第6話 隠居魔王様、己の幸福を実感する

 新たに下僕となった人間の魔道士ラーアルと勇者を背に乗せて城へと帰還した余は、玉座の間で退屈そうにしていた娘の元へと二人を連れて行った。

 ラーアルを新たに我らの下僕となった人間だと説明し、この男は勇者と違って死んだらそれきりだということを付け加えて、勇者と共に娘へと引き渡した。

 二人を渡した時の、娘の何と嬉しそうな顔──あのような年頃の娘らしい可愛い笑顔を見たのは久方ぶりだ。あの子は十年前に魔王の座に就いて以来、一族からは王として畏敬されてばかりだったからな……知らず知らずのうちに魔王として振る舞わねばならぬと掛けられていた無言の圧力が、あの子から本来の少女らしさを奪ってしまっていたのだと考えると、少々申し訳ない気持ちになる。彼女が愛するペットを愛でて遊びたいと考えることも、少しは理解してやらなければならんのかもしれんな。

 役目を終えた余は、蔵書室へと戻って読みかけだった書を開いた。

 余が読書を始めると、それを察したかのように厨房からやって来た料理人の一人が淹れ立ての茶で満たされたティーポットと綺麗に磨かれたティーカップを余の前に置いて、無言のままその場を去っていく。毎日のようにやっていることなので実に手馴れたものだ。

 淹れ立ての茶の香りと味を楽しみながら、じっくりと書を読み進める。

 このゆったりとした時間。心地良い静寂。まさに至福である。

 余がそう独りごちた、その時だった。

 扉が控え目にノックされて、一人の兵士が姿を見せた。一般兵と異なり、漆黒の鎧で身を固めている屈強な体格の男──魔王を直接警護する任に当たっている近衛兵である。

「先代様、御寛ぎ中のところ、失礼致します。魔王様が先代様をお呼びです。すぐに拷問部屋の方へと向かわれて下さい」

「…………」

 娘が拷問部屋にいるのは最近になっては当たり前のこととなったが、余が近寄ることを良しとしない場所にわざわざ呼びつける理由とは一体何なのだろう。

 また何か奇妙なことでも思い付いたのだろうか。

 とにかく、呼ばれたからには行かねばならない。こんな内容のものでも、れっきとした魔王からの命令であるからだ。

 娘に頼られるというのは、悪い気はしないものだが。

「……すぐに向かう」

 余は書に紐の栞を挟んで、静かに椅子から立ち上がったのだった。


 今日も拷問部屋の中は色々と混ざり合った奇妙な臭いで満ちている。

 部屋の中央には、娘が佇んでいた。その足下には、うつ伏せに身を横たえているラーアルの姿がある。

 ラーアルは上半身裸の状態で、背中に無数の傷を負っていた。鞭か何かで激しく叩かれたのか、肉が裂けて皮膚が捲れてしまっている有様だった。白かった肌は傷口から流れる血で真っ赤に濡れ染まっており、肝心の当人はぴくりともしない──生きているのか死んでいるのか、見た目からは全く判断が付かない状態である。

「おお、来たか。父上」

 余が室内に足を踏み入れるなり、娘は期待の篭もった眼差しを余へと向けた。

「少々強めに叩いてやっただけだというのに、動かなくなってしまったのじゃ……父上、この者を癒してたもれ」

「魔王よ……ラーアルは私と違って普通の人間なんだ。こんなに叩いたら動けなくなってしまうのは当然だ。激しく甚振るのは私に対してだけにしてくれ」

「全く、こんなか弱き種が地上の覇権を狙うとは、愚かじゃのう。……それと比べたら、そちは何と素晴らしき存在であろうか、ウノよ。良き働きをした功績を讃えて、後で妾から褒美を与えてしんぜる。しばしそこで待っておれ」

「……ああ、お前がそう言うなら大人しく待っているが、早くしてくれ……」

 熱い吐息を吐く勇者をちらりと一瞥して、娘は余へと視線を戻した。

「さあ、父上。この者を癒してたもれ。妾は治癒魔法は苦手での、父上に頼るより他にないのじゃ」

 ……状況は大体飲み込めた。

 ラーアルは、娘の折檻を受けてこうなったのだ。おそらく娘がこの男を甚振った本来の理由は、彼が我が一族の軍門に下ったふりをして娘の寝首をかこうと企む愚か者である可能性を考慮して、下心がないかどうかを吐かせるためだったのだろうが……娘は基本的に手加減というものを知らないからな、普通の人間が意識を保っていられる程度の力加減ができないのだ。

