第15話 新たなストーリー
発表が終わると教授は下を向いて、しばらく黙っていた。表情は見えない。ちんけな発表だと思われたのだろうか。およそ半日もない時間で急いで作り上げた発表だから、全然だめだったのだろうか。僕たち4人も席へ着いて押し黙ったままだった。
教授は顔を上げた。穏やかな表情だった。
「3歳までの記憶、つまり言葉を話し始める前の記憶は思い出せないといわれてる。でも、思い出せないだけで、ここにちゃんと残っているものだと私は思うわ」
教授は胸に手を当てて話を続けた。
「山田さんも、意識はしていなかったけれど、そっとしまわれた思いがあったのでしょうね。気づかないうちに仕舞われた幼き頃の思いを抱えていたのね。でも、最後にそれを解放できた。いえ、語弊があるわね。納得できる自分自身のストーリとして受け入れることができた。確かなことはいえないけれど、あなたたちが、山田さんの人生の物語を聞いてくれたことによって、安心して旅立っていけたのかもしれない」
今学期最後のゼミは終了した。
「ふぅー終わった。ね、今夜打ち上げしようよ」
戸中さんが提案した。
「いいね」
僕はほっとした。今夜、予定ができた。そう、お通夜の帰り道に偶然にも尾之内さんに出会い、番号を交換した。それで早速彼女に食事に誘われていたのだ。予定があると嘘をついて断ったのだが、嘘が本当になって良かった。
「飲もうぜ!」
足助は嬉しそうだ。僕は和やかなこの雰囲気に癒されたはずだった。
「でも、亜也加ちゃんに飲ませちゃだめだからね」
僕はぞくりとした。
「えっ」
木元さんは戸中さんの発言に驚いている。戸中さんは失言したのだ。木元さんが妊娠していることは一応、足助しか知らないことになっている。ていうか、戸中さん、その時寝ていたんじゃなかったっけ。色々とつじつまが合わないが、いいか。寝たふりをしていたんだろう。木元さんは足助を見た。
「え? 何で俺を見るんだよ」
足助はとぼける必要もないのだが、どぎまぎしている。足助は悪くない、はずだ。
「足助君以外は未成年よね。いいな、足助君、お酒飲めて」
木元さんが言った。足助は浪人していたのか。知らなかった。
「ま、いっか。じゃあさっさと解散!」
木元さん自身がこの空気をぴりっと終息させた。
僕たちはこの後、いったん家に寄ってから居酒屋に集合して、語り合った。最初はぎこちなかったけれど、僕も今となっては自然に笑みがこぼれる。色々と小難しく考えてしまう僕だけれど、このままでいいや。結局は考えるのも考えないのもめんどくさい。
僕たちはさらに絆を深めた。木元さんはお腹にいる赤ん坊のために、後期から休学して留年することを決めたらしい。足助も木元さんのこと応援しているようだ。戸中さんと僕は相変わらずだ。前にも進まないし、後ろを振り返ることもない。現状維持、それの何が悪いのだ。
僕はあまりにも話すことがなかったため、病院で出会った看護師と番号を交換して、今夜食事に誘われていたことをネタとして話した。みんな、一斉に驚いてくれた。話のネタがあってよかった。このように自分のことを話すことはあまりない。後から風の知らせで知ったのだが、その看護師さんは中学生のときの先輩だったらしい。中学のときも僕は冴えなかったのだが。そういう縁もあるのだな。
帰り道、戸中さんに聞かれた。
「その看護師さんといい感じなんだ?」
女性慣れしていないから、きっと僕は勘違いをしているのだろう。尾之内さんとのやり取りでドキドキしているのは事実だが、それは恋に焦がれている残念な男子というだけだ。
「そういうのじゃないよ」
僕が否定すると戸中さんは微妙な表情を浮かべた。気づいたら、僕は戸中さんと二人で歩いていた。戸中さんは時折ふらっとする。お酒は飲んでいないはずなのだが。これ以上の会話はなかった。
もちろん、未成年の僕はお酒を飲んでいない。法律だけは守るようなつまらない真面目な男なのだ。
しかし、僕の心臓がドクドクと鼓動を打つ。僕がこんな気持ちになるのは初めてだ。僕もいつか人に語りたいと思える物語をつむげるようになるのだろうか。これからの僕の大学生活にちょっとスパイスが加わった。
ストーリー かゆかおる @kykor82
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