そして

第96話

 都紀の国で生死を賭けた決戦から、四季が一通り巡った。



「道長様、これも可愛い♡」

 香絵が手に取っているのは、赤児の服。道長は思わず溜め息を洩らす。

「香絵、服ならもう充分ではないか?」

 道長の両手には、持ちきれない程の服の山。後ろに控えている政次の手も、これまでに巡った店の荷物ですでにいっぱい。

「そうですか?とっても可愛らしいのに・・・。」

 いかにも残念そうに、元の場所へ・・・。

「いいよいいよ。わかった。それで最後だ。」

「きゃあ、うれしい♡」

 香絵は服を道長の抱える山の上へ。

「早く買って、次へ行きましょ。」

「まだ行くのか?」

「だって、いろいろ必要なのですよ?乳母車とか、揺り籠でしょ。手拭いも赤様用の柔らかいのがいるし、お布団に、哺乳瓶に、・・・。」

 香絵が指を折りながら考える。

 一緒に買い物へ出るようになって知ったことだが、香絵はお金の使い方を知らない。そして、物の価値も値段もわからない。遠賀では自分で買い物をする機会もなかったのだが、都紀でも修行に明け暮れ、必要な物は執事が揃えていたそうだ。

「あ、沐浴用の洗い桶も必要ですよね。」

「ハイハイ、ソウデスネ。」

 道長が諦めてコクコクと頷く。赤児が産まれるのは、まだ七月ななつきも先なのだが、今の香絵には言っても効果がないことは、目に見えている。自分達の時のため、少しは役立つかも知れないし・・・。

「で、栄はどうだ?今朝見舞ってきたのだろう?」

「栄ですか?栄は食べ過ぎです。つわりで気持ち悪いって言いながら、一日中食べているんだもの。あれではふつうの人でも気持ち悪くなってしまうわ。」

「ははは。そうか。兼良も大変だな。」

 香絵はくすくすと笑いだした。

「ええ。『いつも、はらはらさせられるっ!』って、傍についていました。良いご夫婦ですよね。本当に微笑ましくて、可愛らしくて。」

「ああ。」

 栄に言いたい放題言われ、兼良はぶつぶつ不平を洩らしながら、それでも心配で傍を離れられない。そんな二人が目に見えるようだ。


 道長は政次と店の支払いをする。その間に香絵は、次はどの店にしようかと物色を始めた。一人、通りを歩く。

「きゃあ。」

 香絵の悲鳴に振り向くと、男が香絵の手を掴み引っ張っていた。

「ちっ。」

 道長は舌打ちして持っていた荷物を放り、走った。政次も続く。

 道長は両手で香絵を取り返すと、男の腹に足を思い切り蹴り出した。「うっ」と腹を押さえ、うずくまる男。

「無礼者!死にたくなければ立ち去れ!」

 剣の柄に手を掛け、政次が言う。殺気だったその目に睨まれ、男は前のめりになったまま、逃げ出した。

「政次、その目は尋常ではないぞ。」

「はい。香絵様は誰にも渡しません。道長様以外は。」

 相変わらず、道長はじめ朱雀御殿の男達は「香絵、命!」なのである。



「まだまだだな。この国の治安は。」

 帰りの馬車の中、肩を落として道長は呟く。

 都紀より帰ってから、道長は治安の改革を始めた。一年前に比べれば、確かに良くなった。物取り、強盗の類いはかなり減っている。

 しかし、男の本能はそう簡単に改革出来るものではないらしい。美姫をめぐる事件は後を絶たない。都紀のように表通りで女達の姿を見ることは、まだ出来ない。

「香絵、やはりまだその姿で表を歩くのは危ないぞ。」

 道長の手助けになればと、香絵は今日、姫の衣で表へ出てみたのだ。

「平気。道長様が護ってくれるもの。」

 道長が香絵の肩へ手を回すと、香絵は頭を道長の胸に寄せた。

 香絵が傍にいる温もりが、道長の心に沁みる。




 あの時、香絵の息は止まっていた。確かに。


 そして、香絵の体が光り始めた。


 香絵を撫で続けていた道長が手を止める。

 香絵の体が淡く輝き、背に翼が現われた。空色の翼。徐々に朱味が差してゆく。全体が薄紫色に変わると、翼も輝きも消えた。

 香絵の胸が静かに上下し、呼吸を始める。

 生きている?

