第7話 賢者が語る正しい人間の脅し方・前編

 その日は、朝から城内のある部屋に国政に携わる国の重役たちが集っていた。

 小さいながらも綺麗に整えられた空間。その壁には燭台以外のものは一切なく、床には絨毯も敷かれていない。何処までも殺風景な見た目のそこには、それだけで空間の大部分を占領してしまうほどに大きな黒曜石製の円卓が鎮座している。

 それをぐるりと等間隔に囲む、余を含めた六人の魔族。六人しかいないのにこの円卓はいささか大きすぎるのではないかと思うのだが、今更替えの円卓を探して持ってくるのも面倒なため、昔からこの状態になっている。これが様式美なのだと言い張ってしまえば、さほど気になりはしない。

 席に着く六人の魔族は、魔王である娘と、余。何故ただの隠居である余が国の政に関わらなければならないのかと問いただしたことがあるのだが、娘曰く「良き国を作るには年寄りの意見こそ重視せねばならん」のだそうだ。まだ四百歳──人間で言えば四十歳ほどでしかない父を年寄り扱いするのには微妙に思うところがあったが、娘の言葉はあながち的外れでもないので、大人しく従うことにしていた。

 余たち以外の四人は、通称『四天王』と呼ばれる者たちである。各自がそれぞれ己の城を持ち、普段はそちらで暮らしておりこの城にはいないのだが、こうして召集が掛けられた時はわざわざ遠方から集まってきてくれるのだ。

 時計回りに席に着いている者から順番に、北のヴァルゴス、東のウルバーン、南のクリメイラ、西のソーヒューズ。

 誰もが一癖も二癖もある、信頼の置ける娘の部下たちである。

「……この戦にも飽きてきた故、そろそろ終わらせてしまおうと思うのじゃがの」

 退屈そうに欠伸をしながら、娘はのんびりと言った。

 魔王は我ら一族にとって絶対的な存在である。魔王の発言ひとつで全てが決定付けられる、それだけの権力を魔王は持っている。

 では、何故このような重役をわざわざ集めた国政会議などを開いているのか。

 それは、魔王は絶対的な権力を持つ代わりに一族の者たちを率いていく責任を負っているからである。魔王は支配する国とそこに住む民が存在しているから魔王と呼ばれているのであって、守るべきものを何ひとつ持たない孤独な魔族はもはや魔王ではない。魔王にとって、支配する存在を持つというのは重要なことなのだ。

 一族の王たる者、配下の者の声には常に耳を傾けなければならない。民からの信頼が魔王を魔王にするのだ。決してそれを忘れてはいけない。

「妾直々に人間たちの国に赴いて王家を潰してしまおうかと考えておるのじゃが、どうじゃ?」

「魔王様、人間族の王家は賢者の血族と言われています。これまでに異なる世界より勇者を召喚してきたのは他ならぬ王家の人間なのですよ。魔王様お一人で敵地の中心に入られるのは危険です」

 娘の言葉に進言したのはクリメイラ。四天王唯一の女魔族で、青く透けた髪がサファイアのような魅力を放っている美女である。

 慎重派の彼女は、いつも自由奔放に振る舞いがちな娘を制止する役割に回っている。

 そしてそれを横から呆れ顔で失笑するのは、この男。

「クリメイラ、貴様は少々心配性が過ぎるのではないか? 魔王様が人間如きに倒されるわけがなかろう。人間なぞ我らの力ですらあっさりと消し飛ぶような脆弱な存在なのだぞ」

 ウルバーン。四天王一剛健で好戦的な彼は、娘のそれと限りなく近い考え方を持っている。真紅の髪に茜色の肌をしたその姿は、炎の化身と揶揄されるほどに熱さを秘めた、まさに熱血な男だ。

「彼奴らが行動を起こす前に滅してしまえば良いのだ。恐れる要素など何処にもない。それでも不安だと言うのなら、クリメイラ、貴様は己の城に引き篭もって大人しく震えておれ」

「そんなっ、私はただ、魔王様のことを……!」

「まあまあ、良いではありませんか。クリメイラは魔王様のことを誰よりも気に掛けているのです。過度に御身を案じてしまうというのも無理のなきこと」

 くっくっと笑いながら二人を嗜めたのは、クリメイラの隣に控え目に腰掛けている黄緑の髪の男。

 ソーヒューズ。四天王の中では参謀としての役割を担っている。恐ろしいほどに頭が切れ、穏やかそうな優男の印象を持った外見とは裏腹に、同族ですら忌避してしまうほどに残忍な一面を持っている非情の男である。

