僕らはシュレディンガーの箱から出られない

カーマイン

僕らはシュレディンガーの箱から出られない

 世界が壊れるまで、残り5分を切っている頃だろうか。


 霞む意識の中、薄暗い穴倉の壁で頼りなく光る照明を眺めながら、僕は時が刻々と迫るのを待っていた。


 最早、僕にできることはそれだけ。湿った地面に腰を下ろし、冷たく硬い壁に背中を預けて唯待つだけだ。

 だから、泣きじゃくって僕の肩にしなだれかかる妹を、慰めてやることすらできやしない。


 妹のしゃくり声が、ひとつ、またひとつと静寂に包まれた穴倉で反響する度、僕は僕らが生きた世界に問いかける。


 僕らがやろうとしていることって、そんなに悪いことなのかい?


 大人は皆揃って言う。

 外には赤黒い大地と死の瘴気があるだけだ。この地下が俺たちの全てなのだ。だから決して門を開けてはならない、と。


 うん。

 わかる。

 わかるよ。

 俺だって怖いよ。

 わからないのは怖い。


 でもね、どの道この世界は壊れちゃうよ。


 天井から湧き出る水じゃ、地から這い出る蟲じゃ、誤魔化しの加工品じゃ、蟻の巣の中じゃ。

 生きているか死んでいるかわからない――世界の無意識の波に流されて、溺死体みたく浮かぶだけじゃ、ヒトはヒトでいられなくなってしまう。


 なら、門を開けるべきなんだ。

 外界の災厄は消え、代わりに希望と未来に溢れていることに賭けようじゃないか。

 そのためなら、例え異端者と詰られようとも、僕は毅然と正義の立ち振る舞いをするし、力で捻じ伏せられようとも、命が続く限り窮鼠の如く抗う。


 ヒトのために。

 何より、空を見たいと願った妹のために。



 僕は目を閉じる。

 そろそろ時間だ。


 穴倉が揺れ動いた。天井から砂の雨が降り注ぎ、次いで妹が僕に飛びついてくる。

 おかしいな。音が聞こえないや。

 ああ、そうか、僕の耳は一足先に世界から離れてしまったんだね。


 音の代わりにやってきた風が僕に纏わりついた粒子を攫っていく中、僕の嗅覚はあるニオイを嗅ぎ分ける。

 それは経験したことのないニオイだった。

 苔のような……でも嫌悪感を抱かない青臭さだ。


 薄っすらと目を開けてみると、門はその威風堂々とした佇まいを失い、唯の大きく分厚いだけのひしゃげた鉄板と化していた。

 その上から今まで見たことのない眩い光が降り注いでいた。


 妹は差し込む輝きを一瞥した後、僕を見る。

 僕は瞬きで頷いてみせる。

 すると、妹は今にも折れてしまいそうな足で立ち上がり、光のもとへと歩いていった。


 妹はまだ見ぬ先を仰ぐ。

 聴こえなくてもわかる。その希望に満ちた表情を見れば、感嘆の声が聞こえてくる。

 僕は正しかった……。



 「お兄ちゃん! すごく青いよ! ねぇ、お兄ちゃん! …………お兄ちゃん?……そんな……イヤだよ……一人ぼっちにしないで……一人じゃ出られないよ……」

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