叶わぬ恋に蓋をして
泉 楽羅
“拷問”
きっかけは何だろうか。
こうなった今じゃ、もうわからない。
もしかしたら、“あの人と関わった全て”なのかもしれない。
「おい、よそ見しないで集中しろ。」
「少しくらいいいじゃん、わたるん相変わらずお硬いなぁ。」
「高3にもなって、英語できないお前が悪い。」
俺は勉強ができないわけじゃない。髪は毎朝セットしてるし、耳にピアスの穴も開いてるし、制服も着崩していて、一見ただのチャラ男だ。でも、だからといって頭は割といい方だ。
ただ、英語だけはどうしてもできない。全く勉強していないことはないが、それにしてもできなさすぎる。ほとんどのテストで平均を下回り、常習だからと補修を受けさせられるのだ。英語なんて別に使わないと思っているが、成績に響くとなればやるしかないとなるのがいつもの流れだ。
そして今、ちょうどその補修とやらを受けている最中だ。しかも先生とマンツーマンといういらない贅沢をしている。今日の授業でやった少テストが、10点中3点で返って来たせいだ。
俺の担当は有賀渉先生、通称“わたるん”という愛称で親しまれている。まだ26歳と若く、なんだかんだ顔も良くて女子生徒に絡まれているのをよく見かける。基本的にクールに見えるが、その印象に見合わず生徒への指導は熱心で面倒みが良い。男女関係なく慕われるのもよくわかる。
そんな相手を、現在俺がひとりじめしてしまっているわけだ。俺としては嬉しくない。
この人と2人きりになることは、俺にとって拷問に等しい。
「わたるん、ここわかんねぇ、どういうこと?」
「おいおい、ここの文法忘れてんなお前。この前教えたぞー。」
「う……わかったから、さっさと教えろ。」
「ったく、しょうがねえな。これはな、――」
俺がどんなに英語が苦手でわからなくても、文句を言いつつ一つ一つ丁寧に教えてくれる。こうやってわざわざ補修に付き合ってくれて、絶対に見捨てようとしない。
俺の手元にあるテキストを覗き込むようにして、顔が近づく。心音が一つ、大きく跳ねる。
西日に透ける髪が綺麗だと思った。
その髪に触れ、指を通せばさらさらと流れていくだろう。そしてその手を項にかけ、そのまま引き寄せて――
「――ってなるわけだが、お前聞いてねえな。」
「あ、やべ。」
光に照らされるその姿に目を奪われていたら、視線を戻したわたるんと目が合った。
「真面目にやらないと放置して帰るぞ。お前はそれやり終わらないと帰れないから。」
「はぁ?教師が生徒見捨てていいのかよ。」
「見捨てられたくないなら真面目に聞こうな。」
呆れてため息をもらしつつも、わたるんはもう一度説明してくれた。
この人はいつも、こんな俺に対しても優しくしてくれる。ただし、それは生徒としてだ。俺以外の生徒にも平等に優しい、俺だけが特別なわけじゃない。
この補修はまるで拷問だ。
この人に一番近づける時だけど、そのぶん遠く感じる距離は教師と生徒である限り埋まることはない。ただでさえ同性なのに、おまけに教師だなんて笑えるにもほどがある。
その距離感を感じるたびに胸が軋む音がするのは、きっと気のせいだ。
前に好意を持った相手も同性だった。それは俺の初恋で、言わずもがな叶うはずもなく、今では過ぎ去った思い出となっている。
女子と遊ぶことはたたあるし、付き合ったこともある。童貞もとっくに捨てた。でも、本気で恋をしたのは初恋の相手と、わたるんの2人だけだ。
俺は、どうしていつもこうなのだろう。
この先も、叶わない恋しかできないのだろうか。
「ねえ、わたるん。」
「なんだ。」
好きだよ。
と言ったら、どんな反応をするだろうか。
気持ち悪いと思われる?
教師として裏切られたと思う?
それとも「そうか。」と流されるだけ?
「やっぱなんでもない。聞かなかったことにして。」
なんでもないふりをして、再び俺は机のテキストに向かう。
どうせ言う勇気もないくせに。
「……何か、悩みでもあるのか?」
滑らせていたシャーペンの動きが停止した。
見上げると、真っ直ぐ向けられた視線と再び絡み合う。
「悩み?俺が?」
「最近、思い詰めた顔をよく見る気がしてな。もし何かあるなら、俺で良ければ聞くぞ。」
剥れかけていた仮面が全部剥がれる前に、いつもの生意気な笑みが浮べて見せる。
「悩みなんてねぇよ。強いて言うなら英語ができなくて補修くらうこと。」
「それはお前が俺の話を真面目に聞かないせいだろうな、自業自得だ。」
「うるせぇ、半分は聞いてるし。」
うまく笑えているだろうか。
いつのまにか、気持ちに嘘をつくことに慣れてしまった。
この人は、見られたくないところまで見透かしては指摘してくるから、心臓に悪い。良い意味でも、悪い意味でも。
「俺に悩みがあるなら、それは大方あんたが原因かな。」
「おい、自分の英語力の低さを人のせいにするな。」
「うそうそ、冗談。」
言葉の裏に少しの本心を隠して、次こそは絶対補修にならないことを決意した。
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