第10話 全ての終わりは全ての始まり

 ラーアルの転移魔法で、我々は人間共の国の中心に建つ城の前へと一瞬で移動した。

 城には防犯上の理由で転移魔法が発動しないように魔力結界が施されているらしく、転移魔法で移動してくるのは此処までが限界なのだという。

 てっきり国外に移動してそのまま国へと攻め入るものだと思っていたから、その手間を回避できたのは有難い。

 城は堀で囲まれており、巨大な玄関扉の前には跳ね橋がある。

 その跳ね橋は現在は下りており、通れるようになっている。しかし本来ならば往来する者を監視するためにいるべきであるはずの衛兵の姿はなく、玄関扉も片方が開いており不法侵入を許している状態だ。

 何なんだ、この無防備な有様は……

 幾ら人間共が戦意喪失しているとはいえ、最後の砦を守るための兵すらいなくなっているとは、貴様らは人間としての矜持はないのかと思わず問いただしたくなる。

 何にせよ、進軍を妨害してくる存在がいないのならば、その状況に遠慮なく甘えさせてもらう。

 我々は堂々と開いている玄関扉から城内へと足を踏み入れて、長く続く廊下を進んでいった。

 先頭を歩くのは勇者だ。共に連れている人間たちは皆この城の構造を熟知しているので、迷うことなく目的地を目指して歩いていく。

「……誰もおらぬのぅ」

 娘が怪訝そうに呟く。

 確かに、娘の言う通り……もう既に結構城内を歩いているというのに、不自然なくらいに誰とも会わない。

「魔王様が此処に攻めてくることを恐れた兵士たちは、我先にと城を捨てて逃げ去りました。おそらく、此処にはもう殆ど人間は残っていないと思います」

 娘の呟きを拾ったラーアルが答えた。

 戦いもせずに逃げるとは……それで兵士とは笑わせてくれるものだ。

 これでは、わざわざこの者たちを連れて来る必要はなかったかもしれんな。

 ──やがて、廊下の果てに見えてくる巨大な扉。

 その少し前で、勇者は立ち止まった。

 それにつられて、余と娘も立ち止まる。

 余たちから少し離れた位置に、ラーアルを筆頭とした残りの者たちが通り道を塞ぐようにして立っていた。

「……魔王様。私たちは、王家の者が逃亡した時に備えてこの場で待機しております。此処を塞いでいれば、逃亡を食い止めることができますから。此処から先は、魔王様たちだけでお進み下さい」

 ラーアルが一礼をする。どうやら彼らはこの場から先へは進まないようだ。

 まあ、この奥にいるであろう人間共を一人残らず抹殺するだけの簡単な仕事だ。わざわざ大勢で押しかける必要もあるまい。

「そうか。……では、参るとしようかの。ウノ。父上」

 娘が勇者に扉を開けろと促す。

 勇者は両手を使って、ゆっくりと扉を左右に押し開いた。

 扉の奥は、広い部屋になっていた。何本もの飾り柱が並び、壁には細工の見事な剣や盾が幾つも飾られ、旗が垂れ幕のように天井から下がっている。部屋の最奥には豪華な作りの椅子が二つ並べて置かれており、その椅子の存在が、此処が玉座の間であると余に教えてくれた。

 天井から吊り下げられた宝石の花のような形をした煌びやかなランプと思わしきものが、室内全体を明るい白に照らしている。そのためか、足下には黒々とした影がくっきりと浮かび上がっていた。

 このように広い部屋を満足に照らすランプなど、我らの国には存在しないものだ。人間共が作った特別製のランプだろうか。ああいう照明用の道具があると生活面が今以上に豊かになりそうだなと、そのようなことを独りごちる。

「ウノよ。本当に此処が城の最奥の部屋なのかの」

「そうだ」

 勇者は迷わず玉座に向かって歩みを進めていく。

 座る者が誰もいない空の玉座は、ただそこにあるばかり。

 二つの椅子の、間。そこで勇者は立ち止まると、こちらに向けて振り向いてきた。

「……此処で、長らく続いてきた人間と魔族との戦争が終わる──」

 勇者は叫んだ。声高に。


「捕らえよ、影を掴む神の右手シャドウ・リストリクション!」


 勇者の影が、不自然に大きく膨れ上がる。

 それは一瞬にして巨大な手の形となり、余と娘の影を鷲掴みにした!

