止められない

 今の時間帯は本日最後の授業が終わり、もうすぐ放課後となる時。

 俺は今どこにいるかというと、英語準備室だ。

 両手には先程の授業で回収された、クラス全員分の課題であるノートの山。

 目の前にいるのは、もちろんわたるん。

 俺はわたるんこと有賀渉先生に、荷物持ちとして手伝わされていた。何故俺かというと、今日の少テストで見事クラス最低点を叩き出したからだ。次は補修にならないと決意したのに、このザマである。


「そのへん置いといてくれればいいよ。」

「はーい、適当に置いとく。」


 ノートの山を設置されていた机へ置き、そのまま出ていこうとした。


が、


「おいこら、どこ行こうとしてるんだ。」


 わたるんは俺のシャツの襟首を遠慮なくつかむと、強い力で引き戻した。2人きりはできるだけ避けたいのに、彼はそれを許してくれない。


「おい!何するんだよッ。」

「HR終わったらさっきのやつの補修やるからな。今日はここでやるから絶対来いよ。いいな。」


 顔だけ振り向くと、すぐそこに迫る顔。耳元のそばに響く声。

 思ったよりも近い距離に一瞬固まるも、すぐに我にかえり襟首にかかる手を振り払った。


「わかったよ!じゃあな!」


 乱暴に告げると、足早に英語準備室を出る。

 そのまま廊下の角を曲り立ち止まると、その場へしゃがみこんだ。手で覆ったその顔は赤い。



「くそ……」


 あまりに距離が近くて、反射的にあからさまな態度を取ってしまった。あんな反応では、好かれるどころか嫌われても仕方ない。いや、そもそも好かれる可能性も無いわけだが。

 それでも。

 一方通行でも、嫌われるようなことは避けたかった。せめてでも、あの人の顔を見て笑顔で卒業できれば、そして大人になった時に懐かしい思い出だと笑うことができれば、それでいい。

 そういう意味でもあのハプニングは心臓に悪かった。


「俺の身がもたねぇよ……」


 本心を言うと今日はもう顔を合わせたくないが、補修と言われれば逆らえない。

 そして更に不幸というべきか幸いというべきか、俺のクラスの担任もかのわたるんだ。逃げたら即刻親へ連絡が行くか、もしくは成績ががっつり落とされるかだろう。避けたい相手に限って接点が多く頭が痛い。


 わたるんによるHRが終わると、荷物を全部まとめたのち俺は諦めモードで英語準備室へ直行した。


「失礼しまーす。」


 わたるんは既に中におり、机へ向かって作業していたようだ。俯いていた上半身をあげ、頬杖をつきこちらを見つめる。


「珍しく素直に来たな。」

「俺はいつも素直だけど?」

「どうだかな。」


 軽口を叩きつつ、わたるんの向かい側に座ると筆記用具をカバンから取り出した。お気に入りである黒のペンケースは、前にわたるんも使いやすそうだと褒めていたものだ。

 わたるんは机のわきに用意していたプリントを手に取り、目の前に差し出してくる。


「これ今日のぶんな。真剣にやれよ。」

「はいはい、ちゃんとやるよ。」


 2人きりというこの拷問から逃れるためには、さっさとこれを終わらせるしかない。俺はシャーペンを持つと、脇芽も振らず机へ向かった。


 この前と同じく西日が差し込む教室には、紙の摩擦音と俺のシャーペンが書き込む音だけが響くばかり。静かなぶんプリントが進むのは早い。

 しかしいつもより狭い空間のせいか、気を抜くとお互いの息遣いを強く意識してしまう。

 今日こそ早く終わらせなければという焦りとともに、この時間ができるだけ長く続いてほしい欲望が湧き上がってくる。そんなこと、望んでも何にもならないのに。


「今日は怖いくらい真面目だな。」


 静寂を破った声の主へ目線を向けると、再び頬杖をつきこちらを覗き込む漆黒の双眸と視線が重なった。

 2人の間の距離は約30cm。


「小野寺?」


 反応がない俺を不思議に思ったのか、わたるんが呼びかける。

 その深い黒に飲まれかけそうになる直前、はっと我にかえり慌てて目をそらした。


「っ、別にいいだろ、そういう気分なんだよ。」

「……」


 漆黒の瞳は黙ったままだ。しかし変わらず向けられる視線を感じる。

 見られている。

 どこか俺に変なところがあるのだろうか。気になりだすと止まらない。


「何見てるんだよ、落ち着かないんだけど。」

「……やっぱりお前、何かあっただろ。」


 ど直球な問いかけに動揺を隠しきれず、俺は再び視線を戻してしまった。深い黒が俺の心までを捕らえる。これでは何かあったと言ってるようなものだ。


「困ってるなら吐いとけ、少しくらいなら協力してもいい。」

「別に、何もないし、」

「本当か?何もないようには見えないけどな。」


 もう、視線はそらせることができなかった。

 なんでこの人はこうも、見られたくないところばかり覗こうとするのだろう。でもそれが嬉しいと思ってしまう俺も俺だ。いつもは厳しいくせに、俺の苦しみを誰よりも早く見抜き、親身になって話を聞こうとする。こんなことで俺をときめかせて、一体何がしたいんだこの人は。どれだけ想っても叶わないことはわかってる、だからこれ以上好きになってはいけないのに。


 多分、また取り繕っても信じてはもらえないだろう。

 それでも、残された道は取り繕うことしかない。


「そんなことないって、わたるんの気のせいだろ、気のせい。」

「無理してるんじゃないのか。」

「俺はいたって元気だけど?」

「……」


 いつもの余裕ぶった態度を見せつけ、精一杯強がる。

 正直に言えなくてごめん、でもこれだけは言えない。

 まるですべてを見透かすような強い光をたたえたその瞳は、しばらく俺を捉えたままだった。しかし、やっと観念したのか眼光が鋭さを欠いていく。

 同時に向かい側から手が伸ばされ、頭にぽん、と乗せられた。突然のことに対応できず、俺は目を瞠って見つめることしかできない。

 その口から告げられた言葉は、今までのどんな言葉よりも優しい声色で、俺の心を震わせた。


「どうしても辛くなったら、俺を頼れよ、絶対。」

「……っ」


 それは、わたるんが俺の担任だから?

 飛び出しそうになった言葉をなんとか飲み込み、喉の奥へ無理やり押し込んだ。こんなこと聞いても困らせるだけなのは明白だ。期待した答えなんて返ってこない。

 でも、頭を撫でる手からは本気で俺を心配していることが伝わってくる。しばし頭を撫でたあと、それは離れていった。

 こんなことされたら、勘違いしそうになるのは多分俺だけじゃないだろう。それをわかっててなお、手を振り払えなかったのは、苦しくてもやっぱり嬉しかったから。

 この人が好きだ。

 一度そう思ったら止められないことは心のどこかでわかっていた。やはり、当分この感情に振り回されるしかなさそうだ。それでもいいから、俺はこの人を想っていたい。たとえこの先、想いを伝えることは決してしないとしても。


 わたるんに頼る代わりに、俺は笑ってみせた。


「ありがとな、わたるん。もしそうなったら頼るかもな。」


 その言葉のあとわたるんが見せた表情がどこか寂しそうに見えたのも、きっと都合のいい見間違いだ。

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叶わぬ恋に蓋をして 泉 楽羅 @M__t__

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