〇三〇××号室 天駆ける金色の翼 六 ――第三部完結

「あと一時間で、世界が崩落するって……」


 のほほんお嬢ですら、さすがに絶句してやす。


「ソルマー、落ち着いて作業するでやす」

「焦りゃしないさ」


 ようやく振り向くと、あっしとお嬢に笑いかけてきた。銀色の長毛が、笑みの形に動いたっす。


「俺は、こうした危機的状況が大好物でな」

「だから危機管理アドバイザーなんでやすな」


 なんとなく納得でやす。


「それもあるし、だからこそ、王土戦争の――そうだ。うれしくて忘れてた」


 お嬢を見つめて。


「あんたらはもう不要だ。だから逃げてくれ」

「いえ、最後まで見守ります」

「いいのか。メグレ警部は大混乱してるぞ。情報が入らず、俺たちが戻らないんで、消火隊を入れるべきかどうか、判断がつかずに」


 たしかにそうでやす。


「早く戻って、とにかく全員退避を急がせてくれ。……まあ俺が失敗したら、いずれにしろ全員黒焦げ……どころか消滅しちまうわけだが」


 苦笑いしてやす。


「うまくここを食い止められれば、次に重要なのは退避さ。そこは確かだからな」

「ええ。退避先で、店子さんの生活再建が重要ですものね」

「違う違う」


 なにか装置をいじりながら、手を振ってみせてきた。


「このフロアは、発泡フォームで封鎖する。迅速にな。そのとき逃げ遅れとかがいて、また邪魔になると迷惑だ」

「まあどっちでもいいっす。お嬢。逃げるでやす」

「うん……」


 なにか迷っているような表情でやす。心の奥底から、なにかを絞り出すような。


「ねえあなた。ソルマーさん」

「なんだい、管理人さんよ」


 こっちを向きもせず、作業に没頭して。


「わたくし、あなたと会ったことがあったかしら」


 ソルマーの手が、ぴくりと止まりやした。


「いや」


 また動き出した。お嬢に視線を移さず、画面を食い入るように見つめながら。


「俺が楡の木荘管理人と会うのは初めてだ。俺以外の管理人には、な」

「そう……」


 長い巻き毛を揺らして、お嬢は首を傾げている。


「だがまあ、いずれまたあんたとは会うだろうよ。あんたがいつまで管理人でいられるかも、わからんしな」

「お嬢。ほら早く」


 お嬢の手を抜けるがごとくにひっぱって、部屋から出たっす。ソルマーと営繕要請を残したまま。余震がまた起こる中、記憶を頼りに迷路のような道筋を辿り、出口を目指して。


「やっと抜けられた」


 思わず口に出た。あの陰気な建物を出られてほっとしたっす。たとえ退避の大混乱に揺れる〇三〇階層とはいえど。


 あっしらの顔を目にして、メグレ警部は心底安堵の表情を浮かべたっす。


「おお。おふたり、ご無事で」

「ええ、なんとか」


 混乱する周囲を見渡したお嬢が。


「閉じ込められていた店子さんたちは」

「無事確保して、家族共々退避させました。みなさん、管理人さんたちに感謝していましたよ」


 メグレ警部の瞳が曇ったっす。


「ところでソルマー氏は。まさか……」

「無事でやす。……今のところはでやすが」

「今、中で消火作業と機器制御に取り組んでいます」

「消火? 彼がですか」

「ええ。なんでもエネルギーの流速を調整していろいろ操作すれば、危機は回避できるとかで」


 消火隊だと大災害に間に合わないってのは、お嬢もあっしも話さなかったっす。ことさら危機を煽って、パニックの原因になってはヤバいので。


「話が違う。消火隊はいらないのか」

「ええまあ……そのようで。まあ現場状況が刻一刻と変わるのは、危機管理ではよくある話かと」

「そういえば、そろそろ一時間よねえ、コボちゃん」

「さいっすな」


 あっしとお嬢は、彼方に見える例の建物に、視線を投げたっす。


「どういうことですか。時間がなにか問題でも」

「いえ、ソルマー……さんが、最前線で頑張ってるってことでやすよ」

「そうですか。ではこちらは、全力で退避作業の続きにかかりましょう」

「わたくしたちも協力します」

「おお」


 メグレ警部は、うれしそうに頷いたっす。


「これは心強い。このフロアは私がやりますので、上のフロアの退去をサポートして下さい。あっちに、これまた頑固な店子がいましてね。事故を起こしたフロアでもないのに、なんで全員退去だとか、何人か武装して立てこもってます」

「まあ、武装とか。それは困りましたわねえ……」

「お嬢、全然困った口ぶりじゃないっす」


 でもあっしはうれしかった。のほほんとしたお嬢が戻ってきてくれて。覚醒しかけた例の人格を奥に追いやって。


 お嬢はやっぱり、飯と冷やした蜂蜜酒でのほほんと夏を楽しむ、「命の上澄み」みたいな存在であってほしいっす。あっしの地獄のような人生に咲いた、奇跡の花であってほしい――。それがあっしの、心からの願いなんでやす。


