8 彗星ランデヴー
「ごめん、待った?」
「ええ、八分三十七秒程度の遅刻です」
「ううーごめん、コーヒー奢るからさ!」
週末の晴れ渡る空の下、カフェの入り口に近い屋外テラス席に座る田中ハナコに手を振って駆け寄る。今日の彼女の服装は学校でのセーラー服ではなく、白いブラウスとチェック柄のスカート。初めて二人で出かけた時に私が見繕って買ったコーデだった。
そして今日は二回目の二人でのお出かけ。私はデートって呼んでるけどね!
「謝罪は受け取りますが、謝礼の方は結構です。体感時間としてはそれほど待った気はしませんから」
そう言って田中ハナコはブックカバーのかかった文庫本を閉じて、トートバッグの中に仕舞った。おさげ髪に丸眼鏡といかにも文学少女感溢れる外見なのに、田中ハナコが本を読んでいるのを見るのは初めてだ。
あれから。
彗星の最接近が近づいてマスコミや世界中の天文台は騒いでいる。その彗星、接近だけじゃなくて地球に衝突する予定だったんですよ、って言っても誰も信じてくれないんだろうな。ましてや私がその衝突を止めたなんて言ったら頭のおかしい子扱いされるに決まっている。
ちなみに、田中ハナコを含む端末個体は今年の初めから地球で人々に紛れて生活していたらしい。そして一年かけても自分達に愛を向けてくる者がいなかった場合、この星はもう手遅れだと見なされて新しい人類も生み出されずに、地球は新しい星を作る為の養分にされていたらしい。あの時私が声を出したのは色んな意味でタイミングが良かったのである。
そして猪鹿蝶トリオには当然の如く目の敵にされた。おかげでクラスの中心的集団にはいまだに無視や嫌がらせを受けている。
けれど、そんな私とまだ一緒に話してくれるクラスメイトもいる。元々猪鹿蝶トリオに反感を抱いている子達や、そして何より春夏冬トリオ。
私が猪鹿蝶トリオともめたと聞いても「大変だったね」の一言で流されて、彼女達はいつものように駄弁りながらお昼ご飯を広げた。
新しい私の友達、田中ハナコを迎えた五人で。
私はアイスティーを注文して彼女と向かい合わせの席に座る。
「そういえばあなたが本読んでいるのを見るの初めて。何の本読んでたの? やっぱり難しい感じの?」
「いえ、恋愛小説と呼ばれるジャンルのものを読んでいました。確かに難しいと言えば難しいですね、登場人物の行動原理や心理描写を把握しきるのには中々に複雑な式を必要とします」
そう言って彼女がブックカバーを取って見せてくれたのは、最近女子高校生に人気の恋愛小説の表紙だった。
恋愛小説。年頃の女子の口から出る単語としてはなんら意外性の無いものだが、それが田中ハナコから出された言葉だとすれば少し驚きの意味も伴っていた。
「そういうのも読むんだ。ちょっと意外」
「読むのはこれが一冊目です。愛の形の数が明確でない以上、実際に体験して知り得る情報以外にもこうした創作物から知識を得る方が効率的だと思いまして」
少し、いやかなり間違った恋愛小説の楽しみ方をしているようだけど、彼女なりに満足しているようだから私は何も言わないでおいた。
「それに、実際に読んでみる事で今までは知り得なかった中々に有用な情報を得る事が出来ました。互いに互いへ恋愛感情を持つ者達の距離感や、そもそもの恋愛感情の発生の要因等々。これらは読んでみなければ知る事の出来なかった情報です」
へぇ、なんだかちょっと驚き。そんな考え方もするようになったんだ。
「それこそあなたの影響でしょう。・・・・・・あなたはループ・ゴールドバーグマシンと呼ばれる表現手法を知っていますか?」
私はにこやかな笑顔を浮かべて首を横に振る。田中ハナコはその返しを予想していたように解説を始めた。
「これはループ・ゴールドバーグというアメリカ合衆国の漫画家が発案した、単純な動作をいくつもの複雑な機械を用いて連鎖的に起動させる事で実行するというものです。そうですね、より分かりやすくするならピタゴラスイッチと言えば良いでしょうか」
