第8話 賢者が語る正しい人間の脅し方・後編

「……くそっ、この程度の拘束で私を無力化できたと思うな! 私の最大奥義を食らって消し飛べ、魔王!」

 自分に徐々に歩み寄る娘を睨みながら勇者が叫ぶ。

「具現せよ、理が約束した絶対の消滅アルティメット・アナイアレイシャン!」

 娘を中心に、眩い光が収束していく。

 そしてそれは一気に膨れ上がり、激しい大爆発を引き起こした!

 理が約束した絶対の消滅アルティメット・アナイアレイシャン──その名の通り、標的を塵すら残さずにこの世から消滅させてしまう究極の破壊魔法である。莫大な魔力を対価に力の起点を標的に作り出し、逃れようのない消滅の定めを相手へと与えるのだ。

 このような魔法を操れるとは、流石勇者といったところか。

 しかし、今の一撃で娘が消し飛ぶことはない。

 光が収まり、場に静寂が戻る。

 娘は相変わらずの様子で、そこに佇んで勇者を見上げていた。その体の周囲を、淡い紫色のオーラのようなものが包み込んでいる。

 これは、魔王のみが操れる絶対防御魔法である。あらゆる魔法を無効化する、歴代の魔王に代々受け継がれてきた秘術だ。

 効果を発動させるために必要となる魔力を集中して編み上げる時間を必要とするのがこの術の最大の弱点であるため、戦闘中にはまず発動させることのない、言ってしまえば役に立たない能力ではあるのだが……今回はこのタイミングで勇者が今の破壊魔法を撃ってくることが予め分かっていたため、それに合わせて力を発動させることができたというわけだ。魔王は究極魔法をいとも容易く防ぐほどの力を持っていると人間共に見せつけるには最適な方法であると言えるだろう。

 娘は呆れたように笑いながら、身に纏っている防御魔法の効果を消し去った。

「そちの力など妾には通用せぬと先程から申しておろうに。……全く、物分りの悪い男じゃのぅ。そのような愚か者にはこうじゃ」

 続けて娘は右手を無造作に横に振るう。

 空に描かれた軌跡が、激しい業火を生む! それは押し寄せる波のように勇者に向かっていき、磔にされたその全身を、一瞬で飲み込んだ!

「馬鹿なっ、私の魔法が、防がれ……うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 何とも陳腐な台詞を口にしていた勇者が、全身を炎に焼かれて悲鳴を上げた。

 言わずもがな、これもラーアルが作った脚本通りの演出である。この火魔法、見た目は派手だが実は威力自体は大したことはなく、せいぜい肌を少々焦がして服を燃やす程度の火力しかないのだ。

 だが、それこそが狙いであった。

 炎に着ている服を燃やされ、全裸となった勇者の姿が消滅した炎の陰から現れる。

 勇者は如何にも悔しそうに歯噛みしながら、呻いた。

「私を……辱めるつもりかっ……この、下種が!」

「身を守る服さえ失ったそちの生身の体が、何処まで妾の責め苦に耐えられるかのぅ? せいぜい抗ってみせるのじゃ。長く耐えた方が、妾も楽しめるというものじゃ」

 ぴっ、と右の人差し指を勇者に突きつける娘。

 指先から生まれた一条の光が、勇者の右肩を貫く!

 本来ならば超高熱を有した光線だが、威力を調整して貫通力はそのままに温度だけを限りなく低く抑えているらしい。何故そのような手間を加えているのかというと──

「あああああああッ!」

 刺し貫かれた肩から、大量の血が溢れて肌を濡らす。肌が白いため、血の赤はよく映えて目立って見える。

 そう。これが狙いなのである。高熱で傷口を焼いてしまうと、血管が塞がってしまい血が流れてこない。それを防ぐためにわざと温度を抑えているのだ。

 また、勇者の服だけを先に焼いたのにも意味がある。勇者の肌を露出させて、傷と血をよく見えるようにするためである。

 人間は、それが他人のものであっても血や傷を目にすることを嫌がるらしい。我々には全く理解できん感覚だが……それが人間共に恐怖心を与えるための常套手段であるというラーアルの主張の意味は、何となく理解した。

 勇者がぜえぜえと全身で息をしながら、言う。

「……この、程度でっ……私が、屈服すると、思うかっ……!」

「何を申しておる。この程度のことなど、戯れにすらならんじゃろうが」

 娘の人差し指の先が、ついと下を向く。

 勇者の右肩を貫いていた光が、指の動きに従ってすっと下に滑り落ちる。貫かれていた右肩はそのまま光に肉を裂かれて、体から切り離されてしまった。

 胴体から離れた右腕が、魔法陣の拘束から解放されて床にぼとりと落ちる。

 実は、この拘束の魔法陣を生み出しているのは余なのだが……まさか、四肢と胴体を個別に拘束するように言われたことにこのような意味があったとはな。力の起点を五つも同時に作るなど面倒この上ないと思っていたが、こういう演出をするのであらば、確かにこれくらいの仕掛けは必要となるだろう。