 信じていいのだろうかと、道長が呼び掛ける。

「香、絵?」

 香絵が、目を開けた。

「道長様・・・。」




「道長様・・・?」

 馬車の中、香絵が見上げている。

「疲れたの?癒してあげましょうか?」

「ああ、違うのだ。都紀を思い出していた。」

「都紀を・・・。」

「うん。あれから雲甲斐はどうしたのかと思ってね。」

「さあ。未だに姿を見た人もいないそうですけど。」

 黄暢は現在、雲甲斐の一人娘である夢路が王の代理に立っている。近々正式に王座を継ぐらしい。夢路とは頻繁に連絡を交わしている。恋人ともうまくいっているようだ。

「黄暢の兵士に一人の負傷者もなかったのに、奴だけいなくなるなんて、妙な話だ。」

「ええ。でもどこかで無事に生きていらっしゃるのではないかしら。そんな気がします。」

「そうだな。たぶん。」

 それはそれで、心配ではあるが・・・。

「ねえ。道長様?」

「うん?」

 香絵を見ると、瞳をきらきら輝かせ道長を見ている。

 うん、まずい。これは香絵が道長に無理難題をふっかける時の顔だ。

「これから一緒に、栄様の家まで行っていただけませんか?」

『何だ、そんなことか。』

 そんな事ならお安い御用だと、道長はほっとした。

「ああ。かまわないよ。」



 ところが・・・。

「な、何だ、これは。」

 栄の、つまり兼良の家に来た道長は、香絵に庭へ連れてこられた。


 この邸は栄の父である信重がふたりの新居にと建てたものだ。国王である道長を取り逃がし、傷心の気の迷いで朱雀御殿奥の間へ出仕した栄が、思わぬ大物を釣り上げたことに信重は大喜びした。一度宿下がりした栄が、男の着る衣を着て再び朱雀御殿へ出向くと奇天烈なことを言いだした時には本当に気が触れてしまったのかと驚いたが、結果は予想外の僥倖であった。信重は再び取り逃す前にと電光石火の手回しで婚姻を手筈した。その一つがこの広大な邸だ。


 邸には、母屋、離れ、茶室、蔵等の周りに、池泉庭園や枯山水、路地庭といった、広い庭が数か所に点在している。

 しかし、香絵が道長の手を引いて連れてきたのは、鑑賞用にきっちり整備された秀逸の庭ではなく、ちらほらと雑草も伸びている奔放な庭。

 そしてそこに居るのは、

「子犬です。かわいいでしょ?」

 そこにはたくさんの子犬達。人懐っこく道長の足下に群がる。ざっと見ても二十、いや、三十匹はいる。

 深く考えずについてきた自分が馬鹿だった。香絵のあの顔はいつでも厄介事を持ち込むというのに。

「で?」

 道長は一応聞いてみるが、香絵の次の言葉が分かった気がして、横目で見る。

 香絵はあの『おねだり』の表情かおで次の手を仕掛ける。だが、本人は無自覚。

「お屋敷へ連れて帰ってもいいでしょ?犬好きの栄様が集めたのですけれど、赤様がお産まれになるし。ね♡」

 未だに香絵のこの「ね♡」に逆らえない道長である。

「う、わかった。ただし次の飼い主が見つかるまでだ。そなたが責任をもって探すように。」

「はい。」

 香絵と子犬の群れにじゃれつかれながら、

『私が欲しいのは、子犬ではないのだが・・・。』

 兼良にまで先を越されてしまったと、うなだれてしまう。

 栄をいたわる兼良の姿を見て、

『いいなあ・・・。』

 なんて思う道長であった。

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月の天使 ~空色の翼~ あいあい @aiai-wan11

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