 彼は掛けた眼鏡の縁を指でついと押し上げながら、言った。

「人間たちの切り札とも言える勇者は我々の手中にあるのです。人間が新たな勇者を異世界から召喚する可能性が限りなく皆無に等しい以上、王家の召喚魔法など単なる飾りです。何の役にも立ちません。召喚魔法なき王家の賢者など、少々腕が立つだけの魔道士のようなもの。……その程度の輩を相手に、魔王様が傷を負われることはありえません。魔王様の戯れの魔法一撃で塵となる、それが運命です」

「ですが、万が一ということも……!」

 なおも娘の身の危険を訴えるクリメイラに、ソーヒューズは溜め息をついて僅かに肩を竦めて。

「……ヴァルゴス。貴方はどうお考えですか? 貴方だけは先程からずっと黙っておりますが」

「…………」

 三メートル近い筋骨隆々の巨躯を持つ褐色肌の男は、金に光る眼をちらりとソーヒューズに向けた。

 ヴァルゴス。その威圧的な魔神のような粗暴さを感じさせる外見に反して、凪のように穏やかな性格をした寡黙な男である。四天王の中でも突出した腕力と屈強さを備えているが、己から行動を起こすことは殆どない。また喋ることも殆どなく、余ですら彼の声を耳にしたのはこれまでで片手で数えられるほどしかない。あまりにも動かない男なので、彼のことを『鈍重な亀』と馬鹿にする者もいるらしいが……本気で動き出したら彼が四天王一恐ろしい存在であることを余はよく知っている。

 ヴァルゴスはしばしの間ソーヒューズの瞳をじっと見つめた後、何事もなかったかのようにふいっと視線をそらした。

 ソーヒューズは微苦笑した。

「そうですか、ありがとうございます。貴方のお考えはよく分かりました」

 余には、ヴァルゴスがただソーヒューズの目に注目していただけのようにしか見えなかったが……ソーヒューズには、ヴァルゴスが胸中で考えていることを視線から読み取る力でもあるのかもしれない。

 ソーヒューズは僅かに自分が座っている椅子の位置をずらして、部屋の隅に佇んでいる彼らへと問いかけた。

「どうでしょう、ウノさんと……ラーアルさん、でしたっけ。人間である貴方たちならば、我々よりも人間のことには詳しいでしょう。参考までに、貴方たちのお考えもお伺いしたいのですが」

 娘の命令で待機させられていた勇者たちは、僅かに顔を見合わせて、こちらを向いた。

 実際にソーヒューズの言葉に応えたのは、ラーアルの方だった。

 彼は胸に手を添えてその場に跪き、深く頭を垂れると、控え目に発言した。

「……たかが奴隷如きが発言するのも畏れ多いかと存じますが……申し上げさせて頂きます」

「申してみるがいい」

 ウルバーンの言葉にラーアルはこくりと頷いて。

「私に、良き案がございます。この案が効を奏せば、人間たちは一気に無力化するでしょう。その後は、煮るなり焼くなり魔王様のお望みのままに」

「ほう」

 興味津々と声を漏らす娘。

「それはどのような案なのじゃ。聞かせてたもれ」

 面を上げたラーアルの眼鏡がきらりと光った。そのレンズの奥で切れ長の目に何処か氷のような冷たさを滲ませた気を宿らせながら、彼は言った。

「人間たちの心を直接叩いて、我らに歯向かった者の末路が如何なるものかを本能に直接刻み込んでやるのですよ」


 玉座の間。会議室から場を移した一同は、玉座の前で行われていることに興味津々と目を向けていた。

 玉座の前に、壁のように大きな赤い魔法陣が浮かび上がっている。そしてその中心に、蜘蛛の巣にかかった哀れな虫のように四肢を広げた格好で磔にされている勇者がいる。

 因みに、今の勇者は例の破廉恥なパンツ姿ではなく、人間の戦士が好んで着ているようなごく普通の黒い布の服を身に着けている。腰には鞘が下げられており、その中には一振りの剣が納められている。

 この服は、ラーアルが何処からか調達してきたものだ。これから此処で行うことを考えたらあのパンツ姿は色々な意味でいただけないらしく、勇者が如何にも勇者らしく見えるようにコーディネイトしたのだという。

