第19話 クオリア

エピローグ


 後日談を話す前に、哲学者であるニーチェの「奴隷道徳」について小話を挟みたい。


 まず大前提として、この世には善と悪がある。だが、現実の現代社会に完全な勧善懲悪は成立しないため、人々は自分と相手が善か悪かで論争しない。


 なぜなら、ほぼ全ての人間は善でいられないからだ。ほとんどの人は力も無く、金も無く、容姿も良くないため、言ってしまえば何の取柄も無い。


 そういう平凡な人間にとって、自己を肯定しうる大切なものは正しさだ。つまり、善と悪を超越する正義である。


 しかし、社会通念によって定義づけられる正しさは容易に変わりやすい。時代の流れが早い現代には美徳など存在しないし、当たり前は当たり前ではないのだが、その中でも絶対に変わらない普遍的な正義がある。


 それは強者から弱者を守るという行為だ。


 本来、この世は弱肉強食である。それは人間社会でも同じことであり、人に強いと弱いの優劣が浮き彫りになることは、生きる上で仕方のない宿命だろう。


 なのに何の取柄も無いその他大勢の方々は、図々しくも自分の弱さを棚に上げ、あろうことか才能ある強者が悪人と決めつける。そして少人数の強者が悪人にならないためには、弱者たちが形成する正しさに従わなければいけない。


 ……生き辛いなぁ。


 つまり何が言いたいのかというと、やはり今回の騒動は犬神が授業で生徒に押しつけた、正しさが招いた結果だった。全てが終わった後で犬神から話を聞いたところ、生徒たちはアレで自警団のつもりだったらしい。


 犬神は理想の生徒像として、夢や人生の楽しさを生徒に伝えた。そして生徒たちは理想の教師像として、犬神に言われた正しさを実践しようとしていた。


 しかし、生徒たちは必要以上に正しくあろうとして、いつの間にか自分たちが正義だと錯覚してしまったのだ。だからこそ不純異性交遊を禁じるバニッシュマンを悪とし、学生たちの恋愛を守ろうとして徒党を組んだ。


 そこで犬神が生徒たちに自分の正体を明かすことにより、嘘みたいに暴動は難なく沈静化された。結局、まだ発展途上である生徒たちに、正しさを判断させること自体が間違っていたのである。


 だから犬神も生徒も悪いと言えば悪いし、悪くないと言えば悪くない。ただ、その正しさは正義ではなく、ある一方からの善であると気づけ。


 以上のことから僕が得た教訓は、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を全国共通課題図書に指定し、国民の若者たちに読破することを法律で義務づけることだ。


 まぁ、強制的に読まされたのでは、好きになるものも好きになれないか……。




 ……などと馬鹿なことを考えるくらい、僕は祖父の葬式で暇を持て余していた。

 お盆過ぎに倒れた祖父は闘病生活を続けていたが、十二月の上旬に肺癌で亡くなった。僕が犬神を救済し、生徒たちの騒動を治めた日だ。


 そして葬式はお経もお焼香も一段落し、今は祖父の死体が焼かれているのを待っていた。死に化粧が施されていた祖父を見るのは辛かったため、正直ホッとしている。


 だが、やはり気分は優れない。何を食べても吐きそうになり、食欲が湧かないのだ。水面下で遺産相続について駆け引きをしている大人の空気も鬱陶しくなり、僕は遺族の部屋から出て待合室に移動した。


「久しぶり」


 ソファで休んでいるところに話しかけてきたのは、同い年の従姉弟だった。ちなみに、僕の方が誕生日は早い。


 幼少期に置いてけぼりにされて以降、親戚でも今まで接する機会は皆無に等しかったのだが、彼は勝手に僕の隣に座ってきた。


「もう就活は終わった?」

「まだ」

「マジかよ。葬式に出てる場合か?」


 僕から言わせれば、就活している場合ではない。その言葉が喉元まで出かかったが、相手にするのも面倒なので適当に相槌を打つ。


「なんとかなるさ」

「俺なんか一流企業への就職が決まったぜ?」

「おめでとう」

「でも卒論だけが難しいんだよな……。ったく、なんでこんなクッソ忙しい時期に死んでんだよ。そう思わね?」


 もう僕は卒論を一通り書き終えた。後は太宰先生からの添削を待つ身のため、自分ができないのを祖父のせいにしている従姉弟を睨む。


「不謹慎じゃない?」

「別に。せっかく見舞いに行ってやったのによ、俺の名前すら覚えてないんだぜ? 就職祝いも寄越さねーし、マジで損したわ」


 え? 僕は名前を呼んでもらえたけどなぁ……。

 ああ、久しぶりに会ったというのに、現実はこんなものか。今まで傷ついていたのが馬鹿らしくなってくる。


「姉ちゃんから離れろよ」


 僕の窮地を救ってくれたのは実の弟だった。そして見栄っ張りな従姉弟は弟の視線を受け止めてはいたが、何の脈絡も無く話題を弟の方へ向ける。


「志望校は決まった?」

「関係ないだろ」

「その前に不登校だったか。ま、頑張れ」


 捨て台詞を言い放つと、従姉弟は大人しく遺族の部屋へと戻った。


「……口が減らない奴だ。あんなのと四分の一は同じ血が流れてるのかと思うと、背筋がゾッとするよ」

「僕を姉ちゃんと呼んでくれたのは久しぶりだな」

「茶化さないでくれ」


 照れる弟を褒めたくなったので、僕は彼を招いて自分の隣に座らせる。


「嬉しくてね。でも、どういう風の吹き回し?」

「実は昨日の夜、線香番した時に叔父さんから遺産について訊いてさ……」

「馬鹿か⁉」


 お盆から遺産相続についての心理戦が行われ、ようやく決着がつきそうな頃合いに、僕の弟は爆心地へと突っ込んだのである。勇気を通り越して無謀だ。馬鹿って怖い。


「メッチャ怒られたけど、爺ちゃんも遺産のことで兄弟と縁が切れるくらい揉めたらしくてさ、ちゃんとスムーズに遺産が相続できるよう、入念な根回しをしていたらしいんだよ」