 余を此処に呼びつけたのは、この男の怪我を治療させるため。確かに余は怪我を癒す治癒魔法を使うこともできるが……そのためだけに父を此処に呼びつけるとは、全く、娘は余のことを便利な何かと勘違いしているのではなかろうか。

 ともかく、それが魔王からの命令とあらばやるしかない。

 余は倒れたラーアルの横に立ち、掌を翳して、治癒魔法を施した。

 効果を発揮した魔法が、ラーアルの背中の傷を癒していく。流れた血は流石に元には戻せないが、傷痕だけは綺麗さっぱりと痕跡すら残さずに完治した。

「……これで良いだろう」

「うむ、感謝するぞ父上。流石は妾の父上じゃ」

「ルルーシュよ。魔法にはそれぞれ相性があるということは余も知っておる。故にお前が治癒魔法を使えぬことを責めることはせぬがな……少しは手加減というものを覚えよ。そこの勇者はともかく、その男は正真正銘ただの人間なのだ。お前のやり方では、戦力にする前に殺してしまうぞ。せっかくの貴重な使い捨てが利く下僕なのだから、その時が来るまで大事にしてやりなさい」

 余は思念波テレパシーを飛ばして近場にいた兵士を二人ばかり呼び寄せると、その者たちにラーアルを何処か体が休められる場所に運んでおくように命じた。

 兵たちがラーアルを担いでこの場から去っていく。それを見送った後、余は溜め息をつきながら勇者の方に振り向いた。

「……それで、貴様はそこで何をしているのだ、勇者よ」

 余が視線を注いだ先にあるのは、壁際に置かれた鉄の器具だった。

 それはいわゆる絞首台なのだが、室内に設置できるように考慮されているため、大きさは屋外にあるようなものと比較すると大分小さい。中央の棒から垂れる絞首用の縄は頑丈な鉄の鎖に変えられており、一本ではなく二本ある。そしてその鎖のそれぞれには、勇者の足首が括り付けられていた。

 二本の鎖の間にはそこそこの間隔が設けられているので、勇者は無様な大股開きの格好になっていた。一応例の服は身に着けているので、色々と破廉恥な有様ではあるが辛うじて娘の目を塞ぐほどのレベルではない。

 絞首台の傍らに、鮮やかな赤い花を咲かせた植物がある。花の中心が大きく開いて壺のような形をしているのと、先端に棘がびっしりと生えている長い二本の蔓があるのが特徴で、それは蔓を蛇のようにゆらゆらと揺らしながら花の中心を勇者へと向けている。

 あれは、アシッドプラントという大型の食肉植物だ。動物の肉を好み、根を脚のように動かして自ら徘徊しながら獲物を探し、蔓を巧みに操って捕らえて餌とする習性がある。あの二本の長い蔓から強い溶解力を持った毒液を分泌し、それで捕らえた獲物の肉を溶かして啜るのだ。

