第2話 おじいちゃんの葬式がドタキャンになった話
いつもの放課後。遠くに聞こえる人の物音、口にするジュースの味、我ながらだらしなく寄りかかる机の硬い感触、目の前の友達から幽かに漂う、いい香り。栞ちゃんはいつものように、その冷ややかで凛とした目つきで私のことを見つめてくれる。
だから、私は思わず甘えたようにこう言ってしまう。
「ねえ、少し退屈」
「そう。どれくらい」
「腐り落ちるくらい?」
「それは大変ね。片づけをさせられる明日の日直が可哀想だわ」
「今日が
「まったく、この言ノ葉の血が呪わしくなるのもこれで二回目かしらね」
「私も腐り落ちたくないからさあ、退屈しのぎにお話ししようよ」
「今まさにそれをしていると思うのだけど」
溜息をつく栞ちゃんもやっぱりかわいい。私も
「こうやって私と終業のベルが鳴るまで、他愛のない話をしていればいいじゃない」
「えー、私はさあ、栞ちゃんが私のためだけにしてくれる話を聞きたいんだよう」
「あんた中々いい根性してるよね」
「えへへ、そうかなぁ。そういう栞ちゃんも結構な大物だと思うよ?」
「そう? 自分ではそう思ったことなかったけど」
「特に胸とか」
そう言って私が伸ばした手は、柔らかい感触に包まれた。本来は空を切るはずの位置だったのだけど。
「あの」
少し怒ったように栞ちゃんは言った。
「勝手に私に巨乳の設定を付け足すのやめてくれる?」
「私はもうちょっとあってもいいと思うんだけど」
「重くて肩がこるだけじゃない。それに私は別に小さくない」
「えー」
「私のは別に小さくない。オーケー?」
ずずいっ、と栞ちゃんの綺麗な顔がこちらに寄せられたので、私は思わずうなずいてしまった。唐突に感じなくなった右手の暖かな感触に私が涙していると、栞ちゃんはやれやれ、といった様子で溜息をつき、それから口を開いた。
「しょうがないわね。思い出した話でいいなら、ストックがあるわよ」
「なになに、聞かせて」
「これは友達の親戚の親戚が体験したって話なんだけど」
「結構遠いね」
「その人のおじいちゃんが夏のある日に亡くなったそうなのね。その人――そうね、Aさんとするわ。Aさんは、大学の講義をサボって音ゲーの発狂譜面に挑んでいるところで、その連絡を受けたんだって」
「ちょっと待って。発狂?」
「音楽に合わせてボタンを押したりするゲームで、そういうのあるらしいよ。気でも狂っているんじゃないかっていうくらいボタンを押さなきゃいけなくなるんだって」
「人間なんて今も気が狂ったように働き続けているのにねえ」
「辛いことでもあると狂いたくなるのかしらね」
「じゃあ、人間は不こ――」
不幸だね。私がしみじみと言おうとするのを、栞ちゃんは顔を青くして咄嗟に止めた。
「それはちょっと分からないけど」
「栞ちゃんがそう言うなら。それに、講義をサボるような人が狂いたくなるほど不幸とも思わないしね」
「話を戻すわ。Aさん、その日のうちに下宿先から実家に帰って、家族と一緒に田舎へ向かったそうなの」
「田舎には親戚がいっぱい集まってるのかな」
「そうそう。それで、Aさんが着くなり、喪主の伯母がこう言ったそうなのよ」
栞ちゃんは一瞬、黙りこくり、私の目をしっかりと見据えた。
「『おじいちゃんの葬式はなくなりました』って」
「葬式ってなくなるものだっけ」
「困ったのはAさんだけじゃなくて、集まった親戚一同頭を抱えたのよ。『おじいちゃんの葬式がドタキャンになった』って」
「うん、やっぱり葬式ってドタキャンしないよね?」
「Aさん、冗談めかしてこう言ったそうよ。『じいちゃんの葬式、前もって予定通りに出来るようにしとくべきだったなあ』って」
「計画的殺人だったの?」
「餅を喉に詰まらせたとかならその線もあると思うんだけど、死因が熱中症っぽかったのよね。これだと計画的に、っていうのは難しいわよね。虐待まで疑われるから」