影を掴む神の右手シャドウ・リストリクション……己の影を介して相手の体の動きを完全に止める魔法だ。流石のお前たちも、身動きが取れなければどうすることもできまい」

「…………!」

 余は身を捩った。

 しかし、意志に反して体は全く動かない。

 この魔法、影がなければ効果を発揮しないので、何らかの方法で影を消し去ってしまえば効果を解くことができるのだが……動きを停止させる効果は全身に及んでおり、口を開くことすらままならない。

「……な、何を……するのじゃ。血迷うたか、ウノ……」

「いや? 私は元から正気さ。全ては、この瞬間のためだった」

 重たくなった唇を懸命に開いて問う娘に、勇者は笑いながら答えた。

「確実に、魔王をこの世から葬り去るために……私がお前の前に初めて姿を見せた時から、私の計画は始まっていたんだよ」


 勇者は語る。


 魔王の軍門に下ったふりをした勇者は、頭のおかしい無能な変態男を演じながら、魔王が自分を信頼するように少しずつ誘導していった。

 そして魔王からの信頼を得られるようになると、人目を忍んでこっそりと思念波テレパシーで情報を遣り取りしていた仲間の魔道士ラーアルを呼び寄せた。

 ラーアルの姿をわざと巡回兵に目撃させ、それを討滅するという名目でラーアルと接触し、彼を説得して仲間に引き入れたように見せかけた。

 予定通りに魔王の下僕として迎え入れられたラーアルは、勇者の計画を次の段階へと移した。魔王を確実に仕留めるための舞台を用意することである。

 そのためには一度人間の国へ行き、王家の者を初めとする協力者を集める必要があった。

 人間の国に行く口実を作るため、ラーアルは魔王に人間共から戦意を奪うためと称して映写鏡を用いた例の脅迫メッセージを作成することを提案した。その場に四天王が一緒にいたことは誤算であったが、概ね問題なく事は進み、ラーアルは人間の国に行くことができた。

 人間の国に入ったら、計画は更に次の段階へ。予め計画の内容を聞いていたラーアルの仲間の戦士たちと合流し、彼らを魔王の力に魅了された下僕志願の人間だと称して共に行動するそれらしい理由を作り、今が人間を攻め滅ぼす絶好の機会だと魔王を説得して城から連れ出した。

 そして──魔王を討つ全ての準備を整え終えたこの場所へと魔王を誘い込み、閉じ込めた。

 この城全体が、魔王を捕らえるための巨大な檻なのだという。


「……この部屋は、ラーアルたちの手によって外側から完全に封印された。もうひとつの仕掛けも、じきに発動するはずだ」

 勇者が言い終わるや否や、城全体が鈍い震動を始めた。

 これは……地震ではない。空間そのものが歪んでいく、震動……?

「間もなく、この城はラーアルたちが発生させた空間の『ひずみ』に呑まれて消滅する。跡形もなく消え去るか、それとも何処か別の次元へと棄てられるか……いずれにせよ、お前たちがこの世界の土を踏むことは二度とない。魔王は勇者との戦いの末に封印され、世界は平和になった……どうだ? 昔話にありがちな、如何にも勇者と魔王の伝説らしい結末だろう?」

「……勇者を犠牲に、余たちを葬る……か……これも、貴様の筋書き通りなのか? それとも、貴様の仲間の発案か」

 勇者は余たちの動きを封じるために影縛りの魔法を使っている。この魔法は相手を完全に拘束する代わりに、魔法を発動させている間は自らも身動きが取れなくなるという欠点があるのだ。

 幾ら不死身に近い勇者とて、空間のひずみを介して別次元に放り込まれてはただでは済むまい。それは他ならぬ勇者当人が最も理解しているはずだが……

 勇者はふふっと笑った。いつも娘に見せていた、親しみを感じさせる笑顔だ。

「どうせ、私は寿命が来るまで死ねないんだ。何処かまた別の世界に飛ばされたとしたら、そこで暮らしていけば済むだけのこと。行き着いた先がどんな地獄だったとしても、生きている限り、希望はある……それを探して掴むために旅をするのが『勇者』なんだよ」

