第5話 勇者は変態だが勇者だった

「待て」

 城を出た余を、背後から呼び止めた者がいた。

 振り返れば、そこには勇者の姿が。

 あの真っ二つ状態からもう再生したのか……原型がほぼ残った状態だったから、体が再生するまでの時間もそこまでは必要としなかったということか。

 強靭な生命力を持つ爬虫類種の中には、切り離した箇所が元通りに再生するようなものもいるが……目の前のこれはトカゲではなく人間だ。現象自体は特に珍しいものではないが、人間の身でこれをやられると流石に少々気味が悪い。

 勇者は真面目な面持ちで、余の傍まで来た。

「アレクよ。例の人間の元に行くのだろう。ならば私も共に連れて行ってくれ」

 アレクというのは、余のことらしい。

 余の名が舌を噛みそうなくらいに長いから略したのだという旨の話を以前この男から直接聞いたことがあるが、先代であるとはいえこの魔王を何の躊躇いもなく仇名で呼ぶとは……この男には何かを恐れるという感情がないのだろうか。

 まあ、恐れないからこそ、こいつは勇者として我らの前に現れたのだろうが。

 余はふんと鼻を鳴らして、勇者に背を向けた。

「余が貴様の頼みを聞く義理などない」

「私は勇者だ。人間のことは、同じ人間である私がお前たちよりもよく分かっている。私を共に連れて行ってくれれば、お前の代わりに私がこの問題をあっさりと片付けてみせよう」

 勇者はなおも自信満々に余に訴え続ける。

 この男が娘の愛玩用のペットであることは公認の事実である。今更こいつが城に滞在することに関して騒ぎ出すような輩はいないと思うが、自ら我が一族のためになる働きをして仲間として受け入れられたいという願望でもあるのだろうか。

 此処でこいつと延々と問答していても無駄な時間が過ぎていくだけだ。そのようなことをしている間に、件の人間はこの城へと到着してしまう。

 余は渋々と、勇者が余に同行することを認めた。

「必ずお前の期待に応えよう!」

「……貴様が余の役に立とうが立つまいが、余にとってはどうでも良いことだ。だが、これだけは言わせてもらう」

 余は張り切っている勇者を真っ向から見据えて、きっぱりと言った。


「外に出る時くらいは何か着ろ」


 城の前を偶然通りかかった若い女たちが、全裸の勇者を見て悲鳴を上げながら走り去っていった。


 巡回兵から、人間を目撃した場所のおおよその位置は聞いている。

 そこから少し移動した場所に、余たちは舞い降りた。

 背に乗った勇者を降ろした余は、竜の姿からゆっくりと元の人の姿へと変身を解いていく。

 勇者が空を飛べないと言うので、余が背に乗せて運んでやる羽目になったのだ。

 全く……人間というのは不便な生き物だ。

「此処を、その魔道士とやらが通るのか?」

 勇者は辺りを見回しながら小首を傾げている。

 現在の勇者は、何とも言えない奇妙な衣裳に身を包んでいた。

 辛うじて乳首が隠れる程度の布面積しかない、言ってしまえば紐同然のブラジャー。乳バンドと言った方がしっくり来るような代物だ。履いているのは体のラインにぴったりフィットした……と言うよりも少々きつそうな感じもする、これまた布面積が殆どないブーメランパンツ。生地が体に密着しているせいで、中にしまってあるものの形がくっきりと浮き出てしまっている。その他は膝上丈のブーツに二の腕から指先までを覆うグローブと、肌をしっかりと覆ったデザインをしている。その布面積を、何故重要な箇所にこそ適用してくれなかったのだろうか……この衣裳を作った職人には悪意があったとしか思えない。

 首に填まっているのは大きな首輪で、銀色に輝く小さな札のようなものが付いている。そこには我が一族の文字で『一』という刻印があった。

 これらの色は全て黒。艶やかな鱗模様に覆われており、それなりに高級感のある素材であることは傍目から見ていても分かる。

 勇者曰く、これは高い耐久性を誇るブラックマンバの革で仕立てられた服なのだという。いつも娘の遊戯に付き合っている礼として、娘が特別に勇者のために作らせた一品なのだそうだ。……因みに断っておくが、衣裳のデザインを提案したのは勇者の方であって、娘はそれを聞き入れただけにすぎない。娘がこんな悪趣味だったら余は泣く。父として。

 並の武器や低級な魔法程度では傷ひとつ付かず、火にくべても燃えず、水濡れにも強い。その割に肌触りは柔らかで心地良いため、どんなに体を動かしてもその動きを妨げることは一切ないという。