「へぇ、意外な一面だな。で、それがどうした?」

「だから、きっと爺ちゃんは兄弟に仲良くして欲しいと思ったんだ」


 馬鹿だとは思っていたが、まさかそこまで深く純真に考えていたとは……。親と叔父さんたちが遺産相続で相談している中、僕たち兄弟は死ぬまで仲良くすることを約束する。これからの信条としよう。


「ど、どうしたんだよ姉ちゃん? 急に大丈夫か?」


 なぜか弟が僕の様子を見て狼狽えている。何か異変でもあったのか不可解に思っていると、不意に涙が頬を流れる感触が伝わる。


 え? 自分でも驚きながら反射的に涙を拭う。なぜ僕は泣いているんだ? 涙の正体が解らない。鳳先生が亡くなった時は泣けなかったのに、今更になって目頭が熱くなる。僕は薄情者だ。あの時は自分の中に何も無く、それを認めてしまうのが怖かった。


 しかし、ゴリラから人間となった今ならば解る。僕には何も無いが有り、それを自覚することができた。どこまで行っても虚無だ。誰かから何かを与えてもらうばかりで、僕自身は相手に何もすることができない。


 でも、だからこそ僕は挑戦者でいられる。欲望を持てる。プラスへ前進するだけではなく、マイナスの先へ進むことができる。そして何をやってもダメダメな不甲斐無い自分に、涙が溢れるのを止めることができない。


「ほら、ハンカチ使って……」


 このことに気づかせてくれた弟には感謝する。僕はハンカチを受け取り、それを目元に当てる。今まで謎だった感情の収め所が見つかって、少し落ち着くことができた。


 人は死んだら、その先には何も無いかもしれない。でも、その後に何も残らないなんてことはない。僕は何もできなかったかもしれないけど、とりあえず今は何かやろうとしているよ。もう、何もしないはやりたくない。


「憂い奴め。もう一度だけ姉ちゃんと呼んでくれ」

「一人称を普通にしてくれたらいいよ」

「もう体に染みついていて取れないんだ」


 確か僕が自分のことを僕と呼び始めたのは、ちょうど物心がついた頃だったように思う。それこそ従姉弟との衝撃が強い。


「大体、あのクソ野郎が姉ちゃんの人格形成に関わっているだけでムカつく」

「お前も似たようなものだけどなぁ」


 弱々しくて人見知りだった弟は女の子みたいで、いつも僕の影に隠れるような幼少期を過ごしていた。


「俺は違うから! この故郷が姉ちゃんの帰れる場所になるよう、ちゃんと俺が後を継いで家を守っとくから!」


 そういえば、まだ家の誰にも地元で非常勤講師をやるとは言ってなかった。

弟の気持ちも嬉しかったが、僕は姉として自分の理由を他人に求めるなと、最後に優しく諭したのだった。




 卒論で生徒たちのディスり合いをテーマにしていて、実に興味深いことが判明した。


 生徒たちにとってディスり合いとは、自己の稀薄性を満たすコミュニケーション・ツールだったのである。それと同時に優しい関係が招く偽りの感覚を防ぎ、ディスり合うことで承認のリアリティを回復しようとしていた。


 つまり、彼らはディスり合うことで相手と対等な関係になることを望み、他者との信頼関係を築こうとしていたのだ。


 しかし、結局はディスり合いも優しい関係の裏返しであり、思いやりの補完であることが鮫島のインタビューから発覚した。このことから、どれだけ自分らしさと相手の本性が表出したとしても、お互いの葛藤を処理できる場は存在しないのである。


 それならば、今までの関係を壊すしかない。もう元に戻れないことを恐れず、みんなで前へ進むことを覚悟するべきだ。


 僕も演劇やバンドの仲間たちが自分から離れて行った時、我儘でも何でも良いから本音をぶつけて引き止めるべきだったと思う。相手に対して遠慮していたのは、意地を張っていたのは僕の方だった。


 まずは手始めに、犬神のことを抱きしめてでも引き止めようか。


 そして認めたくはないが、この研究対象を発見できたのは僕がゴリラ化していたおかげだ。僕がゴリラ化していたからこそ、生徒たちが動物化していたからこそ、犬神が幽霊化していたからこそ、誰も僕が考えることの放棄を許さなかった。


 なぜ僕はゴリラだったのか、なぜ生徒たちは動物化していたのか、なぜ犬神は幽霊化していたのか、このなぜを追求する行為は僕の性に合っている。


 おそらく、なぜの好奇心と探究心を失うことがあれば、僕は僕でなくなってしまうのだろう。だが、今はそれがありがたい。


 なぜなら、リンゴが赤く見えるように、地球が青く見えるように、僕のなぜはクオリアのように疑問として否応なしに降り注いでくる。このなぜが無数に発生する限り、追い求めれば僕は僕でいられるし、生きていることに退屈しない。


 なぜを発見すること。これもある種の才能だ。


 きっと君にも、哲学的ゴリラのクオリアが毅然と輝いていることを願う。


                            了

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哲学的ゴリラのクオリアよ 笹熊美月 @getback81

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