第2話 恐ろしいものを見た

 涼介は、彼に剣道を教えた幼馴染みのてんどうごう(留年して2回目の3年生、合宿は不参加)を除けば、部内最強の剣士で、統率力もあるため、副主将を務めている。


 一方の咲は、剣豪・浅村良一を父に持ち、全国中学校剣道大会二連覇という実績をひっさげて入学したエリート剣士だ。その「天才・浅村咲」の活躍もあり、桜坂高校女子剣道部は、この夏、インターハイに初出場、準優勝という快挙を成し遂げた。


 咲はモデルや芸能人としても通用しそうなルックスを持つ「美少女剣士」としても注目されている。


 涼介もイケメンで背が高い。


 2人は男女の最強ペアであるだけでなく、剣道部きっての美男美女でもある。


 ***


「おい、つくだおんな


 トンネルに入って間もなく、涼介が咲に声をかけた。


 涼介は咲を「江戸むらさき」「佃煮女」などと呼ぶことがある。「あさむらさき」という名前からの連想であり、シャイな涼介の照れ隠しでもある。


「お前がそういう髪型してるの、珍しいな。自分でやったのか?」


 咲は類い希な美貌の持ち主でありながら、自分を飾る、ということをほとんどしない。髪型もポニーテールか、それを下ろしているかのどちらかだ。


 その咲が、今夜はルーズめな三つ編みを結っている。


「いや、藤堂さんがやってくれた」


 艶やかな黒髪を持つ咲は、しばしば女子部の先輩たちの人形になる。特に、咲を子供の頃から知っている2年のとうどうは、彼女を気に入り、可愛がっていた。


「髪型、おかしいか?」

 と咲が聞く。


「いや」


 似合ってるよ、と言いそうになって、涼介はその言葉を飲み込んだ。


 涼介は、剣道部の事実上のキャプテンとして、部員の誰かと特別な関係になることを避けようとしている。それに、この女は俺の手には負えねぇ、と分かっている。


 それでも時々、咲に見とれてしまうことがあった。


 見慣れない私服姿、白い肌に清楚な髪型が似合っている今夜は特に。


 そういう自分を否定したくて、殊更に目を逸らし、少し離れて歩く。


「ったく、よりによって、何でお前とペアなんだよ」

 と乱暴な言い方をする。


 これもシャイな涼介の照れ隠しだ。


 咲は極端な人見知りだが、涼介に対しては「しゃべりやすい」と感じている。


 4月生まれである咲は、3月末生まれである涼介を先輩だと思っていない。同い年の友達だと思っているから、基本的にタメ口で話す。


 普段なら「それはこっちのセリフだ」とでも言い返すところだろう。


 ところが、今、彼女は黙っている。


 あれ? と思って涼介が咲を見た。

 泣きそうな顔になっている。


「すまん、涼介。……もっと近くを歩いてもいいか?」


 涼介は驚いた。


「別にかまわねぇが……。ど、どうした?」


 普段の咲は、まずこんなことを言わない。

 お互いの体温が伝わるほどに接近した咲が、さらに上目遣いで聞く。


「そ、袖を掴んでもいいか?」


 聞きながら、すでに涼介のシャツの七分袖を掴んでいる。


 ***


 夏の夕暮れで、西の空と海には茜色が残っている。しかし、照明のないトンネルの中は薄暗い。海から吹く風にトンネルが笛の役割を果たし、ヒューン、ヒューン……と不気味な音を奏でている。これがおそらく、都市伝説の由来だろう。


 青ざめている咲を見て、涼介は気がついた。


「お前、まさか、オバケが怖い……」


 咲がギクッとした顔をする。


「……なんてキャラを今さらつけようとしてるんじゃないだろうな? 無理だぞ。入部から何ヶ月経ったと思ってるんだ」


「そんなことするわけないだろっ。ボクにだって怖いものはある!」


 と咲が怒った……そのとき。


 ぴちょん


 トンネルの天井から水が滴り、咲のシャツと背中の隙間に落ちた。


「キャーッ!」


 と叫んで、涼介の方に飛び退く。


 ドンッ


 といきなり体当たりを食らわされ、涼介はトンネルの壁に激突した。


「痛った……」 


「す、すまん」


 と見上げた涼介の顔に血がついていた。

 ぶつけたときに擦ったのだ。


「キャーッ!」


 と今度は両手で突き飛ばす。

 涼介はゴンッと壁に後頭部を強打した。


「お前、きゃしゃに見えて力は男並みなんだから気をつけろ!」


「すまん、涼介。大丈夫か?」


 そのとき、足下を小動物が駆けていった。


「キャーッ!」


 と咲は腰を屈めて涼介の懐に入り込むと、襟を掴んで、袖を引き込みつつ、屈伸の力で体を跳ね上げた。178センチの長身がぐるんっと回転し、背中から落ちる。


「ぐはっ」


 背負い投げである。


「どんな恐がり方だ!」


「す、すまん、涼介」


 と咲は謝ったが、その後もシャイなイケメンの受難は続いた。


 蛾が羽ばたく、足下で死にかけた蝉がうごめく、蜘蛛の巣に引っかかる……。


「キャーッ!」


 ドカッ


「キャーッ!」


 ボスッ


「キャーッ!」


 グキッ、メリッ、ボキッ。うわぁ……


 ***


 チーン。


 とどこかで風鈴が鳴った。


 やがて涼しい顔でトンネルから出てきた咲の隣に、ボロボロになった男が一人。


「ど、どうした、涼介。何があった!?」


 と聞く先輩たちに、涼介は青ざめた顔で答えた。


「お、恐ろしいものを見た」

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