第14話 ロマンの男になろう
山田三郎 享年八五
爺さん、いや山田三郎さんの顔は安らかだった。長くて白い髪の毛も白い髭もそのままだ。目をつむって、手を合わせる。
――ありがとうございました。
心の中でお礼を言い、外へ出た。
「足助」
足助の声だ。なんだか照れくさい。
「まもっちゃん」
いつもならすごく嫌だけど、戸中さんからそうやって名前を呼ばれるのがこんなに心地いいなんて。
「足助君」
いつも通りのはきはきした木元さんだ。みんな、元気そうだ。
コツコツ
白い髪の毛の老婦人がこちらへ向かって歩いてくる。手に何かを持ちながら。
「こんばんは。あなたたちがゼミの学生さん?」
「そうですけど」
木元さんが答える。
「私、山田三郎の妻の山田洋子といいます」
「えっ。山田さん、結婚してたんですか!」
戸中さんが目をまん丸くする。
「ええ。夫は2年程前から認知症が進行していたんです。今回も学生さんと話をするっていうのを聞いて、何かトラブルでも起きたらご迷惑をかけてしまうので私も同行したいと言ったのですが。夫は一人で行くといって聞かないので。学校までは一緒に行ったんですよ。私は近くの喫茶店で待っていました」
みんな、まばたきもせず洋子さんの顔をまじまじと見つめている。
洋子さんは手に持っていたものを差し出した。
「これを見てください」
木の箱だった。
「この箱の中にお花で作った手作りの指輪を入れてプロポーズされたんです。夫はロマンチストでした」
そう言って洋子さんはふふっと笑った。
「この木の箱にメッセージ書かれていませんか?」
木元さんが聞く。
「夫がこの話をしたのね。メッセージは書かれていないわ。物心つく前に母親を亡くしたと言っていた。母親と過ごせたのは生まれてからたったの半年だったみたいだけど、夫は母親を必要としていたのかもしれない」
老婦人は、木の箱には何も書かれていないが、母親から三郎さんへのメッセージが込められていたに違いないという。
僕は、物心がつく前のことを全て忘れさるわけではないのだと思う。意識には上らないだけで、爺さんは6か月間の母親のぬくもりが、心にそっとしまわれていたのだ。そして、突然の母親の死にまだ幼すぎる赤ん坊はそれを受け入れることができなかった。母親の甘い匂い、柔らかい声が突然消えてしまったことがずっとずっと爺さんの根の奥底に押しつぶされていたのだろう。
「そうそう、夫はロマンチストでね。昔、ポケベルが流行っていたの。夫は忙しかったけれどいつもお互いに暗号で連絡をしていたの。毎日、必ず『114106』を送ってきたのよ」
洋子さんの表情がだんだんと明るくなる。
『114106』はあいしてるの意味。爺さんは本当のロマンチストだったんだな。ロマンチスト、ふと、戸中さんの顔を見た。戸中さんも、ロマンチストが好きみたいだ。僕も、ロマンチストになれるかな。って、何を考えてるんだ。
「まもっちゃん」
「え?」
「どしたの。ユウを見つめて」
僕が戸中さんを見つめているように見えたのか。
「さ、もう遅いのでお帰り下さい。今日はありがとうございました。夫はみなさんに会ってお話できて、幸せだと思います」
僕たちは洋子さんに会釈をし、それぞれ帰路についた。
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