エピローグ「はるかなる蹄音」
大本営発表による『硫黄島、玉砕』が報じられてから数日後。
日本兵の抵抗が続く硫黄島で、西はまだ生きていた。
アメリカ軍の攻撃を辛うじてしのいだ西は、生き残った部下と共に連隊本部壕へ引き返した。しかし、一昼夜かけて戻ってみれば、本部壕は敵の砲撃に吹き飛ばされていて跡形もない。
それでも諦めず、西たちは兵団司令部のある北海岸を目指して移動する。だが、またもアメリカ軍に発見されてしまう……。
それからのことはよく覚えていない。
銃撃戦をくぐり抜けたあと、西は数名の部下と洞窟や塹壕に身を潜めながら、海沿いに北部へたどり着こうとしたのだが――
波が岩肌を洗う音が聞こえる。
海辺には部下たちの亡き骸が転がっていた。
西も体に何発もの銃弾を浴びている。血を失い過ぎたせいか、すでに体の感覚がなくなっている。
飢えと疲労で頭がぼんやりして、総攻撃の日からどのくらい時間が経ったのかも分からなかった。それでも朝日を見た回数からすると、今日はおそらく3月22日になるはずだ。
アメリカ軍の猛攻に一ヶ月も耐え抜いたことになる。我ながら、よく持ったものだ。
「俺は……最期まで堂々戦えたかな……?」
思えば西は、ベルリンで愛馬の背から落ちたあの日から、ずっと泥沼のなかを彷徨っていた気がする。
それでも西は、自らの人生――運命から逃げはしなかった。
必死に生きた。必死に戦った。
生きて、生きて、生き抜いて。
最期まで諦めずに、堂々と立ち向かったのだ。
次第に意識が遠のいてゆく――。
眠るように目を閉ざした時、どこからか懐かしい音が聞こえた。
蹄鉄の足音だ。
ハッとして目を開いた。地に倒れる西のそばに、ウラヌスの
「ウラヌス……なぜお前がここに……?」
目の前にウラヌス号が立っていた。
愛馬は着いて来いとでも言うように、森の方へ歩いてゆく。
西は立ち上がって後を追った。不思議なことに、痛みや疲労は感じなかった。それどころかまるで若返ったように体が軽い。
先を進む愛馬に続いて、木立を通り抜ける。
「これは――」
気がつけば、西は馬事公苑のなかにいた。
大歓声に包まれて、競技場には大勢の人馬が
風に万国旗がはためく。抜けるような青空に盛大な祝砲が鳴り渡る。
オリンピックだ。
西は再び、この場所へ還ってきた。
「お前たちが、ここへ連れてきてくれたんだな……」
馬術会場の入り口には、ウラヌス号とアスコツト号が待っている。
万感の想いを胸に、西は愛馬の背に股がった。
「さあ、ゆこう――」
西は愛馬と共に、夢の舞台へ向かって駆けてゆく。
それは今際のきわに西が見た幻だったのか。それとも、愛馬たちが彼の魂を導いたのか。
人馬の響かせる蹄音は、はるか遠い彼方へと駆けていった。
どこまでも、どこまでも――――
硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか‐ 神城蒼馬 @sohma_k
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