始めよう」

 「わかった」

 「何かあったら真っ先に車へ逃げる、いいな」

 「うん、大丈夫」


 むき出しになった鉄骨、壁の厚さからすると、かなり丈夫な建物だったにに違いない。こうした文明の跡に触れるたび、クロハはどうも落ち着かない気分になる。

 高い技術力を持ち文明を築いたのも人間なら、その技術力を持って破壊しつくしたのも人間だ。いったいどちらが、本物の人間の姿なのだろう。おそらくは――。

 どちらも、本質的には変わらない。



 最後の建物を出る。

 「ナオちゃん、いなかったね……」

 「ん」

 「ここには来なかったのかな……」

 「彼女の目的からすると、位置的にここは有りだと思う。また明日詳しく探してみよう」


 就寝用テントから少し離れたところに、シャワーセットをしたポップアップテントをクロハが立てている。その隣では、瞳をキラキラさせたシラツユが、タオルと石鹸を抱えて待っていた。

 「出来た。ゆっくり入っ……」

 「はーい行ってきまーす!」

 話半分に、楽し気なステップを踏みながら入って行く様子を頬を緩めて見送ったクロハは、テントが視界に入る位置まで下がると、探索の途中でシラツユが見付けてきた見取り図を広げた。

 古いもので痛んでもいるが、全体図は生きている。


 いくらもしないうちに、シャワーテントの入り口がさっと巻き上げられた。と思う間もなくタオル一枚のシラツユが駆けてくる、その頭はあろうことか泡泡だ!

 「お、おいっ!」

 「地下はありませんか!」

 「ち、地下?」

 動揺を抑えシラツユの言葉を受け止める。

 「万が一地上が駄目になった時の、非常電源装置があるとしたら地下かなって」

 「非常電源装置、そうか!いや、その前にその石鹸」

 「あ、ああああ!う、うん、ごめん!」



  シラツユの着替えを待って、地下の確認へと向かう。

 「地下は三か所だけ。そしてここが最後だ」


 地下三階にあった鉄の扉は、さび付いて容易には動かない。クロハが肩を当ててじわじわと開けてゆく。

 締め切られた空間からむっとした空気が流れ出た。思いのほか部屋数があるらしく、順番に開けてゆく。

 一部屋だけ、半開きになっていた洋室の扉を押し開けた。


 ギイィ。


 クロハが足を止めた。

 シラツユが口元を抑える。


 床に散らばるのはと思われる工具類。

 横たわるのは、先端カバーを切り取られ試行錯誤したらしいコード類。

 非常電源装置のパネルには積もる埃に、スイッチの部分だけが拭き取られた跡。

 そして。 

 床を指先でなぞったであろう「ナイジェル」の五文字がライトの中に浮かぶ。


 「ここで充電したんだな」

 「うん」

 「相当頑張って充電したんだ」

 「うん、ナオちゃん……」

 シラツユの零れた涙が地面へと落ちてゆく。

 「戻ろう」


 ☆


 波の音が聞こえる。

毛布にすっぽりと包まって眠るシラツユを視界に入れながら、クロハはポケットからそっと石を取り出した。

 それは、ラッセルさんから譲ってもらったラピスラズリだった。この青さと彼の強い意志を宿した瞳が忘れられない。


 いつか。

この石で作ったペンダントをシラツユに渡したい。

彼の想いが託された石で作りたいんだ。

ナイジェルとナオの分も。

僕たちが出会った彼らに。


 横を見ると、シラツユが早速毛布をはいでいる。まったく、本当に仕方がないヤツだと呟きながら、そっと毛布を掛けなおす。その横顔は、これ以上ないぐらい優しく和らいでいた。


 

 


 

 

 


 



 

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