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 〝餓える堕天使〟の死体は広場に引きずり出され、しばらく置き去りにされた。


 堕天使がどんな魔物で、どこから現れたかは、結局謎のままだ。お偉方の中には、なぜ殺した、調査のため生け捕りにするのが当然だろう、などとふざけたことを言った奴もいたらしい。


 そしてある日、死体の腹を裂くことになった。町に押し寄せた犠牲者の遺族が、たとえ死体でも会えるものなら会いたいと訴え、それに応じざるをえなくなったのだ。


 腹の中からは予想通り、すさまじい悪臭とともに死体があふれ出た。最近食われたものは、まだ肉体をとどめていたり、腐乱状態だったりしたが、ほとんどは白骨だった。


 いくつかの死体は引き取られていったが、結局ほとんどは誰が誰のものかわからず、広場に山積みにされるままになった。やがて腐臭が立ちこめ、うじや毒虫がたかり、その虫や屍肉を食らう鳥たちが昼夜の区別なく鳴き喚き、元の暮らしに戻りたい人々が早く撤去しろと騒ぎ始めた。


 あたしは知人の家に身を寄せて、治療に専念していた。息子と娘もここに世話になっていた。肋骨が何本も折れ、体中ばんそうこうや包帯でぐるぐる巻きにされたけれど、幸い後遺症の残るような傷はひとつもなかった。


 身動きするのに不自由がなくなるほどに傷が癒えた頃、堕天使と、その腹からあふれた死体を撤去して埋めることが決まった。


 その話を聞いた夜、あたしはこっそりベッドを抜け出した。堕天使に襲われたあの日と同じ、こうこうと月が輝く夜だった。


 まだ残る傷が、じりじりと熱を持つのを感じながら、堕天使の骸のある広場へ向かった。築かれた白骨の山は月に照らされて白く輝き、異様な雰囲気を漂わせていた。


 あたしは山の中に踏み込んだ。臭気に、虫に、鳥に耐えることは、堕天使との戦いに比べれば何でもないことだった。


 思ったよりも、時間はかからなかったような気がする。


 あたしは見つけた。左側頭部に、不自然なひびが直った痕のある頭蓋骨。


 あたしは膝をついて、その頭蓋骨を拾い上げた。傷跡を撫でてみる。


 間違えるわけない。あたしはずっと、この位置のこの傷にガーゼを当ててきたんだ。骨にまで届いたこんなひどい傷を、直してやったのはあたしなんだぞ。


 馬鹿。帰ってくるって、言ったじゃないか。


 馬鹿。信じていろって、言ったじゃないか!


 あたしは、頭蓋骨をひしと胸に抱きしめた。


 涙が、とどめようもなく流れ落ち、頬を濡らし、顎を伝って、白い丸みにこぼれていった。




 「〝餓える堕天使〟を倒した女傑」―――今のあたしは、されたくもない英雄扱いをされる日々を送っている。


 おかげで幸い、壊された店の再建はすぐに成った。冒険者たちは今日も、店のあちこちでまた新たな魔物や冒険の情報を取り交わしている。現金なもので、堕天使の脅威が去ってから、店は以前よりも活気づいたようだ。


 あの頭蓋骨は屋根裏にしまってある。だから、夫はまだ行方不明扱いで、常連たちは相変わらず彼のことを話題にしない。


 そして息子は、今日もまたおもちゃの木刀を振り回している。


 息子は、冒険者になるだろう。娘もなるかもしれない。あたしにそれを止める権利などない。無茶な戦いをしないことだけを祈る。


 いつか息子が旅に出るとき、父の死の真実を伝えよう。親の身勝手かもしれないけれど、幼い脳みその中できっと思い出に変わってしまうこの事件を、確かな心の礎にしてもらいたいから。あたしと、あの人とで、守った命だ。


 誰かが惚れてしまう、すぐれた冒険者になるように、心から願っている。

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おかみ戦闘 DA☆ @darkn

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