 娘は痛みに叫んで暴れる勇者を嘲笑しながら、同じ光魔法で勇者の四肢を次々と切り落としていく。右腕の次は左腕、次は右足、左足……光が肉を貫き、切り裂いていく度に、勇者はうるさいと思えるくらいの大絶叫を上げて渾身の力で暴れた。そのせいで滴る血が広範囲に飛び散り、床は凄い有様だ。辺りには濃い血の臭いが充満しているが、映写鏡は音と映像しか記録できないため、この臭いを記録することは不可能だ。それが少々残念である。

 あっという間に手足のない芋虫のような格好にされてしまった勇者。先程まで騒いでいたのが嘘のように、今は静かだ。

 両目に一杯の涙を溜めて、鼻水と涎を垂らしながら、うわ言のように言葉を呟いている。

「……もう……やめてくれ……私が、悪かった……もう逆らったりしないから……命だけは……助けて……」

 全身をがちがちに硬直させ、小便をちょろちょろと漏らしている。

 その姿は、先程までの『勇者』と同一人物とはとても思えないほどに哀れで、弱々しく見えた。

 無論この言葉も挙動も全て決められた通りの演出の一環でしかないわけだが、それを見事に演じて『勇者の皮が剥がれたただの人間』を体現する勇者は本当に大したものだと思う。その演技力の凄さに関してだけは、認めてやらんでもない。

 ……因みに、その決められた演出の中には『失禁しろ』という指示はない。何のことはない、手足を切り落とされた勇者が勝手に痛みに興奮して漏らしているだけなのだが、状況が状況なので、勇者の哀れな姿を描く演出の一環としてちゃんと役に立っている。普段ははた迷惑な代物でしかない勇者の性癖ではあるが、今回だけは何も言わずにおくとしよう。

「おやおや、人目も憚らずに漏らすとはのぅ。まるで知性のない動物じゃな。……このような輩が選ばれし勇者だとは、全く、失望させられたのぅ。妾はこんな人間と戦わされたのか、実に不快じゃ」

 娘は大袈裟な身振りでかぶりを振ると、右手で目の前にくるりと円を描く仕草をした。

 娘の前に、白く輝く小さな魔法陣が生まれる。

「妾の目の前から消えてたもれ。妾に歯向かった愚かな人間よ」

「嫌だっ、殺さないでくれっ……お願い、しますぅ……!」

「死ぬが良い」

 魔法陣が直視できないほどの閃光を纏うと同時に、不可視の波動を撃ち出した!

「ぎゃあああああああ!」

 波動を浴びた勇者の全身が、みるみる干からびていく。体中の水分という水分が吸い上げられて蒸発していくように肌は張りを失っていき、罅割れて、砕けた地面の欠片のようにぼろぼろと崩れ落ちていく。

 幾分もせずに、骨に皮が直接貼り付いたミイラのような姿に成り果てた勇者は、かくんと力を失って項垂れて──そのまま首からぼろりともげた頭が床に落ち、砕けた。完全に干上がっているため中身まで全てがぱさぱさになっている。血が出ない分、インパクトには欠けるな。

 未だ磔にされたままの勇者の胴体だった物体を剣呑と一瞥してから、娘は映写鏡の方を向いた。

「……これで、頭の悪いそちらも理解したじゃろう? 妾に楯突くことが如何に愚行であるかということをのぅ。これでもなお妾に楯突こうとするならば、次にこうなるのはそちらの番じゃ。妾は一瞬でそちらの国へと行くぞ? 何処へ逃げようが無駄じゃ。どんなに上手く隠れようと必ず見つけ出し、屠ってやるでの。よく覚えておくことじゃな」

 悠然としたポーズを取り、そのまま娘は沈黙する。

 そのまま、五秒ほどの間を置いて。

 構えていた映写鏡を下ろしたラーアルが、深く頷いて薄い笑みを見せた。

「……魔王様、お疲れ様でした。良い記録が撮れました」

「妾としては、ちと地味だと思うのじゃがのぅ。もっとこう、形すら残らぬほどに細かく裂いてやった方が恐ろしさを感じるのではないか?」

「いいえ、人間相手に恐怖を与えるには、一瞬で殺すよりもむしろ少しずつ嬲り殺しにした方が効果的なんですよ」

「ほう」

 興味深いラーアルの言葉に、思わず余は相槌を打った。

「一瞬で死ぬということは、苦痛を感じるのも一瞬であるということです。人間は、瞬間的なショックには結構耐えられてしまうものなんですよ。それでは恐怖を感じにくい。……ですが、じわじわと死なない程度の苦痛を長時間に渡って与えられ続けることに対しては、脆いのです。肉体的にもそうですが、何より精神が耐えられないようになっている……だからこそ、そこに恐怖を感じるのです。本能が苦痛を避けようとするあまり、保身行動に走ってしまうというわけです」

