60.灰皿への応援コメント
貞久感出てますなぁ。もっと時系列をシャッフルしてもいいんですかね。しかし、この書き方面白いんだけど一歩間違えればそれらしさで終わりそうでもある
作者からの返信
単純に時系列を入れ替えながら書けば貞久秀紀風になるかというとそうではなく、貞久の詩において時系列は混乱しているのではなく、むしろ物理的な時間意識(X軸の原点から次第に離れていくグラフ的、線的な時間意識)に混乱させられていた時間を、生きられた時間意識に正しく置き直していく、というしぐさなのだと思います。
『具現』はそうした意識があるだろうと思いますから、ここを掴んでないと言われる通り“らしさ”で終わるでしょう。私のなかではパラレルな時系(タバコを吸ったか吸わなかったか)があって、これに対して適用できるだろうと踏んで書いた、という感じですね。表現と内容が私のこの詩が一致しているかは、確信しきれませんが、ある程度一致しているんじゃないか、と作者的には思っている、といったところですね。
13.雨の日と晴の日のメルヘンへの応援コメント
は、メルヘンかよ
が軸にあって印象的。ユーモアがあって楽しく読めました!
作者からの返信
空から水がどしどし降るってシュールだな、という着想自体は雨の日の高校の授業中でしたねぇ。作者的にはかなり印象がライトです。
14.外出への応援コメント
詩を朗読するとき私、という個が凄く邪魔に思えることがあります。一編の詩に没入するとき同じような気になります。この詩とは関係ないのかもしれない、けれど、そんなことを思いました。
作者からの返信
またしても例に出す「レモン哀歌」ですが、あの詩は適切に“わたし”が組み込まれていて、あのように自己が読者に提示されるのが望ましく思います。
この詩においては、老人とその背後の景色のいわば無関係性と、詩を内面化/理解してしまうことで私の一部になってしまう。この場合、より悪い取り込みとして作中の“私”は感じているゆえに、老人と景色の無関係性に憧れを抱いている、そして私がガラスに映るとき私を媒介者として、無関係性という関係が老人と背景にできてしまう、ということを書きたかったのだったと思います、が正直うまく書けていません。
私が邪魔になるというのはありますね。
と、思ったけどその私って、作中の“私”のことなのか、朗読する私のことなのかと、ちょっと躊躇が起きています。
私は朗読でうまく読めたと自負できたことが殆どありませんが、私をどこまで作品に埋没させ、作品の“声帯”になれたか、というところを考えたりはします。
7.後悔の軌跡への応援コメント
連続する時の軌跡はわたしを常に押しやりながら、心は後へ後へとなびきますね。後悔が航海に繋がるのはわかっていながらそれにわざとらしさを感じさせないのは巧みですね。ミクロ、マクロに関わらず動き続ける。静かな語りの中でその動きを凄く感じました。
作者からの返信
ありがとうございます。
これ、後悔が前面に出すぎた感があります。地球の自転、公転、太陽系の移動、銀河系の移動を思えば、過去、現在、未来と地球上の同じ地点に立っても、宇宙座標上の同一地点は一度きりの通過点なんだな、というところから着想してて、そっちに目をもっていかせられなかったところが悔やむところです。
まあでも? 後悔から航海の変換にひょっとすれば、それを少し覗かせられているのかな、というところですかね。
19.フィクション語りへの応援コメント
あ、なんか、凄い。
なるほど、フィクション。
読む、スクロールする私の中で。
うん。うまい。
作者からの返信
ありがとうございます。なんか、見つけた! って感じで書き始めました。
この子が読むかたの住む、どこかにいるような気配が与えられたら成功です!
捉えようによってはほんのりこわい。
61.海風への応援コメント
あぁ、よい感じだ。これっ、て観光で閉じないで固有名詞を詩句に織り込んだりできないかなぁ、と。あ、でも景を描いた詩集の頭か、尻に入ってたら良い詩な気もしますね
作者からの返信
具体的なものを出そうかと思ったんですが、どうしても長くなったので、とりあえずここで妥協しました。もっと良い書き方があると思うのでまだ考え中ですね。