 この辺りに生息しているような植物ではないので、娘が何処からか調達してきたのだろうが……

「……魔王がさっき言っていただろう。褒美をくれると言うので、待っているのだ」

 勇者は赤くなっている顔をこちらへと向けて、答えた。

 顔が赤いのは、おそらく頭に血が上っているせいだろう。もう随分と長いこと、勇者はこの体勢のまま放置されているようだ。

「さあ、魔王よ。お前は私にどんな褒美をくれるのだ? 褒美と言うからには、さぞかし素晴らしいものなのだろうな。私を失望させないでくれよ」

「心配はせんで良い。これから、そちを存分に可愛がってやる故な」

 勇者の言葉に、娘はゆっくりとアシッドプラントの傍に歩み寄りながら笑った。

 腰ほどもある大きさのアシッドプラントを優しく撫で、命令を下す。

「さあ、やるのじゃ」

 娘の言葉に応えて、アシッドプラントが蔓の先端を勇者へと近付ける。

 蔓の一本が、勇者が履いているパンツを器用にずらして先端を中へと潜り込ませた。

 尻の辺りが、蠢く蔓によって不自然に盛り上がっている。どうやら、あるものを探しているらしい。そして──

「あああああああッ!?」

 勇者が悲鳴を上げて激しく全身を揺すり、暴れ始めた。

 勇者の服の中に入り込んだ蔓の長さが、目に見えて短くなっていく。その度に勇者は恍惚とした表情を浮かべながら、叫んだ。

「そんなっ……今日は、な、中から責めてくれるのかっ! あああ、この感覚は、新鮮だ! 痛いだけじゃない、この息が詰まる感覚も、いいっ!」

 尻から体内へと無理矢理棘だらけの蔓を捻じ込まれた苦痛にうっとりとしている。

 あの蔓は、子供の手首ほどの太さがあるからな……そのようなものを強引に押し込まれた上に先端に棘が付いているのでは、今頃勇者の腸の中はずたずたに引き裂かれていることだろう。逆さ吊りにされていることもあって苦しさに相乗効果が生まれているらしく、勇者は額に汗を滲ませながらぜえぜえと喘いでいる。

「キュイ……」

 アシッドプラントが小さく鳴いた。

 と、勇者の体内に潜り込んでいる蔓の根元が、大きく脈動した。

 それに伴い、勇者の腹が少しずつ膨らみを帯びていく。シャボンに少しずつ空気を溜め込んでいくように、丸く大きく育っていき。

「ひっ……熱い、腹の中が熱い! 痛い! 何だっ、これはっ……はあああ、熱い熱い熱い熱いぃぃぃ!」

「アシッドプラントの溶解液は生き物の肉なぞ簡単に溶かすぞ? どうじゃ、腹の中から溶かされていく感覚は。普通ではまず味わえぬ苦痛じゃろうて」

 暴れる勇者を、娘は楽しげに笑いながら見つめている。

 そのまま、何も言わずに右手をさっと横に振る。

 すると、残っていたもう一本の蔓が、勇者の開きっぱなしの口へと近付いていく。

 そしてそのまま有無を言わさず、その中へと蔓の先端を突っ込んだ。

「うぶぅ!?」

 勇者が声を上げる。が、喉が完全に塞がれているからかまともな声になっていない。

 蔓はどんどん勇者の体内を蹂躙していき、奥へと先端を潜り込ませていく。

 勇者の動きが次第に弱まっていく。逆さ吊りにされて頭にまともに酸素が行っていない上に気道を塞がれて、更に腹の中が現在進行形で溶かされていっている状態なのだ。それでは暴れる体力も尽きるというものだ。

 ぽこん、と勇者の鳩尾の辺りが膨らみを帯びた。かと思うと、それは一気に大きく膨れ上がっていった。おそらく胃にまで到達した蔓が、大量の溶解液を中に注入したのだろう。

 勇者の体を限界まで膨らませて、アシッドプラントは二本の蔓を勇者の体内から引き抜いた。引き抜かれた蔓の先端は、散々中を荒らした痕跡とも言える勇者の血が斑に付着している。無理矢理中に突っ込んだのだから、腸壁や食道を引き裂くのは当然のことだ。これではもう、この男は食事も排泄もできんな。もっとも、そのような心配をする必要など最初からないわけなのだが。

「うぅ……うぐぅ……出そうっ……出るっ……ぐ、ぅ、うむぐぅぅぅぅっ」

 唯一自由に動かせる両手で己の口を必死に塞ぐ勇者。嘔吐するのを懸命に堪えているようだ。

 溶解液なのだから、吐かねば逆に胃ごと溶かされて体に穴が空くのだが、勇者当人はあくまで体を溶かされる苦痛を長く味わうことを望んでいるらしい。何度も呻きながら、胃の奥からせり上がってくるものを必死に飲み込んでいる。しかしすっかり体力を失ってしまった体ではそれがままならないらしく、指の間から黄色く色付いた液体がじわりと滴って床へと散っていく。

