05:魔王様、これが兵器ですか?
書庫の捜索から、3日後。
魔族たちの動きは、あわただしかった。といっても、それが人間に伝わることはなかった。彼らは風や影のように、静かに行動していた。
書物の解読、考察は学者、魔術師だけでなく長年生きた精霊の力も借りて行われた。わかった事があればエメルにも連絡が入り、いろいろと議論しあった。
一方、密偵たちは勇者を静かに探り、情報を集める。そして、彼らが一週間後には出立することをつかみ取った。
――力をつける前に、勇者を討つ。
エメルの言葉に、魔族たちは沸き立った。
*:*:*
「おはよう。きょうもお願いね」
そういいながらエメルが巣箱を開けると、中から羽音をひびかせてミツバチたちが飛び立っていく。周りにはほんのりと黄色いユリのような花がいっぱい咲いており、とてもよい香りを漂わせている。朝日が昇り、澄んだ青空に広がっていく中、ミツバチたちは悠々と飛んでいく。
「今日も蜂蜜をいっぱいとっておいしいお菓子を作って、子供たちに分けてあげよう!」
と、思いっきりのびをし朝日に笑うエメルだったが……、風を切る音がした。振り返ると、執事服姿のグレエプがそこにいた。
「ねぇ、いつのまに来たのさ」
「グレエプめは一度行った場所で尚且つ貴女さまさえいれば瞬間移動できます故に」
ジト目で問うエメルに、グレエプは慇懃に一礼し、しれっと答えた。
そんな彼は深くため息をつき、エメルを見やる。
「魔王様、いかがなされますか? 勇者側がこちらへ来るのも時間の問題ですぞ」
「力量を上げる暇など与えん。勇者が旅立ち次第速攻で拉致し、作戦を決行する。ロマンもへったくれも関係ない。争わずして討伐するべく腕を磨いている」
そういうと、エメルはグレエプを小屋へ案内した。そこに用意されていたのは、おいしそうなスポンジケーキのような物だった。黄色くて、上の方がきつね色。そして長方形だった。パウンドケーキのようでもあるが、微妙に違うそれにグレエプは目を見開いた。
「そ、それはカステラではありませんか!」
「そう! 現地ではカステイラとも呼ばれる。フツ国では来客の時のもてなしや贈答用として作られる甘いお菓子だ! 長旅で疲れただろう勇者のために蜂蜜たっぷりつかったものだ!」
故になかなか上手く焼けなかったと涙ながらに言うエメル。彼女は、努力と涙の結晶がこれだ、と言わんばかりの晴れ晴れとした笑顔で皿を進めた。
「か、カステラで勇者が陥落するとは思えませぬがね。おそらく200年も音沙汰がなかった分警戒されている可能性が……」
「まあまあ、固いこと言わないで食べてみて」
グレエプが苦笑するも、エメルは切ったカステラを彼へと差し出す。恐る恐る口へと運ぶと、しっとりとした舌ざわりと自己主張が激しい蜂蜜の風味にノックアウトされていた。思わず傍らの紅茶をがぶ飲みするグレエプ。普段ならば洗練された作法を見せる彼ではあるが、今回はそれをかなぐり捨てるほどの味覚的惨事が口の中で起こったらしい。
「魔王様、これはさすがに武器になりまする」
「へ? そんなにおいしくない? ちょっと一口」
エメルもぱくり、とひとかけらを口にし……頭を抱えた。そして、思いっきりテーブルをぶっ叩いた。
「蜂蜜の量を間違えたか!! これでは、勇者が吐いてしまう! 勇者が砂糖を吐いてしまうぞ!!」
「砂糖ではなく、このカステラそのものを、でしょうね」
もう一度レシピを見直さなくては、と意気込むエメル。グレエプの眼差しは妙に生暖かい。
「自分の手で勇者を討つ、と言ったその顔は先代様同様頼もしいものでした。しかし、魔王様……まさかカステラで勇者を討つおつもりではありませんか?」
「だとしたら?」
エメルのあっけらかんとした言葉に、グレエプは閉口した。そして、はぁ、と深いため息をついて空を仰ぐ。
「グレエプ? なんでそんな顔してるのさ。私、争うの嫌いだしさ、おいしいモノ食べていっそ勇者を手懐けようとおもったんだけど」
「それで手懐けられる勇者なんているんでしょうかね……」
