ルブダの女

赤キトーカ

第1話

「上から、80、60、79、か」

「やめて下さい」

「何をやめるんだ」

「測るのをです」

「今さら、そんなアレでもないだろう」

「嫌なんです」

権藤は言う。

「何を言おうが、お前は、俺の特殊関係人であることには間違いない。契約だ。そあだろう」

びっこを引いた足で、権藤は愛おしそうに、髪を撫でる。それは、毎日起きた時にするように、虎の剥製を撫でるようでもある。

「これはな、元新日本のアニマル高橋が持ってきたものなんだぞ」

「知ってるわよ。質草に、取ったんでしょう」

「はは、あそこは、猪木のがま口が意外に、硬いからな」

「馬場さんよりは、ましなんでしょう」

ほう、と言いたげに男は彼女を感心した顔でみる。

「よく知っているな。あいつに比べたら、猪木なんて、情に厚いただの男だ。馬場はまるで違う。絶対に人を信用しないし、一度人を裏切ったら絶対に許さない。世間のイメージとは、まるで違うんだ」

あはは、と女は笑う。

「それは貴方から聞いた話。私は平成生まれだよ。ババだの、イノキだの、テレビに出てるなんて見たこともないし有名なおじさん、くらいのもの。何が、『よく知っているな』よ……。ただの受け売りだよ、あなたの」

男は、権藤は言う。ベッドで。ブラックスパイダーに火をつけながら。

「俺だってわかってるさ。老人の、趣味に付き合ってくれてもいいだろう。違うか?」

「めんどくさい。」

「わかってる。あなたに抗うつもりもない。もう、眠いの。推敲する気力なんて、ないのよ……。ないの」

「寝るのか?」

「……眠い」

男は、権藤はサイドボードにあるジャックダニエルをグラスに垂らす。ぽたぽた、と。

「こいつが溢れるまで待つんだ……。いや、今夜はやめておこうか」

「ねむい。」

「わかった。眠剤でも飲んで寝るがいい。俺はもう少し飲んでから寝る」

「おやすみ」

「H.T.R。」

「?」

「忘れるな。お前は俺の、特殊関係人だ」

「そんな話しないで。……」


彼女が眠るまで、見届けてから、権藤はグラスを傾けながら見つめる。

そして上下する肩をしばらく見つめること数十分。

権藤は杖を突いて立ち上がり、よろよろと、火の付いていない暖炉に向かう。

屈んで、熱のこもっていない部分を指で弄る。

このスリルだけは、やめるわけにはいかない。

初期番号は

000000。


女が寝ている側だからこそ、やる価値が、意味が、緊張感が、達成感が、ある。

…ルブダ、ビー、エッチ。

かりかりかりと、番号を合わせる。

権藤の脳髄に、SEが響いた気が、した。

扉が開く。

権藤は寝ている女に気づかれぬよう、くくくと声に出さずに笑いながら、黄金の眠る部屋へと入っていった。

きっと、この部屋から出ることは2度とないであろうと思いながら。

女とも、2度と会うことはないであろうと感じながら。

権藤は内側から扉を閉めた。


皆、開けられなかったのだ。

みんなみんな、この扉の前で、泣いたのだ……。


もしもこの扉が開かれることがあるとするならば。

その女は、ルブダの女と呼ばれるに相応しいだろうと思った。

そう思って権藤は泣いた。

ルブダの女を待ちながら。

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ルブダの女 赤キトーカ @akaitohma

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