 一方、尻の方も力が入らないようで、腸内から押し出されてきたのだろう溶解液がだらだらと股間から垂れ落ちていた。液体が肌を伝い落ちていく傍から、皮膚を溶かして肉を爛れさせていく──幾分もせずに、勇者の体は無残な有様へと変わってしまった。そんな中で溶解液に直に触れていながらも何ともなっていない勇者の服だけが、勇者のどういう状態になったかも分からない恥部を立派に覆い隠す役目を果たしている。

「もう、そろそろ腹の中がなくなる頃じゃろうなぁ……ほれ、見せてみぃ。ほうれ、ほれ」

 娘が勇者に近付き、勇者の丸くなった腹を揉みしだき始める。

 勇者は嫌々と首を必死に左右に振って、掠れ声で訴えた。

「やめてくれっ……そんな風にされたら、吐くっ……尻の穴から漏れるっ……私は、体を完全に溶かされる究極の快感を味わいたいんだっ……中途半端に中だけだなんて、そんな粗末な……っ」

「妾はそちの腹の中が骨すら残さず空になった芸術が早く見たいのじゃ。そちは妾のペットなのじゃから、妾を楽しませるために尽くさぬか。ほれ、見せるのじゃ」

「やっ……あっ、がっ、おごぉぉぉぉぉっ!」

 娘の指先が、勇者の腹にずぶりと沈む。

 腹を圧迫された勇者は、声すらまともに上げられぬまま、口から夥しい量の黄色い液体を吐き出した。

 娘は勇者の腹を力任せに裂いていく。薄紙を裂くように引き裂かれていく肉は既に厚みが殆どなく、内側は溶解液の影響か奇妙な色に変色していた。大きな通り道ができたことによって、まだ体内に残っていた溶解液がそこから溢れて辺りに飛び散った。

 因みに娘の手が溶解液に触れても何ともなっていないのは、手を覆っている魔力が肌を守っているからだ。例え魔王とて、ナイフを肌に当てれば傷が付くし溶解液に触れれば肌が爛れる。一族の者の中には稀に魔王は絶対無敵の存在だと勘違いしている者がいるが、決してそのようなことはない。魔王も普通の少女なのである。だから身を挺しても守ってやらねばならないのだ。余が、父として。

 腹の中を暴かれた勇者は、もはや虫の息だった。半分以上内臓を失った体をびくびくと痙攣させて、口と尻から力なく液体を垂れ流している。心臓が無事なので生きてこそいるものの、その鼓動がいつ止まっても不思議ではなかった。

 空洞の中にぶら下がった脈打つ肉の塊を、娘の小さな手が無造作に掴む。

 それを中から引き摺り出し、勇者の目の前でちらつかせながら、言った。

「なかなかに美しきものじゃの、空となった腹の中というものも。そちも、いつもと異なる趣向で楽しめたじゃろう? たまにはこうして薬のようなものを利用するというのも、悪くはないものじゃ。時々は、こういう遊戯を楽しむとしようかの。ウノよ」

「…………」

 勇者は何も喋らない。しかし僅かながら確かに満足そうに頷いたのを、余は見逃さなかった。

「……さて。そろそろ夕食の刻じゃからの。そちとの遊戯はこれにて終いじゃ。妾は先に行く故、そちもすぐに来るのじゃぞ」

 言って少しの間も置かずに、手にした心臓を握り潰した。

 ぶしゃ、と赤いものが花咲いて、心臓はただの潰れた肉と化す。勇者はそれを嬉しそうに見つめながら、事切れた。

「ではの、父上。妾は食事に行く故、此処の掃除を誰かに頼んでたもれ」

 娘は勇者の足を吊っている鎖を外して勇者の屍を床に落とすと、そのまま上機嫌な様子で部屋から出て行った。

 死んでいるにも拘らず大量に失禁している勇者の快楽に惚けた表情を見下ろしながら、余は思ったのだった。

 人間も、魔族も、本当の意味で心の底からの幸福を満喫している者はほぼいない。殆どの者が戦に駆り出され、苦を味わい、そして斃れていく。そういう短い生涯を送っている。

 そんな世に生きていながら、己の好きなことに存分に身を費やしている余やこの男は、何と恵まれた存在なのだろうか、と。

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