第6話

 目を覚ましたとき、見慣れたわけではないが、見たことがある天井があった。白く、ところどころに黄色い染みがある天井。以前もここに来たことがあるが、そのときは染みの形が九州の形みたいだなと思ったのを覚えている。私はベッドで横になっていた。自分の部屋の薄いピンク色のものではなく、真っ白なベッドだ。枕の位置も少し高い。私は今、保健室で寝ていた。

 私は身体を起こした。目の前には仕切りのカーテンがあった。その外からオフィス椅子を引く音がした。私の目覚めに保健室の先生が気付いたようだ。

 サッとカーテンが開けられた。

「おはよう、荻原さん。といっても、もう夕方だけどね。気分はどう?」

 保健室の先生は私に訊いてきた。ウェーブがかった長い髪と黒縁のメガネがトレードマークの黒川くろかわ先生。スタイルが良くてどことなくセクシーな雰囲気を持つ、男子生徒にも人気のある女の先生だ。

「ええ、まあ……あの、黒川先生。私、どうなってたんでしょうか」

 私は恐る恐る訊ねる。黒川先生は笑顔でそれに答える。

「フフ、どうやらもう大丈夫そうね。あなた、夏バテ……というか、熱中症で倒れたのよ。昼間の二クラス合同体育の時間にね」

 あっ、そうか。私は体育で倒れたんだ。暑いのに水も取らずに走らされていた記憶が頭の中に蘇った。

「最近炎天下で運動させるなって問題になってるのに、ホント懲りないわよね」

 黒川先生は怒った様子で言った。そのとき左手でメガネをクイッと押し上げる動作をした。男子生徒の間では有名らしいが、これが彼女の癖なのだそうな。男子たちに言わせればその仕草がたまらない、ということらしい。私には正直どこが良いのかよくわからないのだけれど。

 そんなことより、私は昼間に熱中症で倒れたらしいが、今日が倒れた当日ということは、二日間自宅で休んでいた事実もなかったことになる。今は何曜日?

「あのう……今日って何曜日ですか」

 私は思ったことをそっくりそのまま訊ねてみた。黒川先生は不審そうな顔一つせずにさらっと答えてくれた。

「月曜よ。月曜の、夕方五時」

「月曜日……」

 やっぱり、私が倒れた日から日にちが経っていなかった。もし休んでいた場合今日は木曜のはずだが、違うようだ。あのヘンテコな神様に惑わされた時間は、ただの夢だった。私は夢だとわかった瞬間ホッと胸を撫で下ろした。変なことになってなくて、よかった。しかし同時に、私はケースケの顔を思い出した。あれが夢だということは、恋人になった話も夢だったということだ。それに関しては残念だな、と私は思った。

「何で残念そうな顔してるのよ、荻原さん。いい夢でも見てたのかしら?」

 私は先生に言い当てられ、ギクリとして軽く目を逸らした。黒川先生はひょうひょうとした感じの顔を私に向けていた。今まで何人もの生徒を診て、何人もの生徒の悩みを聞いてきたためか、きっと本心を見抜く力があるのだ。油断ならない女だ、まったく。

「フフ。でもね、クラスの……いえ、合同体育だから違うクラスかしら? ともかく、男の子がすぐにあなたの異変に気付いて、すぐに保健室に運び込んでくれなきゃちょっと危なかったかもしれない。体育の種田たねだ先生、いつもおどおどしてて判断が遅いのよ。なんで種田先生が体育で、がっしりした瀬川せがわ先生が理科の先生なのかしら。世の中は不思議ねえ。まあ、大事に至らなくてよかったわ」

「男子……ああ、そうですか」

 私は夢の中で言ったある言葉を思い出していた。『でももし倒れたら、ケースケが保健室連れて行ってね』。本当に保健室にやってくれたんだ、ケースケ……。

「もうとっくに放課後なのだけど、どう、自分で帰れそう?」

 黒川先生は優しく話しかけてくれた。私はできるだけ元気に見えるように、勢いよく首を縦に振った。

「はい、もう大丈夫です」

「そう。もう無理はしないように、気をつけてね」

「はい、ありがとうございました!」

 私はベッドから降り、上履きを履き、ゆっくりと立ち上がった。まだ太陽が昇っていて、黄色い光が保健室の中を照らしていた。日が沈むまでまだ時間がかかりそうだ。


 私は校門の辺りでサキと会った。ちょうど部活が終わった時間に熱中症で倒れた私が起きたと知り、待ってくれたのだという。

「シノっち。大丈夫? 熱中症だって? 歩いてて平気?」

 サキが聞いてきた。彼女が私のことを本気で心配してくれていたのが伝わってきた。

「うん、大丈夫。ありがとう、サキ。わざわざ待たせちゃってごめんね」

 私は申し訳なさそうに言った。

「いいよいいよ。あたしとシノの仲でしょう?」

 彼女はニッコリと笑顔で言った。私も彼女の顔を見て、ニッコリとした。

「それじゃ、帰ろうよ。シノがまた倒れないうちにね」

 サキが続けて言った。私はおどけた感じで言い返す。

「もう倒れないよ~。心配し過ぎ!」

 私は彼女の肩にポンと手を置いた。彼女の足元がチラっと見えた。そのとき、私は目を丸くした。サキはそれに気付いた様子で言った。

「あ、これ? ちょっとビックリしたでしょう。ルーズソックスよ。あたしって、ちょっと真面目なイメージあるでしょう? でも、ホントのこと言うと真面目なだけじゃつまらないと心の中で思ってるのよ。だからこれからイメチェンしようと思って、その第一歩として履いてみたの? 先生から隠しながら履くのちょっとドキドキしたんだから。どう、シノ。似合ってる?」

 ああ、なんということだ。私はどうやらまだ夏バテから解放されていないらしい。やっぱり大事を取って明日は学校を休むことにしよう。ああ、そうしよう。




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『夏バテしてたとき』の夢による狂想曲 亀虫 @kame_mushi

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