分かりやすく言えるなら最初からそう言ってくれれば良いのにといつも思う。そんな私の無言の訴えを無視して田中ハナコは解説を続けた。
「ゴールドバーグ氏はこの表現方法を通して二十世紀の機械化を暗喩しました。が、私はこの表現方法にそれ以外の意味を持つように考えました」
そう言って私を見る田中ハナコの瞳は、 何色でもないけれど、台風の後の空のように透明で、生きる力強さを秘めているように見えた。
「それはどれだけ綿密に計測して計算して計画しても、引き金である最初のドミノを倒さなければその機械は成功も失敗もしない、何の結果も残さないという事です。最初のドミノが倒れなければ、終点のビー玉は転がらない。見てみなければ、聞いてみなければ、訪れてみなければ、語ってみなければ、何も始まらないという事です」
田中ハナコの頬が、ほんの僅かだけど緩んだ。それも今までみたいに、気がしたのではなく、確実に。
「こういった思想を抱けるようになったのもあなたのお蔭です。ありがとう・・・・・・、ヒカリ」
運ばれてきたアイスティーのグラスに手を伸ばしていた私は、思わず田中ハナコの顔をまじまじと凝視する。
「その、今読んでいた恋愛小説で、その、愛しい人の事は下の名前で呼ぶと距離感が縮まると書いていたので、その・・・・・・」
彼女の頬はいつの間にか風邪をひいたようにほのかに赤くなっていた。珍しく歯切れの悪い彼女につられて、私も風邪に感染したように頬の温度が急上昇していくのを感じる。私は急な熱さを誤魔化すようにストローに口をつけた。うう、頬の熱は下がらない・・・・・・。
「そ、そうだ服似合ってるよ、流石私セレクト。服で思い出したけど、どうして学校にセーラー服で来てたの? あれも似合っていたけど」
「ああそれは」
露骨に話を変えた私に田中ハナコも便乗してくる。
「地球に端末個体として派遣される時、服装や外見はその土地に見合ったものをリサーチしてカタログ化したものの中からピックアップします。その時、幾つかある服装データの中であの衣装に、その、ヒカリに対して抱いている感情とはまた違った好ましさを感じて、あれにしたのです」
その感情をなんと呼べばいいのか迷っている田中ハナコに、私は笑いかける。
「それはね、可愛いって感情だと思うよ」
「可愛い・・・・・・、可愛い、という感情」
何度か反芻するように呟いて、突然パァッと花が咲いたように笑顔を浮かべた。
「可愛い、という言葉の中にも愛があるのですね。ではこの感情も愛の形の一つという事でしょうか」
初めてカブトムシを捕まえた子供のように屈託のない笑顔を浮かべて自分の発見を語る田中ハナコを見て、私は可愛いと感じた。
彼女の透明な瞳を見て、私は確信した。
たぶん、ううん、きっと私達はこれからも間違いを犯し続ける。同じ人と、はたまた宇宙人と、この星と、すれ違い、ぶつかり合い、ずぶずぶと泥沼に浸かっていくだろう。
けれどそれだけじゃないはずだ。この星から、この世界からこの笑顔を浮かべられる存在が最後の一人まで消えてしまわない限り、折り合いを見つけて私達は上手くやっていくだろう。
愛を知ると世界が変わる、なんて言うけれどそれはきっと間違っていない。私達は愛を知って世界観を変えて、そしてきっと星が生まれる前に神様がそうしたように、その新しい世界にまた何かを見つけて、形作っていく。
それはきっと、愛に満ち溢れたもののはずだ。
「でも本当似合ってるし可愛いよ、あのセーラー服。今度私も着てみたいな」
「構いませんよ。ですが私のそのままのサイズだと、ヒカリの場合胸部が少し余分になってしまいますが」
「胸の話はするんじゃないわよ!」
そして私達は笑顔を浮かべる。
こんな風に、ね。
あいの空 茂木英世 @hy11032011
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