「ウノは、妾に長時間甚振られるのが好きだと申しておったがのぅ」

「……それは、ケイト……じゃない、勇者の感覚が色々とおかしいだけです。普通の人間にとっては、そういうものなのです」

 色々、の部分に微妙な悪意を感じたのは余の気のせいだろうか。

 小芝居が終わったと察したらしい四天王たちが、ぞろぞろと連なって娘たちの周囲へと集まってきた。

「ようやく終わったか。本当にあんな芝居で人間共が魔王様を恐れるようになるのか? にわかには信じられんがな」

「御安心下さい、ウルバーン様。これは絶対に効果があります。もしも全く効を奏さなかった場合は、罰として私を嬲るなり殺すなりお好きなようになさって下さい」

「……大した自信だな。そこまで言うなら信用してやろう。その代わり、失敗した場合は我が直々に貴様を処分してやる。覚悟しておくがいい」

「はい」

 ウルバーンの言葉にも顔色ひとつ変えず。ラーアルは映写鏡を大切そうに抱え込んで、深々と頭を下げた。

「それでは、私はこれよりこの鏡を人間の王族へと届けて参ります。四、五日ほどこの地を離れますが、必ず戻りますので、どうか御安心下さい」

「……四、五日? その程度で此処と人間共の国を往復できるのか?」

 我々の国と人間共の国の間には、相当の距離がある。徒歩で移動しようとした場合、道中何事もなかったとしても片道で三月ほどかかるだろう。それも平坦な道ばかりではないため、旅にはかなりの危険が伴う。

 それを、たった五日で往復すると言ってのけるとは……

「私は転移魔法が使えるので、目的地までは一瞬で移動できます。ただし王族に接触するためには色々と面倒事があるので、それを処理するための時間が必要になるため五日と申しました。私がこの国の地を踏んだことによって此処への転移も可能となりましたから、用件が済み次第すぐに戻って来られます」

 転移魔法とは、遠方の地への移動を一瞬で行うことができる魔法である。

 基本的に魔法が発動する場所であれば何処へでも移動することが可能だが、術者本人が実際に訪れたことのある場所でなければ移動することができないという制約がある。

 余は遠方に届け物をするならば空を飛べる者を連れて来た方が早いのではないかと考えていたが……転移魔法が使えるというのならば話は別だ。転移魔法ならば移動に必要となる時間は実質なきに等しく、ラーアルは人間なので人間共の国で自由に行動することができる。騒ぎを起こす可能性のある一族の者を使いに出すよりかは、そちらの方がよほど確実だ。

「……では、ラーアルよ。その鏡を人間に届ける大役はそちに任せる。必ず役目を果たしてくるのじゃ」

「承知致しました、魔王様」

 ラーアルは娘に跪いて必ず役割を果たすことを誓うと、転移魔法を使って我々の前から姿を消した。

 ふぅ、と深く息を吐き、娘は大きく体を伸ばした。

「んんん……変に気張ったから何だか疲れたのぅ。皆の衆、政は終いにして茶でも楽しまんかの? 極上の甘味を用意させる故、寛いでいってたもれ」

「甘味ですか……良いですね。久々に御馳走になると致しますかね」

 ソーヒューズの一言に、他の四天王たちも先に部屋から出て行った娘の後に続いてぞろぞろと動き出す。

 余は磔に使っていた赤の魔法陣を手を振って消滅させた。

 拘束から解き放たれた勇者の胴体がぼさっと乾いた音を立てて床に落ち、砂と化す。

 こいつがいつ再生するかは分からないが、それを悠長に待っていては此処がいつまで経っても血だの何だので汚れたままとなる。流石にそれでは掃除が大変になるし、衛生面も宜しくない。

 余は思念波テレパシーを使って兵士を数名呼び寄せて、勇者の骸の残骸を残らず集めさせ、絨毯に付いた汚れの処理をさせた。

 流石にただの掃除では完全に綺麗にはならないと絨毯に残った染みを見せられながら訴えられてしまったので、新しい絨毯を買ってきて良いからと許可を出して買い出しに行かせた。隠居である余が勝手に国の財に手を付けるのは本来ならば許されることではないのだが……これも娘の威厳を保つためである。娘も大目に見てくれるだろう。

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