第3話

 家に帰ると母から「どうして学校に行かなかったの」と詰め寄られた。どうやら学校から連絡があったようで、それにより露見してしまったらしい。

「いや...道端でおじいさんが倒れてて、助けて病院まで付き添ったらお礼にって呼ばれて...流石に断れなくて...」

 その後しばらく詰問を受け、その全てに出任せで答えた。納得はしていないようだが、どうにかごまかすことができた。


 今日1日で疲れ果てた私はベッドへと倒れ込む。図書館で発行したリストを手に取り、軽く目を通す。仰向けに体勢を直して次のページ、次のページとめくっていると、見覚えのある表紙が写っていることに気がつく。今日店主から受け取った本とそっくりの表紙が39冊も写っているではないか。慌ててバッグから本を取り出す。ああ、店主も言っていたではないか。「今では禁書だ」と。頭を抱えるも受け取った事実は消えない。そのままバッグの中へと戻し、リストを床に投げ出す。もういいや、今日は寝よう。


 翌る日、外の喧騒で目が覚めた。日はまだ昇っていない代わりに、数本の煙が上っている。慌てて時計を見ると短針は3を指している。クローゼットから簡単な服を選び出し、急いで家族を起こして回り外へ出た。この騒ぎは一体なんだと話していたら、どこからか走ってきた男が私の父の足元へ倒れ込んだ。男は父の穿き物の裾を掴んで泣きながら「俺をかくまってくれ!殺されちまう!」と訴えた。見るに慌てて逃げてきたようだ。私たちはその男を家へと上げカーテンを閉めた。私だけは自室へ戻り、隙間から外の様子を眺める。しばらくすると、女が1人走ってきたが、どうやら足を怪我しているようだった。その女は家のすぐ近くで倒れこむ。その女は何かを叫び、怪我した足を引きずっていたが、その懸命な努力もむなしく後から追いかけてきた男に頭を打たれた。血がその場に飛び散り、もう助からないだろうと思われたが、男はその女を踏んで蹴って痛めつけた。私はいつもなら絶対に見ることのない光景に目を疑ったが、その場面から目を離せなかった。まるでドラマを見ているかのように、まるで読んだ小説を想起するように、その非現実は私の中を侵食し、私を釘付けにさせる。その男は疲れたのか暴行をやめると痰を吐きつけ、その場を離れた。後には赤い泥と桃色の身、そして茶色の水が混ざり前衛芸術を一瞬思わせ、同時に吐き気を催させる物体が残っているのみだった。


 私はしばらく現場をぼうっと眺めていた。気が付いた時にはすでに2分も経過しているようだった。しばらくベッドに臥せっていると、母親に1階から声をかけられた。どうやら食事の用意ができたらしい。あの残虐さを見せつけられた後で食欲はわかないが、食べないことには今日1日保たないだろう、仕方なく食べることにした。かくまった男も共に食卓を囲んでいる。男は震えた声を私にかける。

「お嬢さんには...まだ自己紹介して...なかったね。私は...アクラド・ サカルトヴェロだよ、クラッドおじさんとでも呼んでくれるとありがたいな...」

「アクラドって山の名前ですよね?」

「そうだよ、よく知ってるね。」

「もしかして、ご両親はクルド人ですか?」

一瞬不機嫌そうな顔をしつつもその男はすぐに笑顔に戻る。

「ははは...よく、わかったね...そうだよ、父がクルド人なんだ。」

「民族名を子供の名前にするなんて、アクラドさんの両親は民族主義者なんですか?」

さあ、どうだろうね、と返す笑顔はとても引きつっていた。


 今日は学校は休みであるため、神に祈るために寺院へと向かう。中央の祭壇にはろうそくがあり、そこに火をつける。神聖な火に息がかからないように上を向きながら両手を肘からあげる。そして祈りの言葉を唱えあげる。



 隣にそびえ立つ沈黙の塔からは祈りと泣き声が聞こえてくる。


 今日はきっと1日中聞こえてくるだろう。


 明日も、明後日も。永遠とも感じられるほどに。



 時間は朝5時、クラッドおじさんは家に家族が戻っているか見に行くという。私たちも安全のためについて行くことになり、しばらく歩くことになった。もしかしたら、いや、ほぼ間違いなく帰ってきていないだろうと皆はどこかわかっていた。そのためか、移動の間は沈黙が続いていた。しばらくして日が昇るとはっきりと見えてくる。道端に転がる人であったものが、数100メートル置きにぽつん、ぽつんと転がっている。それまでは頭が勝手にシャットアウトしていてくれていたであろう悪臭は、現実を見るとともに一層強くなる。途端、吐き気。私は口を抑え屈んだ。喉の奥が焼けるように痛い。朝食と混ざり合った胃液が体内からも悪臭をもたらし、少しでも液に触れた舌は痛みと苦味を伝える。手の隙間から抑えきれない内圧によって溢れでる"黄"は、服を濡らしよごし、アスファルトを濡らしよごし、尊厳まで濡らしよごした。道端に転がる死は朝の惨状が全く非現実ではないことを私たちに対してアピールし続けている。


 私は両親に支えられて移動する。しかし、 サカルトヴェロ家の夢は、近づけば近づくほどに遠ざかって行く。近づくとわかる、熱量とタールの臭い。すぐ横からは悲しみの音がする。結局、私たちがたどり着いたのは煙、火の粉、業火であった。アクラドはその場に泣き崩れた。ひざまずき、空を仰ぎ、声を上げる。男らしさのかけらもない、惨じめで大きな鳴き声である。その男は少し首が傾いた。その先にいたのは大きな女と小さな女1組であった。大は背中に数発の弾痕があることが遠目にもわかる。小は顔が大きく腫れ、衣服は着ていなかった。いや、剥がされたのかもしれない。男はそれらに駆け寄り、その隣で肘を地面へと強く打ち付けて喚き始める。


 ここから、私の永い一日が、偉大なる革命おろかな抵抗が始まるのである。

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ラビの魔 キュバン @cubane

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