「え? 野球部とかよくやってるじゃん? あれは計画的の範疇に入るのかしら」 すると、栞ちゃんは困った笑顔で言った。
「それはどちらかと言うと考えナシの部類に入るんじゃないかなあ……」
「それもそうだねー。それで、おじいちゃんは元気だったの?」
「それがね、生きているか死んでいるかもよく分からないような状態だったんだって。熱中症で倒れたから無理もないんだけど、皆に囲まれたおじいちゃんは青い顔で、あー、とか、うー、とかしか言わないし」
「気の毒だねぇ」
「本人もそうだし、集められた親戚もね。一人が言い放ったそうよ。『やれやれ、医者の勘違いで休みの日が台無しだ』って」
「お医者さん、すっとこどっこいだったのかねえ」
「それを言うならおっちょこちょいのような気がするけど。でね、これがまたタチの悪いことに、おじいちゃん、無理をして倒れた割に、無理に起き上がろうとするのね」
「青白い顔で?」
「Aさんはどっちかと言うと青黒い感じだったって言ってたかな。で、倒れた割に食欲旺盛で」
「なんだ、すぐ元気になりそうじゃん」
「そうそう。冷蔵庫の生肉漁って食べてたんだって」
「ゾンビじゃん?」
「Aさんも、おかしいなー、って思ったみたいなんだけど、親戚もおじいちゃんが生き返ってよかったね、最後の審判も近いね、って涙を流す人もいたから水を差せなくって」
「その人きっと、アルマゲドン見て泣いている人だと思うの」
「で、その人も泣くあまりに、そのうち、あー、とかしか言わなくなって」
「ちょっとヤバいヤツじゃない?」
「やれやれ、って感じで寝室へその人を引きずっていった親戚も、青い顔で戻ってきたんで、Aさん、よっぽどひどい抵抗のされ方したんだなーって、密かに片思いだった従姉と笑ってたらしいのよ」
「二人そろって逃げた方がいいと思うなー」
「Aさん、従姉と話して盛り上がっていくうちに、変な雰囲気になったんだって」
「あら、やらしい」
「触りっこしたり、あーん、とか、うーん、とか言うようになって。最後には身体をなめられたりして」
「テイスティングかな?」
「それが終わって噛まれそうだったんだけど、Aさん、止めたらしいのね」
「おっ、ナイス判断」
「甘噛みは未経験なんで刺激が強すぎるって」
「童貞で九死に一生か~」
「そんなこんなで周りがどんどんおかしくなっていくのを目にして、Aさん、たまらず一人で車使って逃げようとしたんだけど」
栞ちゃんが口ごもるので、私は問うた。
「まさか、捕まったの?」
「そう、そのまさかよ」
「じゃあ、Aさんは」
「無免許運転で前科持ち」
「そっちか」
でも、逃げきれたみたいでちょっと安心した。あ、でもちょっと待って? 置いてけぼりにされた親戚とか、その近所の人はどうなったのかしら?
私の疑問に答えるかのように、栞ちゃんが言う。
「親戚はね、皆それぞれの家に戻ったらしいのよ。あー、とか、うー、とか言いながら」
風に乗って、グラウンドの方から声が聞こえてきた。いつも聞こえてくるランニングの掛け声はうめき声のようで、少し心配になって見てみると、見た目に気を使っていそうな子たちが揃ってあんあんうんうん言っていた。その一方で彼氏彼女のいなさそうな人たちは相も変わらず練習に励んでいるみたいだけど、それも時間の問題だろうか。
人間、転げ落ちるのは早いもの。
私は思わず笑っていた。だって、物語でしかないような世界が、目の前に広がっているのだもの。
「うふふっ、これなら今日は終わりまで退屈しなさそうね」
「そう、よかったわ」
こうして、私は栞ちゃんと一緒に、ベランダでグラウンドの風景を終業のベルが鳴るまで眺め続けたのでした。
観世由那の些細な日常 葉桜真琴 @haza_9ra
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