逢魔時のグラウンド

水城しほ

逢魔時のグラウンド

 私が通っていた高校に、少し変わった怪談話があった。しかし「怪談」というにはあまりにも緊張感がないそれは、今なら「都市伝説」と呼ばれるものなのだろう。


 ――夕焼けの中、誰もいないグラウンドの中央に、弥生人の幽霊が現れる。


 最初にその話を先輩から聞いた時は、その場にいた全員が爆笑した。相手が先輩だろうと容赦ない。

 何なんですか弥生人って。縄文人と何が違うんです。髪形か。顔立ちか。まさか土器を持ってた、とか言うんじゃないでしょうね。

 口々に先輩へ突っ込むも、当然「私も先輩に聞いただけだから知らないよ」という返事を引き出しただけだった。

 しかしその怪談は、二十年以上前に同じ高校を卒業した母も知っていた。

 世代を超えて語り継がれる伝説に興奮した母が語ったところによると、その弥生人についての情報は二つあるらしい。いつも何かを探すように周囲を見ている事と、目が合っても特に何もしてこない事。

 無害ゆえに、恐れられない。緊張感の欠片もない怪談話の出来上がりだ。


「そんなに長く語られてるなら、出るのかもよ?」

 夕焼け空を見ながら、ミクモが言った。

 本日、我が漫研の部室には、四人の一年生しかいなかった。三年生は引退済み、二年生は修学旅行で不在だ。いるのは才媛のミクモ、天然キャラのナベマキ、お調子者のクッキー、それと凡人の私ことシーノ。全員が女子だ。

「でもさ、この時間に誰もいないグラウンドって、試験休みくらいしかなくない? 下手したら野球部が大会前とか言って練習してるし」

 クッキーが、珍しくまともな事を言った。

「居場所がなくなっちゃったのかな」

 ナベマキの一言が、哀愁を誘う。もしかして目撃談が途絶えたのは、休みなき部活動のせいで、居場所がなくなってしまったのではないか。

「行き場がなくなった幽霊って、どこ行くの」

「成仏したんじゃない?」

「弥生時代からさまよっといて、今更?」

「うーん、話せたらいいのにねー。聞いてみたいねー」

 部室の窓から外を見ると、空はまだ夕焼けだった。校内全体が喧騒に包まれているけれど、時刻だけは合っている。

「グラウンド行ってみよっか、どーせ暇だし」

 私たちは運動部員が躍動するグラウンドへ、こっそりと出陣する事にした。


 砂ぼこり舞うグラウンドで運動部の皆様を冷やかし続けるのも憚られ、私たちは裏門へと続く第二グラウンドに退避してきた。グラウンドとは名ばかりの、雑草だらけの裏庭で、こちらには滅多に人が来ない。

「こっちにいたらウケるよねー」

 先頭を歩いていたクッキーが、急に固まった。その後ろを歩いていた私たちは、また何かふざけてるんだろうと思っていた。

「に……鶏っぽいの、いる」

 鶏、と脳内で一度だけ復唱する。そしてグラウンドを覗くと、その中央に仁王立ちの、白い鳥類がいた。


 首が無い。


 血は出てないし、切断面も見えないが、確かに首のない鶏だ。その鶏は一、二歩じわじわと歩いたかと思うと、こちらめがけて一直線に駆け出した。

 首が無いからか、無言。コケーとか言わない。ただ弾丸のように真っ直ぐに、羽毛の塊が突っ込んでくる。

「ぎゃあああ!」

 我を忘れて駆け出すクッキー、それを慌てて追いかける私たち。

「落ち着けクッキー! やつは得物がない!」

「呪われたらどうすんのよお!」

 第二グラウンドを飛び出し、部活棟まで振り返らずに走り、必死で部室に飛び込んで扉を閉めた。

「なんなの、なんなのあいつ、ありえない」

「首の無い鶏なんて初めて聞いたんだけど!」

 焦って騒ぎまくるクッキーとナベマキに、ミクモが黙れ、とジェスチャーをした。

 ……外の通路で、バサバサと音がする。完全に扉の外にいる。そのうち扉に体当たりを始めたのか、バサッバサッという音と共に衝撃が伝わってきた。私たちは机の上の原稿用紙とミリペンを手に取って、四人で筆談を始めた。

『どうすんのアレ』

『隣の部室には聞こえてないのかな』

『どっちでもロクな展開じゃないな』

『ちょっとカーチャンにメールしてみる』

 私はスマホを手に取って、母にメールを送った。ガラケー相手は手間がかかるな。内容は簡潔に「首のない鶏ってどうすればいいか知ってる?」の一文のみ。送信。


 バサッ。

 バサッ。

 バサッ。


 羽毛アタックは延々と続いている。弥生人より鶏の方が攻撃的とは……思わず「いい加減にしろこの羽毛!」と叫びそうになったところで、私のスマホに通知が入った。母だ。返事は一言「後は捌くだけ?」と書かれていた。捌く……?


 ――


 鶏など誰も絞めた事なんかない、とかそういう常識的な思考はどこかへ吹き飛び、私たち四人は計画を練った。

『ドアは内開きだから、体当たりと同時に開けよう。ナベマキ開けて』

『クッキーは私と一緒に袋持って。転がってきたところを捕獲』

『ミクモは傘持って待機、やばそーだったら突きまくれ』

『クチバシはないけど、爪には気をつけるのよ』


 せーの。

 バサバサッ。


「ちょっとおお、これどうすんのおお」

 体操着用の帆布カバンで鶏を捕獲した私たちは、その処遇に困っていた。とにかく爪が凶器だという事で、足を掴んで袋ごと縛り上げたのだが、鶏は袋の中で勢い良く翼を羽ばたかせ続けている。幽霊なりに生命の危機を感じているのだろうか。

「幽霊のくせに、実体あるんだね」

「今更なに言ってんの、シーノ」

 ミクモに突っ込まれた。ごもっともだ。暴れる鶏はクッキーが足を掴んで振り回している。

「目を回してしまえー!」

「……目、無いんじゃない?」

「じゃあコレどうすんのよお!」

 ナベマキの指摘にクッキーが情けない声を出したところで、急に部室の扉が開けられた。てっきりバカ騒ぎへの苦情かと思ったのだが、遠慮がちに開いた扉から、のっぺり顔のオッサンが顔を出した。生成りの作務衣みたいな服を着ている。

「あの、捕まえて頂いたようで」

「この妙な生き物、オッサンのかー!」

 クッキーが袋ごと放り投げると、オッサンはあっさりとそれをキャッチした。

「献上された鳥を逃がしてしまって……助かりました、これでやっと帰れます」

「えっ」

 夕焼けが夕闇へと変わるにつれ、オッサンと鶏はゆっくりと、私たちの目の前で消えていった。


「ありがとう、さようなら」


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逢魔時のグラウンド 水城しほ @mizukishiho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