*君の立場

仕事終わりに例の、近所の公園を通っていると、最近ぱったり姿を見せなくなった鮒羽のことが、改めて気になりだす。

多分もう二週間くらい音沙汰ないのだが、それが家に帰っているからなのか、それともどうなのかは定かではなく、さすがに心配になる。だからと言って、勝手に登録されていた番号にいきなりメールや電話をする度胸もなく、普段は多忙であることを言い訳にして、行動を先延ばしにしていた。

「あら、お帰りなさい。黒部君、今日は早いのねえ。」

「こんばんは。」

大家のおばさんは、何か言おうとして珍しく口ごもっている。

多分、鮒羽のことだろうと思う。なんの間の、外面はいい奴でもあり、大家さんは真っ先に懐柔されていたから。最近来ていないことにも、勿論気づいているのだろう。

「・・・ごめんなさいね、黒部君。」

「え?」

「さすがにちょっと、放って置けなかったから。はい、これ。鍵ね。」

大家さんからいきなり鍵を渡されるとは、どういう風の吹き回しだろう。出て行けと暗に言われているのか?それとも、また何かあって、部屋の鍵を変えたのだろうか。

取り敢えずは新しい鍵なのか最後通告なのか意味のわからないそれを受け取り、結局普段通りの鍵で中に入ると、私が犯罪者になったような状況が待ち受けていた。



「えっと、どうしてこうなってる?」

掛けられていた手錠を、受け取った鍵で外してやりながら、かなりひどい怪我をしている鮒羽を見る。会った頃に戻ったかのような酷い隈が痛々しい。

「あのおばさんに捕まった。」

「まあ、あの人も元警察官だし。」

一体何をやらかしたら、拘束の上ホラー部屋に放り込まれるような事態に陥るのだろうか。いや、そんなことより、はやく傷の手当てをしてやらないといけないか。

「・・・帰れって、言わないのか?」

「あのなあ、こんな怪我しているやつを放り出すと思っているのか。・・・普通にフラフラしてたって、来るように言うのに。」

「あっそ。」

救急箱を探し出して、あまり慣れない打撲や擦り傷の処理をしながら、手持ち無沙汰に私の髪をいじり始めた鮒羽に、一体どこから質問を始めればいいのかを考え始める。

「えっと・・・まず、なんで最近来なかったんだ。」

「黙秘・・・っていうか、別に来る義務なんかないだろ。」

「いきなり来なくなると心配する。連絡くらいしてもいいだろう。

・・・それから、この怪我はどうした。大家さんに捕まったのと、関係があるのか。」

鮒羽が黙り込んでしまった。踏み込み過ぎたのか、それとも、単純に私に話すようなことではないと思ったのか。ちょっと心配になって彼の方を見上げると、ばつ悪げに、ふいと顔を背けた。

「・・・ちょっと喧嘩したんだよ、親と。馬鹿みたいだよな。」

「親と?」

じゃあ、家には帰っていたのだろうか。

「いや、喧嘩でもないか。一応、誰もいなそうな時に面談の紙置こうとして見つかって。それで、この半年くらいのことで、揉めてさ。そのあとちょっと歩いてたら喧嘩吹っかけられて、途中でおばさんに連行された。」

「・・・え?」

親が・・・全く関係ない気がするのは気のせいだろうか。要は、ぶらぶらしてたら喧嘩売られて、律儀にも相手していたらおばさんにつかまったと。

「・・・お前、本当にお人好しだよな。」

「そりゃどうも。

・・・おい、紐を解くな。」

一歩遅かったらしく、束ねていた髪が鬱陶しく流れてくる。

「なんで髪、伸ばしてんの?」

「家の決まりだ。そんなことより、ちょっと染みるぞ。」

一体どうやったら、ここまで傷だらけになるんだ。手当てする側からしたら、もうほとんど嫌がらせでしかないレベルだ。

そんな私に御構い無しに、鮒羽が遠い目をしている。

結局、鮒羽の考えていることや置かれている状況のことを、半端にしか知らない。鮒羽自身があまりに語りたがらないから、情報の八割型は橋下さんから入手せざるを得ない。

「家の決まり、か。 でもいいじゃん、似合ってんだから。」

後ろに回り込んで手当てをし始めた私に、そんなことを言ってくる。

「まぁ、最初不審者と間違えたけど。」

「基準は髪の長さなのか?斬新だな。」

「・・・どうしてそうなるんだよ。お前の存在そのものが明らかに不審だったんだ。」

「それについてきた君の神経がわからない。」

「たまにはベッドで寝たかった。で、自称警察官の顔が割と好みだったのと、あんまりしつこかったから、丁度いいと思って。」

・・・割としょうもない理由であの時、合鍵まで手に入れたのか。ある意味本当に恐ろしいやつだな。

「でもやっぱり、警察の制服着てるとかっこいいな。ちゃんと真っ当に見える。」

「オイ。・・・あれ、着替えてなかったのか。」

「しっかりしろよ。まあ、その格好じゃなかったら?誰かに見られたら完全に犯罪者になってただろうけど。」

「私は何もしてないだろ。まったく、人聞きの悪い。」

やっと全部の処置が終わって鮒羽に向き直ると、以前と同じように、楽しそうにしていた。

「・・・また来なさい。いいね。」

「黒部、それは職権乱用・・・」

「警察官としてじゃなくて、個人的に心配だから言ってるんだ。それから、売られた喧嘩をかたっぱしから買うのはもうやめなさい。今度は私が連行するからな。」

「・・・考えとくよ。」

「それから、学校の友達も、少しは頼るといい。私よりは、いい話し相手になるはずだ。」

「・・・あのさ、割と簡単に地雷付近に踏み込んでくるよな。わかってるからいいけど。それから、残念ながら今俺には友達はいないし、作る気もない。ついでに、今日は泊まってく。」

流れるように宣言し、また勝手に布団に潜り込んでしまった。

「・・・鮒羽、過去のことを気にしても、仕方ないと思うんだが?」

「今どれだけ幸せだろうと、俺がしたことがあいつを傷つけたことも、消えて無くなったりしない。警察ならわかるだろ。」

「あいにく、私は普通の警察と違うから知らない。少なくとも浪花は、お前が不幸になることや孤立することを望むようなやつじゃない。

・・・それくらいのこと、わかっているだろ。罪悪感を人のせいにするな。」

「ほんと、たまに厳しいよな。」

これ以上掛ける言葉も見つからずに、どこかで鳴っている時計の音が気になりだす。静かになったせいで、部屋に今も一人きりでいるような気さえしてくる。

「鮒羽、ゆっくりしていきな。」

それに答えるように寝返りを打つ音が聞こえてきた。

もしこれから、また足が遠のくようなことがあったら、ちゃんとこちらから連絡することにしよう。

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始まりは突然に 八割 四郎 @hakubi77

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