第4話




 父は、残りいよいよ三年を切った会社勤めに自ら終止符を打った。


 趣味のゴルフも美術館巡りも封印して、母と二人で兄の療養生活を支えた。


 自宅療養を最初に提案したのは父だったが、それは兄の希望でもあった。


 母は、病院にいれば一縷の望みが叶うかもしれない、と縋るように主張をし、


 憔悴しきって私たちを心配させたが、


 父の思いと、そして何よりも兄本人の意思を汲み、


 恐らくぎりぎりの精神状態で苦悩した後、引き返せない道を受け入れたのだった。





 アメリカには他にも名医とされる先生がいるから、


 休職して、そういう医師の下で治療に専念してはどうか?


 兄の帰郷前に実家を訪れた取締役は、会社が提案した内容を私たちに話した。


 医師のリスト作成も、送迎や付き添いも会社で用意すると。


 しかし、帰国して静かに過ごしたいという兄の決意は変わらなかった。






 自宅療養は、それを支える人間にとっても過酷を極める。


 共に過ごすことを選んだ両親に対し、兄は涙を流して感謝していたと後になって聞いた。

 

 でも、それと同時に、


 両親が抱える疲弊を心から謝りたいと思っていたに違いない。




 勿論、私も夫婦での同居を申し出た。夫がいれば男手も増える。


 確かに闘病で苦しむ兄を見て、あまり面識のない夫がどう思うかは正直わからない。


 だけど、例え夫が無理だとしても私だけはついていたい。


 しかしその訴えは退けられた。


 兄は「ありがとう」と静かに微笑み、震える私の肩に手を乗せた。


 傍にいたいと直訴しながらも涙が止まらない私に、その手は確かに温かく、


 優しい兄そのものだった。





 そして――






 遠いアメリカから我が家に帰ってきて、たった四か月余り。


 兄は帰らぬ人となった。


 急に秋が深まったような、風の冷たい朝だった。


 最後はベッドから起き上がることもできなくなった兄。


 それなのに、その痩せ細った姿が見えないだけで、家中の至る所が隙間だらけになってしまった。


 居間の窓辺に置かれた籐椅子だけが、


 陽の光を浴びながら、主の帰りを無言で待ち続けていた。






 私は、兄が実家に戻ってからというもの


 会うたびに泣いていた自分を責めた。


 妹として、最後まで安心させてあげられなかったことを悔いた。


 会社からもらった休暇の間、外出を避けて家にこもり、そのことを思い続けた。


 そんな私に夫は付きっきりで、だけど何を言うでもなく


 ただそこにずっと一緒にいてくれた。






 葬儀では、訪れた弔問客が長い列をなした。


 勤めていた会社が大企業ということもあるが、仕事の関係者だけでなく


 兄の人生と関わった大勢の方々が焼香し、冥福を祈ってくれた。

 

 その光景は感慨深いものだった。


 面識のある人たちが涙ながらに私の手を握り、声を掛け、肩を抱いてくれた。


 それらは兄の人生がいかに濃密なものだったかを物語っていた。


 だけど、その濃密な命はあまりにも短すぎた。






 人にはそれぞれ、毎日を生きる固有のリズムのようなものがある。


 俺は偶然、子どもの頃にそれを見つけることができて、


 あとは今日までリズムに乗るようにして過ごしてきた。


 有紀も早く、自分のリズムを見つけるといい。





 かつて兄は、漫然と大学生活を送る私にそう言った。


 自分はリズムに乗るようにして過ごしてきたと。


 だけど兄が見つけたリズムは、こんなにも濃く、短いものだったのか。


 それともどこか途中で、リズムを見失ってしまったのか。


 今となっては、誰にも分からない。





   §





 翌年の三月をもって、私は会社を退職した。


 妊娠したこともあるが、夫を支えて生きることに改めて信念を持つことができたからだ。


 その心情を一言で表すのは難しいが、


 敢えて言うなら、私たちは風を見つけられたのだと思う。


 二人が夫婦でいる意味をその風は知っていて、


 風は私たちそれぞれの中をそよいでいたのだ。


 だが、それはかつて兄が言っていたリズムとは異なるのだろう。





 毎日を生きる固有のリズムを、私はいまだに見つけられていない。


 ただこの年、仕事を辞めて専業主婦となり、いくつかの新しい料理を覚え、九月に息子を出産した。


 それらは紛れもなく私の人生で起きた出来事であり、私が自ら選んだ道であり、


 かけがえのない私の幸せなのだ。





   §





 籐椅子に座る私に、所用から帰宅した両親が声をかけた。


 父がおどけたような顔で頷いてみせた。


「妹なら、膝の上に座られても文句はないだろう」


 私は父に笑みを返し、それから背もたれに深く体を預ける。

 

 午後の日差しが穏やかに角度を変えようとしている。

 

 母が台所に物を置く。その音が心地よく届き、私は静かに目を閉じる。

 



 きっと、同じだったのだろう。


 ここに座って耳を澄ませば、温かさに包まれていることを実感する。


 新聞を捲る音、お湯が沸騰したケトルの音、

 

 とりとめのない両親の会話。


 そのことを、ずっと知っていたのだろう。


 瞼の裏に陽の優しい光が残り、兄の声が聞こえてくる。






 なあ有紀、睡蓮の花が咲いたよ――





 籐椅子に抱かれたまま、私の時間はゆっくりと流れ続ける。



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東京はいつも涙味 vol.3「睡蓮」 Capricorn_2plus5 @Capricorn_2plus5

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