蟻ヲ見ロ!
鯖みそ
蟻ヲ見ロ!
蟻たちは大きな群れをなして、軍隊のように前へ前へと進む。ひどく腐乱した死骸に群がり、噛み砕き、運搬する。
肉と肉が切断される。細長い前肢を器用に動かす。やがて蟻たちは或る方向を互いに示し合わせながら還ってゆく……。巣へと続く、あの暗澹とした穴の奥へと。
地を這いつくばる。その眼球を爛々と輝かせながら。その犇めき合う音は騒がしく、また喜びに満ち溢れていた。大きな獲物を見つけて、笑っているかのように。重油が溶け出していくかのような滑らかさで、行進している。子供たちもしたたかに笑う。やがて引き攣った笑みを浮かべて。
「潰そうよ、あれ」
あどけない幼子の太ももが、小刻みに震えている。湧出する興奮を堪えきれないようであった。性的興奮。殺害における、或る一定の恍惚的な受動。視覚的イメージの受動を、我々が避けられないのと同様に、肛門期の男児は排泄による性的快楽に逆らわない。殺戮による衝動的快楽はむしろ本能に近い。またその視覚的記憶は一過性のものではなく、記憶野から神経を通して何度もイメージを喚起しようとする。男児の胃腸がぐるんと鳴った。少し経ってから、男児は排便したくなった。
「俺はお前らに警告してやってるんだよ」
取り巻き達に、男児は傲慢にそう言い放つ。そして、足元に落ちていた棒切れを拾う。次の瞬間に、男児は蟻の大群の中心にたいして、穴を穿っていた。ぶちぶちと破裂する音。蟻の腹から内臓が引摺り出される。乾いた砂と混ざり合う音。男児は、穴の中央を覗きこむ。動きが消えた瞳。截断されて、ぴくりともしない遺骸。
「それにしても、神様は俺に向かって、こう告げているんたよ」
蟻と接吻しようとするように、男児はこの死体を確かに眼球という部位で、間近で視認した。被膜よりも奥深く、小体が像を写し出す。しばらくして、男児は呟きはじめた。
「蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ蟻ヲ見ロ」
確かに蟻は生きていた。その細い前肢を土に引っ掻け、苦しみに喘いでいた。土を緩慢にかき回し、溺れているようにもがいていた。そして間もなく、棍棒に潰された。跡形もなく、粉々に砕かれた。無惨な遺骸だけを残しながら。蟻は生きていた。
しかし、いまや蟻は殺されたのだ。疑いようもなく。
「お前らもやってみろよ、ほら」
先端の黒ずんだ棒切れを、他の子供に譲渡した。
周囲の子供の顔は青褪めていた。ゆえにその処刑具を握ることに誰もが躊躇していた。
「で、できない」
「いいか、殺すことに価値はないんだよ。重要なのは、そこからこれを見ることなんだ」
「お前、おかしいよ」
「どこがおかしいんだ。この上なく人間らしいだろうが」
「も、もう、ぼく帰るから」
子供の一人は、逃げるようにその場を後にした。後方は振り向かなかった。
どれくらい走ったか分からない、まだあいつは追ってきてるか、追いつかれるか、捕まったら蟻を殺さなくちゃならないのか、気持ちが悪い、なんであんなやつと。吐きそうだ。なんだ見ろって。頭おかしいんじゃないのか。見るわけないだろ、あんなグロい物体なんて。いかれてる。普通じゃない。あいつは普通じゃない。神様だなんてほざいていたが、そんなこと分かりきっこない。あいつの妄想だ。ぜんぶ、ぜんぶあいつの作り話だ。蟻だってきっと死んでいないさ。そうだよ。あんな気味の悪いもの、もう二度とごめんだね
子供は走り疲れたせいか、路傍の石に躓いて、転倒した。短い悲鳴を思わず漏らす。膝が疼く感覚。見ると、赤黒い滴が流れ出していた。
痛みは無かった。暖かい血が流れている。むしろ、それが子供を恐怖させた。確かに、子供は自身の血液を眼球で認識したのであった。
太腿の筋繊維を集約させ、止血を試みる。再び傷口を確認すると、血は既に固まっていた。醜悪で、グロテスクな肉腫であった。激烈な陽射しに照らされ、乾いた血が曝されていた。
気がつくと、生温い汗が猛烈に頬を伝っていた。純粋な熱気が、アスファルトの地面に立ち込めていた。子供は不意に、掌が焼けるような強い感覚に襲われた。掌を持上げると、小さな蟻がへばりついていた。蟻は既に息絶えていた。遺骸は、子供の手汗に驚くほど馴染んでいた。
灼熱の光に酩酊を覚え、子供は立つことができないまま、潰された蟻のようにその場から動けないでいるようだった。
蟻ヲ見ロ! 鯖みそ @koala
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