その4
繁華街を抜けると、少し見覚えのある景色。
ここは……右手に見える公園、昼間に僕がベンチに座っていた場所じゃないか。
後ろを振り返るが、先生の姿は見えない。年齢的に、体力では僕の方に分があるようだ。
少しホッとした途端、朝、乗った地下鉄の駅が見えた。
「きゃっ!」
周りばかりを見すぎて、反対から歩いてきた女性とぶつかりそうになってしまった。
「あ、すいませ……」
頭を下げようとチラッと女性の方を見ると……見覚えのあるスーツ姿、初めて嗅ぐ化粧と香水の匂いが鼻を漂った。
「美奈?」
近くで見ると、別人のようにも見える。しばらく見ない間に、垢抜けたと言うか、大人の女性になっている。
「マッキー?」
昼間の男のことを聞く余裕もなく、僕は美奈の肩を掴んだ。
「ごめん。時間がないんだ、アパートに匿ってくれないか!」
「え?」
「管理人さんがなんか変なんだ、僕らをみんな殺そうとしてるんだ」
「ちょっと、何言ってるの?」
「説明している暇はないから!」
美奈の部屋なら場所を知ってる。が、地下鉄の階段を降り始めた途端、美奈が言った。
「駅、こっちじゃないよ」
美奈は、一つ向こうの交差点を指差した。
「あっちの駅だから」
「引っ越したの?」
僕の質問に彼女はキョトンとした。
「前と、変わってないけど」
前って……なら、こっちの駅のはずだろ。僕を別の男と間違えているのか?
「前って、どう言うことだよ?」
「どうしたの? 本当に」
途端に昼間の男のことが、だんだん腹が立ってきた。
「なんだよ、昼間のあの男は!」
「昼間って、何、見てたの?」
「別れようなんて、言ってないだろ! なんだよ、ちょっと会わないだけで、もう浮気かよ!」
「ちょっと、大声でやめてよ」
行き交う人らが僕らをチラッと見る。美奈が小声で「やめてよ」とうんざりしたような声を出した。
「本当にどうしちゃったのよ? 私たち、二年前に別れたじゃない」
え? 別れた?
突然、何を言ってるんだ? 二年前?
泣きそうな顔をしている美奈は、嘘を言っているように見えなかった。でも、言っていることが支離滅裂だ。二年前って、僕らは二十歳でまだ付き合っていたじゃないか。
「て言うか、ちゃんと就職したの? まだ、あの変な歌手になるか、路上で歌ってるの?」
「歌手?」
それは僕じゃないだろ。て言うか、なんで美奈がロックさんのことを知ってるんだ?
「あと、お母さん心配してたよ。『大輔が実家にほとんど帰ってこない』って」
「なあ、ちょっと待ってくれよ」
「待って欲しいのはこっちよ!」
とりあえず、泣きながら喋り散らす美奈を止めた。これ以上、話されたら、僕の頭の整理が追いつかず、目が回りそうだった。
「まず、二年前に別れたって……二年前って二十歳だろ? 僕ら、一緒に成人式で地元にも帰ったよな? 美奈も少し落ち着けよ」
「え……」
その瞬間、美奈の顔から感情が消えて言った。
「何言ってるの? 私たち、もう26だよ」
え?
「牧原さん!」
そこに、先生が息を切らしながら走ってきた。
まずいと思った僕は、踵を返し、地下鉄の階段を降りようとすると、
「あ、逃げないでください!」
そう言った先生は、前と違い、穏やかな声をしていた。息も絶え絶えに僕の腕を掴んだその力は、とてもロックさんを殺せるようには思えなかった。
「一度、診療所に戻って、それから話をしましょう」
「診療所?」
先生は、美奈にも「一緒に来ていただけますか?」と頭を下げ、僕らは先生の診療所に戻った。
先生は弁護士ではなく、精神科医であった。
僕は薬を飲まされ、ベッドの上に寝かされながら、先生と美奈の話に耳を傾けていた。
「多重人格ですか?」
先生は事情を説明していく。
牧原大輔の頭の中には本人も含め、四人の人格が存在していた。
本当の人格とは、管理人さん、26歳。歌手になる夢を諦め、現在は営業として働いている。
他のロックさん、僕、大輔くんは、彼の頭の中にいた別の人格。その原因は、美奈との失恋。
「彼は就職活動に失敗し、あなたと別れましたが、どうもアナタのことを忘れられず心に三人の別の人格を持っていました。その人格になりきることで、あなたへの寂しさを紛らわせていたんです」
一緒に上京してきた、まだ付き合いたてだった時の自分。
あなたとの距離が開き始めた頃の自分。
そして、あなたと別れた時の自分。
大輔くん、ロックさん、そうか、真ん中の自分が僕……マッキー。だからロックさんの歌を聴くと、美奈のことを思い出してしまったんだ。
「彼にとっては、一番思い出深い三人。でも、彼も社会人になり、いつまでも引きずってはいられないと、私のところへやってきました。
それで、私は催眠療法で、彼ら三人と一人づつ、話をして、現実を受け入れされていったんです」
そうか、殺されたんじゃなくて、大輔くんもロックさんも、自分の意志で死んでいったのか……。
「そこで寝ている彼が、一番の難敵でした。就職活動に失敗して、あなたとの距離が開き始める直前の彼……ちょうど大学四年生の頃ですか。本人も一番、懐かしんでいたんだと思います」
僕の頭に管理人さんの顔が浮かんだ。
「もう、お前たちと一緒に居たくないんだ、俺は!」
管理人さんは、前に進もうとしていたのか……
「さて、薬が効いてきたようですね」
そういって、先生が僕の顔に手を当てた。次第に気持ちよくなり、僕の意識は遠のいていった。
さよなら、美奈。
翌日。牧原大輔は何事もなかったように自宅のアパートから会社へ向かった。玄関の鍵を閉め、表通りを歩くと、美奈の姿があった。
「ちょっと心配で」
牧原は何を言うべきか、気まずい中、二人はしばらく無言でいた。
「私、結婚することになった」
美奈の一言に、牧原は笑顔を作った。
そうか……
昨日の昼間の人だろう。あの時、悔しいくらい美奈はいい顔をしていた。
「じゃあ、行くね」
美奈は踵を返し、彼とは反対の駅の方へ向かって歩き出した。
「あ、美奈」
牧原が初めて喋った言葉に美奈は振り返って、心配そうな表情を浮かべていた。
「おめでと」
「うん」
美奈は不安を破るようにニコッと笑い、駅に向かった。。
牧原も、彼女に背を向けて、いつもの駅へ、一人歩き出した。
シェアハウス殺人事件 ポテろんぐ @gahatan
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