第4話 結

「だから、別れて。私と。」


 何百回何千回と聞いてきた、この言葉。

 グサリと心に何かが刺さり、大きな穴を開ける。


「どう、して?」


「……ズレているの。あなたは。」


 __当然だ。言いたいことがあるのに、それが伝えられないなんて。僕はありえないくらいズレている。

 僕は何も言わない。いや、言えない。

 千咲は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、500円玉を木のテーブルに叩きつける様において、立ち去る。


 僕は、彼女をすぐに追いかけた。



 走る。疾る。奔る。

 足の速い彼女には、なかなか追いつけない。

 肺が痛い。心臓がうるさい。体が熱い。


「待って!」

 情けないぼくの声が響く。

 千咲は、足を止めた。


「なに。」


 短くて、冷たくて、心をえぐる一言。

 __やっとわかったんだ。何千回何億回千咲の死を目にしてでも言いたいことが。


「千咲。」


 僕は、息も絶え絶えに、千咲の目を見ながら、言葉を紡ぐ。千咲の感情を失った瞳に初めて驚きが浮かんだ。


「僕は、」


 周りから、絶叫が、悲鳴が、怒声が聞こえてくる。千咲の瞳に、焦りと驚愕が浮かぶ。


「君が、」


 千咲は、僕を突き飛ばそうと、手を伸ばす。

 僕はその手を掴んで押した。

 千咲はバランスを崩して、尻餅をついた。


。」


 その瞬間。黒い圧倒的な質量がぶつかって来た。

 骨が砕ける。内臓が力を受けてゆがむ。痛みよりも、むしろ体が焼かれて、焦がされている様な熱さを感じる。けれど、確かに言いたい『何か』を言えた達成感を感じていた。


 目の前が、白くなる。


 体が、動かない。


 頭も、働かない。



 どこか遠くで、千咲の泣く声が聞こえたような気がした。












































 __気がつくと、僕は駅前の噴水ではなく、病院のベッドの上に寝ていた。

 右の手が誰かに握られている。小さくて、柔らかい、誰かの手。


 僕は、その手を握り返す。


 その手の持ち主は、びくりと反応して、こちらを覗き込んだ。


 その人は、瞳を真っ赤に充血させていた。

 その人は、ほおを少しだけこけさせていた。

 その人は、艶やかな長い髪の毛をポニーテールにしていた。


「ち、さき。」

 僕は、その人の、愛おしい彼女の名前を呼ぶ。

 喉がヒリヒリと乾いてうまく声が出ない。


「……っ!結人!」

 千咲の目に、涙がたまる。柔らかくて、優しい声。けれど、その優しさの中に、どこか、不安を感じさせている。

 つぶやく様に、けれども彼女にしっかりと届く様に。僕は言う。


「だいすき。」


 その言葉を聞いて千咲はほおを赤く染めた。

 数分とかからずに、他の看護師や医者が部屋に入ってくる。


 病院の窓からは、清々しいほどに澄み渡った晴天と、少し眩しすぎる太陽がこちらを覗いていた。

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ある夏の日に、君は。 Oz @Wizard_of_Oz

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