 ──辺りに闇が満ちていく。

 城の外に出現させたという空間のひずみが、この城を完全に飲み込もうとしているのだ。

 この城は転移魔法が発動しないように結界が施されていると言っていた。この部屋自体が封印されている今、我々が此処から脱出することはもはや叶わない。

 ……してやられたな。我々が脆弱で下等な存在と卑下していた人間の、知恵に。

 余は最後の最後までいつものようにそこに佇んでいる勇者に向けて、言った。

「……勇者よ。完敗だ。先代魔王として……余から、貴様にこの言葉を贈ろう」

 深く息を吐いて。先代魔王らしい微笑を口元に浮かべて、告げる。

「そのパンツは……もう少し、布面積を多く取るべきだと思うぞ」

「はは、この方が如何にも変態らしいだろう? お前がそう思ったのなら、この形に仕立てて正解だったよ」

「……この状況で言うことがそんなしょうもない言葉だとはの……父上」

 心底呆れた様子で娘が呟く。

 彼女は魔王ではない、普通の少女の顔をして余を見つめ、言った。

「……約束、守れなんだ。妾は親不孝者じゃ。許してたもれ、父上」

「……謝ることはない、ルルーシュ」

 手が動かないから、その顔に触れることもできない。

 この時くらいは……娘に、直に触れたかったものだ。


「余も、共におるのだ。これから先も……余は、お前の傍におる。決して離れぬ。だから、淋しくはなかろう──ルルーシュ」


 空間のひずみは城を完全に飲み込み、跡形もなく消滅した。

 こうして、長きに渡って続いた人間と魔族との戦は、人間の勝利で幕を閉じたのだった。


 それから、月日は流れ──


「帰ったぞ、アレク。ルルーシュ」

 閉じていた扉が開き。巨大な猪を担いだ勇者が姿を見せた。

 いや……今はもう、あれは勇者ではない。ケイトと呼ぶべきか。

 余は鍋を掻き混ぜていた手を止めて、微妙に渋い顔をしてそちらへと顔を向けた。

「……しばらく肉はいらぬと昨日申したであろうが」

「捌いて燻製にすれば保存が利くんだし構わないだろう? 食糧は確保できる時にしておくべきだって本に書いてあったぞ。毎日満足に食べられる保障なんてないんだから、備蓄のことも少しは考えないとな」

「処理するなら貴様がやれ。余は忙しい」

「ルルーシュは何処だ? 外か?」

「娘は畑の世話をしておる。そろそろトマトが熟れて食べ頃になると張り切っておったぞ」

「そうか。それじゃあ、こいつを捌いてくるよ」

 扉が閉まる。

 再び静かになった小屋の中で、余は料理を再開した。


 ──此処は、何処とも分からぬ世界の中の、何処かに存在する森の中。

 此処で、余は娘とケイトと共に、畑の世話をしながら静かに暮らしている。

 空間のひずみに飲まれて世界の狭間を漂流した我々は、長き旅の末にこの世界へと辿り着いたのだ。

 元いた世界が今どのようになっているのかは、分からない。

 国に残った兵たちや四天王たちの中から新たな魔王を選出して変わらぬ日々を過ごしているのか、それとも彼らも人間の手によって滅ぼされてしまったのか……知る術もない今となっては、興味を抱くこともない。時折思い出す程度で、後は過去の記憶の一部として頭の奥底に眠らせるばかりだ。

 元の世界にいた頃は勇者と魔王という間柄の我ら三人であったが、今となってはそれも過去の思い出だ。

 今此処にいるのは、勇者でも魔王でもない、ただの異世界からの来訪者である。

 こうして畑で育てた野菜や狩りで手に入れた肉や魚を材料に料理を拵え、同じものを食し、穏やかな時を過ごしながら、同じ寝床で眠る。そんな生活を、もう何年も続けている。

 戦わないのか、と? 今更そのようなことをして何になる。娘は既に一族を守る魔王ではないし、ケイトも既に人類を守る勇者ではないのだから、争う理由など何処にもないではないか。

 この世界に訪れた時点で──我々の『守るべきもののための戦い』は終わりを告げたのである。

 長き寿命を持つ余や娘と異なり、人間であるケイトは我々よりも老いるのが早い。彼は初めて会った時よりも少しばかり齢を重ね、目尻や口元の皺が若干深くなった。

 いずれは余や娘よりも早く寿命で天に召されるのであろうが……その瞬間が来るまでは、こうして、此処で三人仲睦まじく暮らしていくのであろう。


 余は、アレクサンドロス・ラーヴァナ・ルメージア。かつては魔王と呼ばれ、今では隠居ですらなくなった、何処にでもいる普通の年寄りである。

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隠居魔王の成り行き勇者討伐 倒した勇者達が仲間になりたそうにこちらを見ている! 高柳神羅 @blood5

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