 性能だけで言えば戦装束として実に優れているが……やはり、あのデザインはないと思う。特にあのパンツ。あれは公然猥褻には当たらないのだろうか。現物が直に見えないだけで形がはっきりと見えている有様では、それは何も履いていないのと同義だと思うのだが。

 流石にスルーできずに、余は突っ込んでいた。

「……勇者よ。その格好は何なのだ。貴様はふざけているのか」

「ふざけているとは心外だな、アレクよ。私はいつでも大真面目だ。この服を魔王から賜る時も、しっかりと用途のことを考慮した上で細かく注文した。動きを妨げずに、簡単に破れず、火にも水にも強い! 身に纏う服としてこれ以上のものはないぞ?」

 確かに、戦装束を仕立てる時の注文としては間違ってはいないのだが。

 何故パンツなのか。まずそれを問いただしたい。

「今までの服はすぐに駄目になってしまっていたが、これならば簡単に破れることはない。それはすなわち、魔王との行為を着衣のまま楽しめるということに他ならない! ……ああ、先程の股に刃が食い込んで肉を無理矢理引き裂いていく感覚が胸に蘇ってきた。次回は刃を火で焼いてくれと頼んでみようか……それもまた心地良さそうだ。ジュルリ」

 一人で勝手に妄想を膨らませて口から垂れた涎を啜る勇者。

 股間の膨らみが先程よりも明らかに大きくなっているのが目に映ったが、それはもう知らないふりをして余は勇者に背を向けた。この変態に真面目に付き合ってなぞおれん。

「……貴様がやると主張するのならば、余は手を出さん。此処で見物させてもらおう。見事、件の人間を討ってみせろ。さすれば、少しは貴様のことを信用してやろう」

「任せろ。面白いものを見せてやろう」

 ふふ、と不敵に笑って勇者は右の腿にベルトで固定されている鞘から短剣を抜く。

 あれは、戦闘の可能性があるのなら何でもいいから武器が欲しいという勇者の要求を呑んで与えてやった最低限の護身用の武器だ。城の兵たちが持つ剣などと比較すると作りも粗悪で材質も良いものではないため、余くらいの者になると素手で刃を払い折れてしまう程度の代物だが……まあ、人間相手ならばそれなりに使える武器ではあるだろう。

 せいぜい楽しませてもらおうではないか。勇者が宣言通りに件の人間を討てば良し、逆に無様に翻弄された末に討たれたとしても、余からしてみれば何ということはない。娘が悲しむかもしれんが……その時は、娘が気に入りそうな頑丈な人間を見繕ってきて与えてやることにしよう。

 そのまま道の中央を塞ぐように二人でそこに佇むこと、十数分余り。

 件の人間が、遂に目の前に現れた。


 それは、線の細い黒髪の男だった。

 黒髪というのは、異世界から召喚された勇者の多くに見られる特徴のひとつで、この世界の人間にはあまり見かけることのないものである。勇者も典型的な黒髪だが、この男の場合は光に透けた部分が青く見えるので、どうやら純粋な黒髪ではないようだ。

 瞳は青く、肌は白い。耳に白い雫石が付いた銀のピアスを着け、レンズの部分が大きな銀縁の眼鏡を掛けている。

 着ているものは魔道士が好んで着る藍色のローブだが、袖口や襟元、裾に銀糸で魔道文字の刺繍が施されているのが見えるので、あれ自体が一種の魔法結界としての役割を果たしているであろう特殊な衣裳であることが分かる。簡単に説明すると、魔法が効きづらくなる効果を秘めた服である、ということだ。

 得物は持っていない。しかし右の人差し指に大粒の宝石が光る指輪を填めているので、おそらくはあれがあの男にとっての武器なのだろう。

 魔道士が魔法を操る時に杖を持たなければならないという決まりはない。魔力を制御するための媒体となるものが他にあればそれを武器としても構わないし、極論を言えば何も持たずとも魔法を操ることは可能なのである。威力や精度が劣っても構わなければ、それこそ武具を全て奪われた裸の状態であっても魔法を繰り出すことはできるのだ。

