エピローグ

 おかしなものだ、と思う。両親の命日は覚えているのに、彼らが死んだときのことも、墓の場所も、毎年この日をどう過ごしていたのかも覚えていないなんて。

 親不幸な娘だと小さく嘆息すれば、それが聞こえてしまったのだろう、不意に少し前を歩いていたカレルが振り返った。


「何度も言ったでしょう、姉さんは悪くないよ。忘れてしまったのは病気のせいなんだから、無理に思い出そうとする必要はないんだ」

「……カレル、でも」

「姉さんが目を覚ましてくれただけで、僕は嬉しい」


 にこり、と微笑まれると、それ以上何も言えない。あのときの私は冗談抜きに生死の境を彷徨っていたそうだから、彼の心配ももっともだろう。目を覚ましてから私の体調が回復するまでの間、この子が余程のことがない限り私の傍から離れようとしなかったのも、もしかしたらそのせいなのかもしれない。だからそれ以上は続けず、再び足を進めながら、私はふと首を傾げた。


「二人とも、下に眠っているのではないのね」


 この丘の真下には、王家が管理しているという共同墓地がある。この国の死者はみんな……罪人でもない限り、そこに埋葬されるはずだった。

 少しだけ間を置いて、弟は「うん」と頷く。


「父さんの故郷の国ではそういう風習はなかったそうだから、あの中じゃ窮屈だろうと思って。あ、ほら、着いたよ」


 カレルが指し示す先にあるのは、七年間ここにあったとは思えないほど真新しい、白い墓石だった。


 本来なら故人の名前があるはずの部分には、リシュカ、という家名だけが小さく刻まれている。私が首を傾げたのに気付いたのだろう、弟は苦笑した。


「アランだけ下の霊園に、っていうのも可哀想でしょう。どうせだから、ってエドさんに無理を言って、一緒にしてもらったんだ」

「そう……アランのことも、あなたに全部押し付けてしまったわね」

「平気だよ。姉さんは病み上がりだったし、父さんと母さんのときは姉さんに任せきりだったもの。僕だってもう成人なんだし、もう少し頼ってくれたっていいくらいだ」


 そう言って肩をすくめ、カレルは持っていた白百合の花束を墓石の前に静かに置く。目を閉じてしばらく黙祷すると、彼は立ち上がり、私の方を振り返った。


「ごめん、これから学院に少し用事があって、もう行かないといけないんだけど……姉さんはもう少しここにいる?」

「ええ、そうするわ。……ごめんなさい、忙しいのに無理に連れてくるべきではなかったわね」


 入学試験に文句なしの首席で合格したカレルは、高等学院の教師たちからも一目置かれる存在になりつつあるらしい。そんな弟の勉強の邪魔をするのは、姉として失格だろう。

 けれどそんな私の言葉に、彼は「まさか」と首を振る。


「ここにいるのは僕の家族でもあるんだよ? 僕が来たいって言ったんだから。それより姉さん、一人で帰るのなら気を付けてね。それと、エドさんが帰ってくる頃には僕も帰るけれど、変なこと言われても相手にしちゃ駄目だよ」

「カレルはいつもそれね。大丈夫、あの人はそういう冗談は言わないわ。……また部下の人にお話?」

「うん。色々と『相談』があって」


 含みを持たせた言い方が気になるけれど、話す気がないのならいくら問い詰めたところで打ち明けはしないだろう。そう、とだけ頷いて、丘を駆け下りるカレルを見送る。


 今、私たちの生活の面倒を見てくれているのは、国王陛下の甥だという青年だった。私はその当時のことは覚えていないけれど、カレル曰く、末弟が命を落とした事故に関係していたから、その縁で。

 弟が何を思ってあんなことを言うのかは分からない。もしかしたら、熱で倒れる前の私は彼とそういう仲だったのかもしれないし、あるいは彼とあの子の間に何かがあったのかもしれない。けれどどちらにしろ、今の私には、あの人をそういう対象をして見ることは出来なかった。

 何かをされたわけではない。カレルが心配しているようなことは一度も起こっていない。けれど、何となく、あの人のことを好きにはなれないのだ。

 援助してもらっている身で、恩知らずだとは思う。それでも、どこか辛そうに私を見る彼の視線に気付くたびに、心の奥でざわざわと良くないものが揺れ動くのだ。……だから、やはりきっと、何かがあったのだろう。


 ふと、カレルが供えて行った百合の花が目に入る。

 両親はこの花が好きだったから、見かけるたびに色々な話をしてくれた。この花が持つ意味や、私の名前はそこから取ったこと。この国で見かけることはないけれど、父の故郷では稀に黒い百合の花リスノワールが咲くこと。それにまつわる、いくつかの哀しい物語。

「っ」

 不意に、ぽろっと涙が零れた。慌てて拭っても、それは次々と地面に落ちる。けれどどうして自分が泣いているのかも分からなくて、滲んだ視界に映る白い花を呆然と見つめた。

 ……いや、理由なら、きっと分かっている。


 何か大切なものを失ってしまったような、忘れてはいけないことを忘れているような、そんな気がずっとしていた。

 けれど今の私には、それが何だったのか、どうしても思い出せないのだ。

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リスノワール 高良あおい @a_takara

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