グレエプがジト目でエメルを見、やれやれとため息をつく。だが、そんな彼の背中をつんつんとつつく者が居た。振り返ると、三つ編みおさげがかわいいキキが真後ろにいた。
「……いつからいた」
「グレエプ様が甘すぎるカステラで悶絶するところから」
きっぱりというキキに、グレエプは少し恥ずかしそうに視線をそらした。だが、キキはそんなグレエプにお構いなしに資料をエメルへと手渡す。そこに書かれていたのは、勇者一行の行動についてだった。
「今のところ、小手調べのつもりでしょうか? 盗賊団の盗伐と、巨大化したトカゲの盗伐にいそしんでいました。順調に力をつけています」
「それはまずいね。あまりよろしくない」
報告を聞きながら失敗作のカステラを食べるエメルは、ため息交じりに「続けて」と促した。
「……ですが、勇者一行よりも気がかりな事があります。サッシュ峠を領地に含むウルウオスが、人間側から来た何者かと通じております。これだけならあまり不審に思わなかったのですが」
「なんか引っかかるの?」
エメルが不思議そうに首をかしげると、キキが表情をひどく険しくする。それを、グレエプは見逃さず観察する。キキは、しばし考えたが、ややあって重い口を開いた。
「白天教の外套を羽織った男が、出入りしている模様です」
「魔王と魔族を全力で否定するアレが?」
エメルが目を見開く。だが、グレエプはこほん、と咳払いをした。
「そちらに関しては、グレエプめにお任せを。あのあたりは人間の領地と接しております故に、昔から白天教の神官が立ち退きを請求する事が多いのですよ」
「そう……だったか?」
己の記憶を探るように首をかしげるエメルの横で、グレエプが苦笑する。だが、その目は笑っていない。エメルは疲れた表情を浮かべ、椅子にどっかりと座りこみながら告げる。
「その辺は任せるわ、これ以上面倒なことを増やすのはごめんだから」
「承知いたしました」
「ところで、目下の勇者討伐はどうしたものかしらね……」
と、紅茶を飲みながらこめかみを揉むエメルに、キキがぽつり、と呟く。
「いっそ、勇者様に色仕掛けとかどうです? あの男、女好きですし、おっぱい星人ですから」
「な、なにを言うのだ! エメル様になんてことを!」
その一言にグレエプが怒るものの、エメルは真面目な顔で「ふむ」と考察し始める。
「まぁ、多種族の貴族が血をもって同盟を組んだりなんなりしているのもある。勇者と婚姻すれば事実上勇者は我が手に落ち、討たれたも同然だろうなぁ。僕が勇者の子を産んだら、白天教は大騒ぎさ!」
「ですが、あまりにも……」
エメルがにやり、と笑って言えば、グレエプが難色を示す。彼はよよよ、と目に涙を浮かべ、しなを作って芝生に倒れる。
「魔王様、お体を大事にしてくださいまし。貴女さまには心から愛する者と結ばれてほしいのですよ」
「僕の身体で魔族の安寧が保たれるなら、安い物さ」
エメルは買い物でもするような口ぶりでそう言うと、カステラをもう一口かじり、紅茶で流し込む。そうしながら、ちらり、とキキを見る。
「ところで、例の勇者ってどんな人? 姿絵とかある?」
「一応、こちらに」
キキは懐から一枚の絵を取り出す。そこに描かれたのは……一本に編まれた青黒い髪を揺らした、なかなかの美丈夫。その上、くすんだ空色の瞳が悪戯小僧を彷彿とさせる。
「ふぅん……。なかなかかわいいじゃない」
エメルはそういってくすり、と笑うも、グレエプは勇者の絵姿を見た瞬間、表情を険しくした。そして、静かに目を細める。
(この瞳の色は……間違いなくあの方の色だ)
彼はこほん、と咳ばらいをするとキキに後を任せる、と耳元でささやく。そして、エメルにさわやかな笑みを見せた。
「魔王様、少し用事を思い出しましたので失礼いたします。お早いお帰りを」
それだけ言い、彼は指を鳴らして姿を消した。エメルは「あいかわらずだなぁ」とため息を吐いたものの……内心で嫌な予感を覚えていた。
隠居魔王の成り行き勇者討伐 倒した勇者達が仲間になりたそうにこちらを見ている! 菊華 伴 @kikka-ban109
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