 普段はすぐにぼろぼろになる服を着るのを嫌がる勇者も、ラーアルの話を聞いているからか、今の格好を嫌がる様子はない。

 むしろうきうきとした様子で、熱い眼差しを目の前のラーアルへと注いでいる。

「……本当に、面白いことを考え付くものだな、ラーアル。私は先程から興奮しっぱなしだよ。少しでも気を緩めたら、漏らしてしまいそうになる……!」

「今はまだ我慢しているんだ。始まったら好きなようにして構わないから。……でも、喜ぶのだけはなしだ。それではこれをやる意味が全くなくなるからな」

「ああ、それは分かっている……私はひたすら喚いて許しを請えばいいんだろう? 任せておけ、最高の姿をお披露目してやろう」

「分かっているのならいい」

 そう言いながら、ラーアルが取り出したのは一枚の丸い鏡だった。

 大きさは顔ほどで、覗き込んでも鏡面には何も映らない。縁に霊銀の装飾を施した、見た目はそれなりに価値がありそうな骨董品のような品である。

 あれは『映写鏡』という名の魔力が秘められた鏡だ。鏡面に魔力を流すとそこにものが映るようになり、映ったもののを姿のみならず動きやその場の音まで忠実に記録することができる。記録したものは後で何度でも見ることが可能なので、我が一族の間ではしばしば書簡代わりに用いられたり幼子にものを教える際の教材として使われたりしている。そういうものである。

 因みに映写鏡は元々魔族が作った道具ではあるが、人間共の間でも少ない数だが流通しているらしい。ラーアルが映写鏡の存在を知っていたのは、過去に偶然現物を目にする機会があって、そのことを覚えていたからのようだ。

「……我らは横で見物しているだけとはな。つまらんな」

 面白くなさそうに腕を組んでいるウルバーンに、ラーアルは頭を下げて謝罪した。

「申し訳ありません。今回は魔王様の御力を人間たちに知らしめて恐怖を与えることが目的ですので、四天王様たちまで出てきてしまわれると魔王様の恐ろしさが薄れてしまいますから」

「仕方ありませんよ、ウルバーン。これも我ら魔族が戦に勝利するため。我々は今回は大人しく見学していようではありませんか。たまには傍観者となるのも、悪いものではありませんよ」

「……我らの大義のため、そう言われると強く言えんな。仕方ない」

 ソーヒューズに諭されて、大人しくその場から下がるウルバーン。

 他の四天王たちも、勇者とラーアルの直線状に入らないように身を引いていく。

 余も、そっとその場から離れた。

 後に残ったのは、磔にされた勇者と、それを真正面から映写鏡を片手に見つめているラーアル、そして勇者の傍らに立っている娘のみだ。

「……では、始めましょう。魔王様、手筈通りにお願い致します。ケイトも余計なことはするなよ。私が言った通りのことだけをやればいいから。分かったな」

 そう言って、ラーアルは映写鏡に己の魔力を流し込み、その鏡面を勇者に向けて翳し始めた。

 その動作を合図に、娘が優雅に微笑みながら朗々と語り始める。

「……妾はルルーシュ・ウルト・ルメージア。そちら人間が魔王と呼ぶ偉大なる存在じゃ。今日は、そちらに妾のことを深く知ってもらうために、ひとつの贈り物を此処に用意した。妾が趣向を凝らして手間をかけて作ったものじゃ、有難く受け取るが良い」

 娘は傍らで魔法陣に磔にされている勇者を見上げた。

「こやつは、そちらが召喚魔法で何処かの世界より用意した勇者だそうじゃな。そちらはこやつに妾を討つことを期待しておったようじゃが、生憎、妾はこの程度の輩に敗れるような脆弱な存在ではないでの。返り討ちにして、捕らえてやったわ」

「くっ……魔王め、正々堂々と戦え! 卑怯者が!」

 勇者が身を捩りながら娘に向かって暴言を吐いている。

 無論、これは予めそのように仕組まれていることだ。今の勇者は、人間共が理想としている『勇者像』を演じているのだ。

 娘は喚く勇者にちらりと冷たい眼差しを向けて、言葉を続けた。

「……これより、この場で勇者の処刑を執り行う。そちらが頼みの綱にしていた男が惨たらしく死んでいく様をその目にしかと焼き付けるが良い。そして、思い知るのじゃ。そちら脆弱な存在が妾に楯突くことが如何に愚行であるかをな」


 ──これが、ラーアルが立てた計画の全貌である。

 彼は、勇者が娘に惨殺される様子を映像に残して、それを人間共に見せて恐怖心を与えることを画策したのだ。

 娘の力が強大で圧倒的であることを事実として見せつけて、本能から人間は魔王に逆らえぬと悟らせるのが最大の狙いである。

 それで本当に人間共が無力化するのかどうかは甚だ疑問ではあるが……他ならぬ人間であるラーアルの言うことだ。ここは大人しく、この場を静観していることにしよう。

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