 男は道の中央に佇む勇者を見て、立ち止まった。

「……魔王ではないな。魔族の手先か」

「私は……ケイト・アララギ、と名乗れば分かるだろう」

 勇者は娘から貰った名ではなく、本名であろう名を名乗った。

 勇者の名乗りを聞いた男の顔色が豹変する。

「そ……その名前は!? まさか、お前は……うわっ!」

 男がみなまで言い終わるよりも早く。

 勇者が繰り出した一撃が、いとも容易く男を遠くへと吹き飛ばしていた。

 あれは、格闘術の一種だ。拳に己の気を魔力のように纏わせて大きな衝撃波を生み出す、人間の格闘家が得意としている技である。

 この勇者、言動は残念すぎる変態だが、戦士としての実力は紛れもなく本物だ。剣術のみならず、あらゆる武術を会得しており、高度な魔法を難なく操れるだけの高い魔力を持っている。

 勇者は吹っ飛んでいった男を追って地を蹴った。

 一瞬で追いついた勇者は、手にした短剣を男めがけて振り下ろす!

 それを、男は咄嗟に身を起こしながら横にかわした。

 身体能力的には貧弱な者が多い人間の魔道士にしては、なかなかの体捌きである。

 が──勇者の方が上手だ。勇者は戸惑うこともなくあっさりと身を翻すと、そのまま体ごと男にぶつかり、男を転倒させた。そしてそのまま男の腹の上に馬乗りになり、相手の喉元に短剣の刃を突きつけて、動きを完全に封じ込めてしまった。

 この状態でも男は魔法で勇者を狙撃することができる。しかし不死身にも等しい肉体再生能力を持つ上に痛みが極上の御褒美である勇者にとっては、その程度の抵抗など全く通用しない。男が勇者に魔法を叩き込む度に、勇者は身悶えて嬌声を上げながらもっとやってくれとせがむだろう……その光景がくっきりと目の前に浮かんだような気がして、余は瞼を閉ざし小さく息を吐いた。

 変態とは……何とも恐ろしいものだ。

 そのまま、勇者たちが組み合うこと三分ほど。何を思ったか、勇者は男に突きつけていた短剣を引っ込めて男の上から下りた。

 男がゆっくりと起き上がり、ちらりとこちらを見る。

 そしてそのまま、二人は並んで余の元へと歩いてきた。

「……先代魔王様」

 男は余の目の前に来ると、その場に跪いた。

「私は此処にいる勇者に敗れました。本来ならばその場で討たれるところを、勇者からの温情で命を取られることだけは許されました……どうか、私を貴方方の配下に加えて頂けないでしょうか。無論、扱いは奴隷と同等で構いません。必要最低限の食事と寝床さえ与えてくれれば、必ず、貴方方の忠実な下僕として命を懸けて働くと誓いましょう」

「せっかくの役に立ちそうな戦力をあっさり潰すのは勿体無いと思わないか? 使えそうならスカウトして自陣の戦力に引き込む。戦略を立てる立場にある指揮官なら、臨機応変に動けるようにならないとな」

 男の隣で腕を組みながら、勇者が自慢げに笑っている。

 成程……勇者が言っていた『面白いもの』とはこれのことか。

 圧倒的な力の差を見せつけて屈服させた上で、一族に迎え入れる。魔王の命を狙う邪魔者を排除できると同時に、使える手駒を増やすことができる。……確かに、合理的だ。

 拠点を攻める際に、捨て駒にできる戦力が手元にあるというのは有難いことなのだ。一族の者を捨て駒にするのは良心が痛むが、人間ならばそういったこともないからな。

 此処まで単独で来れたということは、それなりに力を持った魔道士であるはず。せいぜい、役立ってもらおうではないか。

「……貴様、名を何と言う」

 余の問いかけに、男は跪いたまま答えた。

「ラーアル・ルシュフェルドと申します」

「承知した。では、ラーアルよ。貴様は今この瞬間より我が一族の下僕だ。我が一族を人間共との戦の勝利者にしてみせよ。我らを失望させぬように、働くことだな」

「必ずや、御期待に沿ってみせましょう」

 ラーアルは跪いたまま器用にこちらへと近付いてきて、余の爪先へと忠誠を誓うキスをしたのだった。

 予定通りに娘の命を狙う人間を排除できたのは良しとするが、まさか一族に引き入れることになるとはな……

 ラーアルにはこの後娘からの『洗礼』が待ち受けているわけだが、その辺りに関しては余は関知していない。一応この男は勇者と違って再生しない人間であるということくらいは伝えておくが、この後どういう目に遭って結果としてどうなったとしても、それを気に掛けることはするつもりはない。

 ただ、普段通りに蔵書室で書を読み耽るだけだ。

 余は、隠居なのだから。

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