第95話
―――眩い光が引いてゆく。
道長は草原に立っている。香絵が夢に見て描いた、緑
向こうに人影が見える。
『香絵?』
いや、違う。あれは月の天使。
天使の傍らに、まだ少女らしさの残る姫が立っている。二人は睦まじく、微笑み語らう。天使の翼がはばたき、宙で抱き合い、愛し合う。
道長は今気付いた。整いすぎた容姿に、性別を感じなかったが、
『ああ。天使は男だったのか。』
―――目の前が眩しくフラッシュすると、場面が変わった。
数人の男に天使が捕まり押さえられる。男の中の一人は真欄に似ている。抵抗する天使を無理やり馬車に乗せる。走り去る馬車を、泣きながら追う姫。
――フラッシュで再び場面転換。
手足を縄で縛られた天使が、どこかの丘の上に立っている。側には雲甲斐に似た男。丘の下の平原では、大勢の人々が刀や弓で争っている。
男は天使に何か指示をしているが、天使は顔を背ける。怒った男が天使を殴る。倒れた天使の髪を掴み、「見よ」と示した先には天使の愛する姫の姿。真欄に似た男に捕まり、剣を向けられている。
男は再び天使に指示する。それでも天使は出来ないと首を振った。短気な男は激怒し、真欄似の男に姫を斬らせた。
天使がそれを見た瞬間、辺りは豹変する。雷雲が空を覆い、稲妻が人を突き刺す。小さな竜巻が幾つもおこり、人々を巻き上げる。地は裂け人を飲み、水は人を押し流し、獣達が人を襲う。
雲甲斐に似た男は、凄まじい形相の天使ににじり寄られ、恐怖に顔を引きつらせる。天使の体が一瞬光を放ったと同時に、男の体は四散し、微塵と消えた。
――フラッシュ。
傷だらけの天使が、よろけながら帰ってきた。しかし、その腕に抱いて帰った愛しい姫は息せぬ人となって横たわる。姫の父であるこの国の王は、天使に
『そうか。巫子は御子。天使の子どものことか。』
天使は愛しくて堪らないと、赤御を何度も何度も頬ずりする。じっと見詰めその姿を心に刻むと、王に返した。そして、一人その場を去る。
――フラッシュ。
再び天使の地。
天使の後悔が伝わってくる。あの時なぜ彼女の命を優先しなかったのか。負の感情に囚われていなければ、すぐに彼女に駆け寄っていれば、まだ間に合ったかもしれないのに。
天使は自分の能力の大きさに脅威を感じ、この能力から幸せは還らないと、心の奥底に封印する。天使の血は記憶も遺伝する。子孫に繋がる記憶も同時に封印しなければならない。自分の持てるものすべてを使っても、能力が満たない。
小さなひとつの光だけがその地に残り、そして空へ飛び立った。光は御子へと辿り着き、その体内に消える。御子は何も知らず、穏やかに眠っている。
――フラッシュ。
目の前は真っ白。色の
「ありがとう。あなたのお陰でこの地の能力を解き放ち、私は
真っ白だった世界に、少しずつ色が戻ってきた。
輝きが薄れ、世界にすべての色が戻ったとき、道長は意識を取り戻した。
「?・・・・・・っ?!・・・!!!」
香絵は能力を使い果たし、道長の傍らで倒れていた。
道長が香絵を抱き上げると、香絵はうっすらと目を開け、問う。
「道長様・・・。傷・・・は・・・?」
道長は片手で腹を探り、傷も痛みも無いことを確認し、涙を堪えるために歪めた顔で、頭を振った。
「よか・・・った・・・。」
「どうして・・・。いつか言っただろう?私は、香絵のために生まれたと。香絵を護るためにいるのだと。なのにこんなに無理な能力を使って。私が・・・」
抑え切れなくなった涙で言葉が詰まる。
「私が救かったって、香絵に何かあったら、私の存在する意味がないじゃないか。」
香絵がうっすらと微笑んだ。手を上げ、道長の頬に触れる。
力が続かず震える香絵の手を道長は捕まえ、自分の頬に当てた。
一生分の思い出が香絵の記憶の箱から溢れ出す。走馬灯のように過ぎ去る記憶の中でひと際鮮やかに映し出されるのは、何より愛しい道長との日々。林の中で出逢った見目麗しい殿方。与えてくれた義父の家で語らい合った夜。丁寧に教えてくれた仕事、剣の稽古。道長の生まれた国にも一緒に行ったし、初めての海も道長と一緒だった。知らない国を旅して、たくさんの人と出会った時も、ずっと傍には道長がいた。何ものにも代えがたい大切な大切な思い出。
香絵の瞳から涙が一筋零れ、道長の腕の中で呟いた。
「遠賀へ帰りたい・・・。」
「ああ。ああ、帰ろう。遠賀へ。一緒に。」
「嬉しい・・・・・・・・・。」
握っていた香絵の手から力が抜け、道長の手をすり抜けて、ぱたりと落ちた。
「香絵・・・?香絵っ!」
目に溜まっていた涙が、道長の頬へ零れる。
「香絵―――――――――っっっ!!!」
キンと冷たく凍った空気の中、あちらこちらで気配が動き始める。傷つき息絶えたはずの体を不思議そうに眺めながら、倒れた人々が起き上がる。
一体何が起こったのか・・・、と考える。
たった今、目の前に展開した事実。それを思い出した順に、一人、また一人、立ち去っていった。
争いとは何と愚かな行為であったか、つくづくと悟って。
仲間達は意識を取り戻して起き上がり、道長と香絵の姿を見つけると、側へ集まった。二人の姿に声を掛けることも出来ず、ただ立ったままで見守る。
道長は魂の抜けた人形のように、機械的に香絵の頬を撫でている。
静寂の荒野。聞こえるのはたったひとつの
「香絵・・・・・・・・・香絵?・・・・・・・・・香絵・・・・・・。」
道長の手は香絵の頬を撫で続ける。
溢れる涙を止めることも、それ以外のことも、何も考えられない。
考えることを止めた虚ろな頭で、他を映すことを拒んだ
どれ程の時間、そうしていただろうか。
道長の哀れな姿を見ていることが耐えられなくなった正斗がようやく動き、道長の肩に手を置こうとしたその時、はらりと
「雪・・・・・・。」
正斗の鼻先を掠めたこの冬最初の一片は、ゆっくりと道長の手に舞い降りた。それは儚く姿を変え、雫となって手から滑り香絵の頬へと落ちる。
ぽとり。
すると、香絵の体が淡く光り始めた。
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