         ●


「ふうー疲れた」


 すべて終え、管理人室にようやく辿り着いたあっしとお嬢。部屋に入ると、居間の椅子に、どっかり座り込んだっす。


「大変な一日でやしたね」

「うん……」


 お嬢が、じっとあっしを見つめやした。潤んだように澄んだ、金色の瞳で。


「ねえコボちゃん」

「へい」

「わたくしが王女って、どういうことかしら」

「さ、さあ。……なんの勘違いでやしょうなあ」


 こらえきれずに、つい瞳を逸してしまったっす。


「そう言えば、エルフの森のオイシン・キェルクプ族長も、わたくしがハイエルフの、消えたイェルプフ・ケイリィーシ王女に生き写しだって……」

「そうでやしたそうでやした」


 あっしは、手を打ってみせやした。


「生き写しだから、ソルマーの野郎も勘違いしたのかもしれやせん」

「そんなもんかなあ、はあ。……勘違いにしてはソルマーさん、なんだかいっぱい物事を知ってたし。わたくしがちっとも知らない話を」

「ああ、方舟とかなんとか、その手の」


 お嬢は頷いた。


「あれだって嘘でやしょ」


 軽くあしらって。


「さて、今日はとっときの食材を出して食べやしょう。それだけの働きはしたんでやすから」

「わあうれしい。じゃあいつもの蜂蜜酒ね」

「特別に三十年ものを開けやしょう」

「えーっ」


 お嬢が目をくりくりさせやす。


「あれ、貯蔵庫に一本しかない貴重品じゃない。買うったって買えないよ、もう」

「大災害を乗り切った日じゃないすか。今開けなかったら、いつあのお宝を味わうつもりで」

「そうか……」


 なにか考えてやすな。


「そうよね。今日よね」

「今日。そして今っす」

「じゃあ開けちゃおう」

「へい」


 なんとか誤魔化せそうでやす。いつものように、飯と酒で釣って。今晩も、お嬢の酒には薬を多めに入れとかないとならないでやしょう。


 あっしは少しだけ安堵しやした。


「あーあ。汗だく」

「そりゃ、あんだけ暑い場所に長くいりゃあね」

「ご飯の前に、わたくし、水浴びをしてくるね」

「へい。料理はあっしが下ごしらえしときやす。お嬢が出たらあっしが入るんで、その間に食卓の準備をお願いしやす」

「任せてー。蜂蜜酒、蜂ー蜜酒ー、三十年ものの、蜂蜜酒ーっと」


 謎メロディーに乗せ楽しげに歌いながら、管理人制服を、上着からぽいぽい脱ぎ捨てていくお嬢。


「お嬢、はしたないですぜ」

「いつものことでしょう、いまさら……」

「下着くらいは風呂場で――」


 あっしの軽口は、世界が止まったかのごとく、喉の奥で凍りつきやした。


 裸になったお嬢。その背中。両肩の付け根のあたり。そこから、透き通った金色の羽が、繊細に広がっていたっす。完璧に再生した、ハイエルフの羽が。


 見事に伸びて。窓から入る晩夏のやるせない夕陽に、黄金もかくやと輝いて。


「お嬢……」

「あっ、なにこれ」


 感触に気づいたお嬢が、背中に手を回して、羽に触れている。


「わたくしの背中に……羽が」


 絶句したっす。


 長い間。


 あっしもお嬢も。


 夕陽の影が、少し動くほどの時間も。


 そうか。お嬢から聞こえた、あの布を裂くような音。あれは羽が成長して、背中を突き破った音でやすな、おそらく。


 羽はハイエルフの能力を解放すると、博士は言っていた。だからこそ、あの音がしてからのお嬢は、これまでてこずっていた制御室の強固な壁を、やすやすと破壊できたってわけなのか……。


「コボちゃん。わたくし……」


 お嬢がようよう口を開きやした。すがるような切ない瞳で、あっしを見つめて。


「わたくしが……まさか……ハイエルフ。じゃあ……じゃあ、ハイエルフのイェルプフ王女というのは」


 あっしは覚悟を決めやした。こと、ここに到っては。


 もし羽再生を知られたら、大家が大きく動くのは確実。お嬢を守るには、もう本人にも事情を知っておいてもらわないと、極めて危険でやす。お嬢にとっても、あっしにとっても。そして……楡の木荘にとってすらも。


「お嬢……」


 喉がからからになって、あっしの声は枯れていやした。


「蜂蜜酒を飲みながら、すべて話してあげやす。イェルプフ・ケイリィーシ王女――世界の救い手。彼女を襲った悲しい運命。それに、イェルプフ・ケルイプ――森の駆け手、彼女が生まれた物語を」

「そう……。コボちゃん、知ってたんだ。……やっぱり頼りになるわあ。さすがわたくしの魂の片割れね」


 お嬢――イェルプフ王女は、あっしに微笑みかけてくれたっす。あの、あっしの人生を救ってくれた、最高の笑顔で。


「これからも、一緒に生きていこうね。はぐれエルフと、頼りになる相棒で」





(第三部 完結)




■第三部、読了ありがとうございました。

感想など頂けると、今後の展開の参考になるため、猫目が喜びます。

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異世界巨大アパートのエルフ管理人は忙しい 猫目少将 @nekodetty

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