最終話 AV育ちで女の香りを知らない

『離婚調停中のタレントのY、女優のSと不倫発覚!』


 Kのスマホの画面を見ると、タレントのYが起こしたとされる不倫の記事が表示されている。

「Yのことを非難するコメントに『そう思う』の数が多く出ているだろう?」

「そうだな。この機能は麻薬的な依存性が高いとは聞くな」

「悪とされているものを断罪するのは非常に楽なことだからな。この時に不特定多数の集団でタレントを叩く罪悪感が、ここのコメント欄で書き込みしてる奴らにあると思うか?」

 確かにKの言うように、罪悪感はあまりなさそうだ。遠くから不倫を叩く彼らに、誰かを叩く罪悪感はなさそうに思える。

「つまり集団が一つの脳を作るってことは、集団を構成する個々が、自分の頭で考えなくてよくなるってことだ。ここでどんな倫理観も捻じ曲げることができる。要するに罪悪感を殺せるって訳だ」

「要するにお前が言いたいのは、所詮、人間は共通の話題や敵を作ることでしか仲良くなることが出来ないってことなんだろう?」

 俺はKのカフェ・ラテを全て飲み干しながら、俺の理解力の高さを見せつけた。

「そうだな。この共通の敵の姿が、集団にとっての『敵』となったり『生贄』になるだけの話だ」

「ところでお前、さっきの『彼』になんて言ったの?」

 俺はここにきて、ようやく本題を聞いてみることにした。

「君は自分が特殊だと思えば、イジメを抜けられるかもしれないと言ったんだよ」

「はあ?」

「俺さ、東大を受けた十人中一人が受験に失敗して、その一人が自分は特殊であると思い込んだ例を知っている」

「それってお前のことだろ?」

 東大に入れなかったことでKは慶大に入って来たのだが、極端に落ちこぼれた。俺は妥協して慶大に入ったのだが、Kと同じくらい落ちこぼれた。

「それで東大生になれなかった訳なんだが、落伍者が『自分は落伍者であるがゆえに、東大生よりも特殊な存在であるのだ』と自認し、葛藤を解決する。東大に入るパスポートがない状態こそが、東大以上のゴールドパスポートがあると誤認する」

「まるでメンヘラみたいだな」

 俺は、昔付き合ったことのある自称精神病患者に貢いだことを思い出した。

「そうなんだ、メンヘラになればいい。自分のことを特殊だと思い込んだ自意識過剰な『馬鹿』共が寄り集まっていれば、少なくとも集団の中からは逃れられるんじゃないか?」

「その状態がつまりメンヘラによるニートってこと?」

「そういうこと」

 俺は、昔付き合ったことのある自称精神病患者パート2に貢いだことを思い出した。「だって俺は東大に受からなかった時点で、他の九人より特殊であるといえる訳だし、お前はすんなり慶大に入ったのに落ちこぼれているじゃないか? きちんと社会進出している人達に比べてよっぽど特殊だ」

「ああ……俺、集団の中で頑張れるようになりたいわ……」

 俺はしみじみとそう思った。就職に関して、新卒以外で大学のブランドなどあまり意味はないだろう。しかしニートの集団は『BBA』より、よっぽど不経済で役立たなそうである。

 元々、判っていたことではあるが、俺は自分のことを『BBA』の構成員より遥かに価値がないような自覚を完成せざるを得ない状態に陥った。

 いかに集団の性根が悪かろうと、俺はその性根の悪い集団にすがらなくては生きていけないくらいどうしようもない人間であるという事実に突き当たっただけのことだった。

「集団に所属しないということと、集団に所属していることと、どちらの方が自分が生きていることを意識できることなんだ?」

「さあ? そもそもこの世に生きている人なんているの?」

「さあ? それはやっぱり猫ちゃんくらいなのかねえ?」

 俺は個人的に『猫』を贔屓することにした。『猫』のことを考えれば、人間のことなどどうでもよいのだ。

「でもメンヘラニートの集団だって同じことじゃねえの? 結局、『敵』や『生贄』を探してしまうことには変わりないだろ?」

「それはだな……」


「……ここのハンバーグまずいね」

「ホントまずいよね」

「お前がハンバーグを食べたいっていうから、俺もつられて注文したんだよね」

「私も、あなたがハンバーグを食べたそうにしていたから、注文したんだよね」

「ええ~? じゃあ注文するんじゃなかったな。本当は違うの食べたかったのに、お前が食べたいっていうから……」

「あなただって昨日、ハンバーグ食べたいって言ってたじゃない! だから私だってハンバーグが食べたいってあなたに合わせただけなのに!」


 存在を忘れかけていた隣のカップルが口喧嘩を始めたので、その存在が実在していることに初めて気が付くような感覚を覚えた。

「おや、くだらない喧嘩が始まったな」

「一体、誰がハンバーグを食べたかったんだろうね?」

 それはきっとこのカップルという集団の脳が食べたかったんだろうと、俺は思った。

「ところでカップルも集団の一つだと思うんだが、他の集団と比べてどう違うんだ?」

「まあ、俺が思うに恋愛とは、お互いがお互いの『敵』になると同時に、『生贄』になるということだな」

「ほう」

「そのパートナーを選ぶ意志の決定には、性的接触が用いられることも多くて、握手やキス、セックスにまでその範囲が及ぶってことだな」

「はあ、お前って本当に人間が嫌いなんだな……」

 俺は目の前の人間嫌いがニートであることに絶望した。もし金のある人間だったら、尊敬していたかもしれない。

「そんなことはないさ。人間が完全に嫌いなら、君とも喋っていない」

「ふむ」

「性的な接触がない状態で、お互いの意見を言い合えるのって、友情くらいのもんだろ? お前の場合、セックスしてからじゃないと女と仲良くすることが出来ないとか言っていたじゃないか。結婚というのは、本質的に異性と友情で結ばれることだと思うんだよな」

「セックスレスだけど仲の良い夫婦が理想ってことかな? 俺は同棲中だけど、もうそれを実践しているよ」

 俺はこう言ったあと、少し躊躇ったが心に過っていた言葉を伝えることにした。

「それにしても童貞のお前に『恋愛』のことが判るの?」

 俺の直言を受けて、Kの表情に翳りがありありと浮かんだ。

「重ねて聞くが、AV育ちで女の香りを知らないあなたにお尋ねしたい」

「童貞には……哲学者が多いんだよ!」

「ところでお前ってなんで派遣切りにあったの?」

「派遣切りじゃなくて単に俺がバックレたんだよね。俺は『生贄』だったからさ。その時に俺はあそこでも特殊であろうと自認したという訳なんだ」

 俺はそれだけ聞くと、そそくさとコップを持って立ち上がった。(了)

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