第9話 隠居魔王様、出陣を決意する

 ラーアルが人間共の国に向かってから五日が過ぎた。

 会議のために城に訪れていた四天王たちも各々の城へと帰り、此処は、普段通りの穏やかな環境へと戻っていた。

 余は、相変わらず蔵書室で読書に耽る時間を過ごしている。

 娘はというと、こちらも相変わらず勇者を拷問部屋に連れ込んで甚振る遊戯に勤しんでいるらしい。

 最近は勇者の驚異的な肉体再生能力に目を付けた城の薬師たちが、新薬の実験台にと毎回違う種類の薬を片手に娘の元へと訪れているそうだ。

 薬師、というと怪我や病気を癒す『命を救う薬』を調合する医者のような存在に思われがちだが、実際は薬師はあらゆる薬の扱いに精通したプロフェッショナルで、彼らの持つ知識は時に命を容易く奪う毒薬や環境にすら悪影響を及ぼす劇薬すら簡単に作り出す。その薬は戦場に赴いた兵たちの頼れる武器として用いられ、兵たちの命を救っているのだ。

 薬師たちが娘に献上した新薬は勇者に与えられた。内臓のみを一瞬で壊死させる毒薬であったり、汗や唾液などの人間の体液に反応して爆発する爆発薬であったり、細菌を大繁殖させて肉を腐らせる腐液であったり……彼らが持ち込む薬は、それを服用した勇者に様々な影響を齎した。魔法などで直接体を破壊されるものとは全く異なる苦痛を味わえるということで、勇者も今では薬師たちの来訪を楽しみにしているという。薬の効果が何であれ、絶命する瞬間に勇者が興奮して失禁する癖は相変わらずなので、それを目の当たりにした薬師たちは引いているらしいが……これも一族の者たちの助けとなる薬を開発するためだ、多少のことには目を瞑っておいてもらおう。

 そんな感じで、各々が思いのままに過ごしていた、昼下がりの穏やかなひと時。

 人間共の国へと行っていたラーアルが城へと帰ってきた。

 我らのために命を懸けて尽くしてくれた下僕の帰還なので、労を労うくらいはしてやるかと娘とラーアルがいる玉座の間へと向かうと。

 そこには、玉座に座る娘と、その前で跪くラーアルと──見たこともない、上等そうな武装に身を包んだ人間の戦士が八人、同様に跪いて頭を垂れている様子が目に飛び込んできたのだった。


「……これは一体何なのだ。この人間共は、一体」

「只今帰還しました、先代魔王様」

 跪いたまま面だけを上げて、ラーアルは言った。

「この者たちは、魔王様の下僕になりたいと志願してきた人間の戦士たちです。誰もが私に匹敵する実力の持ち主であり、頼れる者たちです。必ずや魔王様のお役に立つであろうと思い、連れて参りました」

 ──人間共の国に到着したラーアルは、予定通りに映写鏡を王家の人間へと渡し、記録していた件の映像を国中に放映したそうだ。

 それを目の当たりにした人間共は、瞬く間に娘に対する恐怖心を抱き、人間が魔族に歯向かうことは無謀であると思い知ったという。

 そんな中、娘の絶対的な力に魅了されたという人間たちが現れた。その者たちは魔王こそ自分たちが崇めて支配者とするべき偉大なる存在であると考え、是非とも魔王の傍で手足となって働きたいと思ったのだという。

 それが、今ラーアルの背後に控えている者たちだ。

 ラーアルに匹敵する実力の持ち主……ということは、少なくともこの国の周辺に広がる森や山を単独で歩ける程度の力を持っているということに他ならない。

 娘に忠誠を誓っているのであれば、多少なりとも使い物にはなるだろう。勇者とラーアルを含めて十人もいるのならば、こいつらだけで隊を組ませて有事の際の捨て駒として利用することができる。

 人間全てがすっかり戦意喪失してしまったのならばその限りではないが、未だ我々に楯突こうとする蛮勇を振り翳す輩は少なからず残っているはずだ。それらを処理するための駒だとして考えるには、悪くはない。

「ほほ、妾の下僕にのぅ……」

 娘は笑いながら、跪く人間たちを上から見下ろしている。

「そちら、本当に妾に仕えたいと本心から思っておるのか?」

『はい、魔王様!』

 声を揃えて娘からの問いかけに答える戦士たち。

 その見事なまでに揃った声に、余は少々驚いてしまった。

 これほどまでに統率が取れているとは……こいつらは、元兵士か何かだったのだろうか。自由に振る舞う冒険者とやらは規律に縛られるのをあまり好まないらしいから、即席の寄せ集めのような集団でここまで揃った行動を取る身の振る舞い方が備わっているとは考えづらい。そうだな、いずれ死する運命にある人間の王家に仕えているよりは魔王の下僕となった方が幸福だと考えた脱走兵だと考えるのが妥当なのかもしれん。

「魔王様、ひとつ提案がございます」

 ラーアルが真面目な面持ちで進言する。

「人間たちが魔王様の御力に屈服して反抗する気力すら失っている今こそが、王家を滅ぼしこの戦に勝利する絶好の機会であると存じます。王家の者たちが逃亡してしまう前に城に攻め入り、魔王様の御力で、これを完全に滅ぼして頂きたいのです」

「……妾に直接人間の国に攻め入れと、そう申すのか?」

「左様です。そしてその際の露払いとしてお連れになる兵として、そこにいる勇者を含めた魔王様に忠誠を誓う私たち人間を選んで頂きたいのです」

 魔王が人間共の国の中枢を攻める際に戦力となる兵を連れて行く、その考えは理解できる。

 だが、そのための兵としてこの場にいる人間を選べというのは、一体……?

