epilogue

 七月の風は熱かった。梅雨入りのニュースを数週間前に聞いておきながら、雨らしい雨はまとまって降らず、今日も今日とて灼熱の光線が身を焼いていく。こんな時期に屋外にいるものではない。俺がいるのはいつもの熊手キャンパス食堂だ。

 自主休講を続ける、木曜日の三コマ目。たいらげたチャーハンの皿を脇に追いやり、俺は野菜ジュースをすすっていた。人参の味しかしないそれを渋い顔でひたすら飲んでいく。そうでもしないと退屈だった。待ち人は未だ来ず。


 ショックを受けて当然か、と思った。俺は出会って三ヶ月だけど、スメラギにとって支倉さんは二年以上のつき合いだ。その人が犯人で、追っていた組織の重鎮で、自分を嫌悪していたと知ったら、その衝撃たるや。監禁よりも堪えただろう。

 それでも俺はここで待つ。七月下旬――単位をかけた期末テストのまっただなかに。


「やあ」

「――――」


 なんてことない顔をして、住良木密はやってきた。


「スメラギ……」

「君、この時間授業があったんだって? ダメじゃないか、授業をさぼるなんて大学生の怠慢だよ」

「……そこは久しぶり、とかじゃねえのかよ」

「友人の単位を心配するのは良い挨拶と言えないかい」


 言えないね、大いに言えない。俺はその言葉を飲み込んで、空っぽになった野菜ジュースを潰す。チャーハンの皿に放り投げた紙パックは、無惨に捻られて横たわった。


「今更単位の心配されてもな。四月しかででないから絶望的だぞ。今テスト中だし」

「単位を捨ててまで僕につき合う必要はなかったのに」

「殴っていいか、今のはさすがに怒るぞ」


 許可は取らずに殴った。スメラギの左肩に拳を沈める。


「痛ッ! 君、じゃれあいにしては重い一発だよ」

「じゃれあってない、本気で怒ってるからな。七月の終わりにかける言葉じゃねえんだよふざけんなって感じだ」

「それは……すまない」


 果たしてその謝罪に、どれほどの意味が込められていたのだろう。何に対しての謝罪なのだろう。

 思い返せば返すほど、幾多のはた迷惑な行為を思い出す。サークルの新歓で俺を相棒に誘ったことか? 単位をひとつ犠牲にしたことか? テスト勉強の時間を削ったことか? 授業時間もスマートフォンをいじらせたことか?


 それだけじゃない。きっと全部なんだろう。四月からこの日までの、すべてに。


 だから俺も応じよう。非凡に憧れた高校生がちょっと大学デビューを間違えていた時期に――出会ってしまった探偵さんに。髪を染めて横柄な態度をとっていれば目立てると、特別な自分に慣れると思いこんで。時折思い出すように痛むピアスの穴に罪悪感を覚えたりしていた、小心者の俺。振り返るほどに普通の俺に新しい世界を見せてくれたのは、間違いなくこいつなのだ。


「別に。次は手加減する」


 そうして、次の扉は開く。安楽椅子に腰掛けて事件を解決するわけではない――その鍵をこじあける、悪趣味な王子様の手によって。

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密室×王子 有澤いつき @kz_ordeal

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