「貴様ら人間を兵に選出する、その理由とは何だ」

 余が問うと、その質問は想定済みとでも言うように、ラーアルは間も置かずに答えた。

「今回の襲撃は、時間との勝負です。地の利に疎い者を大勢引き連れていっても、それは無駄に場を混乱させ、果てには逃亡を企てる王家の者をみすみす逃してしまうことにも繋がりかねません。……その点私たち人間は、国内の地理は無論のこと城の内部構造の隅々まで把握しております。最短距離で城の最深部まで到達し、王家の者たちを捕らえる手助けができます。もしも魔王様からお許しが頂けるのであれば、私たちが代わりにそれを仕留めて御覧に入れましょう」

「……勇者を共に連れて行けというのは?」

「万が一、人間たちが何らかの対抗手段を持ち出して応戦してきた場合、それを無力化させる戦力が必要になります。その役目は力量的にも地理に聡いという点でも勇者が最も適任なのです。何より勇者はほぼ死ぬことはありませんので……盾にするにも囮にするにも彼以上の適任者は存在しないと考えています」

「……成程」

 一応、筋は通っている。

 雲隠れしてしまった者を探すのは、事の外厄介で大変なのだ。隠れていそうな場所を土地ごと壊滅させてしまうという手も使えないことはないが、我々は世界滅亡を望んでいるのではない。むやみに土地を壊すとそこは領地として魅力がなくなり、最悪開墾することすらままならなくなってしまう。それは流石にまずいのだ。

 最小限の戦力と被害で標的を仕留められるならば、それに越したことはない。

 余が娘にちらりと視線を投げると、娘もラーアルの考えは理解したらしく、頷いた。

 ゆっくりと玉座から立ち上がり、言う。

「……良いじゃろう。今こそ戦を終わらせる時と申すのなら、妾はそのためにかの地へと赴こうではないか。そちの願い通りに、妾に歯向かう愚か者たちを排除するための兵としてはそちら人間を連れてゆこう。しっかりと働き、妾の役に立つのじゃぞ。良いな」

『承知致しました、魔王様!』

「ウノよ、そちもこやつらと共に行動せい。手向かう人間は遠慮なく殺して良い。どのみち反抗心のある人間なぞ下僕になぞできぬからの」

「分かった。最高の働きをしてやろう。一瞬で終わらせてやるから、楽しみにしていろ」

 腕を組んでにやりとする勇者。この遣り取りが戦の戦局を左右する大切な話であると把握しているらしく、普段の変態な言動がまるで冗談だと思えるほどに、真面目だ。

 歴代最強の魔王である娘と、限りなく不死に近い再生能力を持つ勇者、それには及ばないが優れた魔法の才能を持つ魔道士ラーアルと、それに匹敵する力を有しているという八人の戦士たち。

 娘と勇者の力さえあれば人間如き簡単に制圧できてしまいそうではあるが、何事にも万が一ということがある。

 余も、娘の護衛役として同行することにした。

「ルルーシュよ。余もお前の護衛として共に行こう」

「ほう、父上も来るとな」

「余はお前に魔王の座を譲り渡して以来ろくに体を動かしてはこなかったが……それでも、力そのものは衰えてはおらぬ。万が一の時はお前の身代わりとなる程度の役には立つだろう。余はただの隠居故、死んでも国には何の影響も齎さぬが、お前は魔王だ。殺されるなどということは決してあってはならぬのだ。お前の死は一族の滅亡と同義であることを肝に銘じよ。……それに」

 ……これを言って良いかどうかは、正直言って迷った。

 だが、言わねばならぬと、何故かそのような気がした。


「お前は……余にとっては、何よりも大切な、愛する娘なのだ……余よりも先に死ぬなどと、そのような親不孝なことだけは決してしてくれるな」


「……父上」

 娘の顔を覆っていた魔王としての威厳に満ちた表情がみるみる薄れていき、普通の少女としての顔になっていく。

 何かの悲しみを堪えるような、そのような表情を僅かに浮かべながら、娘は余の方へとゆっくり歩み寄ってきて。

「妾も……父上が大好きじゃ。絶対に、絶対に、死なないでたもれ……妾と共に、必ず、この戦に勝利して此処へと帰ると、約束しておくれ」

 ぽすんと余の腕の中に納まった娘は、とても小さくてか弱い、少女らしい体をしていた。

 ──それは、娘が生まれて初めて余に見せた、父を想う娘としての顔であった。

 余は言葉を返す代わりに、娘の体を強く抱き締めた。

 必ずや、この戦、勝利を収めて凱旋しようと強く願いながら。

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