第2話 作戦開始!

「ね、眠い……」


学内のエントランスで3本目の栄養ドリンクを飲み干す。

引っ越しやらなんやらがあったから、ここ最近まともに講義に出れてなかったから分気合い入れてやるぞ!と思った矢先のこの体たらく。

おかげで講義内容は1割もインプットされていない。ただただ睡魔と戦うだけの時間と化していた。

一つ補足しておくと、これは俺の管理力の問題ではない。飲み会帰りでアルコールも多少入っていたとしても、俺はいつも通りきちんと身支度をして布団に入った。寝付きはかなり良い方なので10秒もあればそれでぐっすりといくのだが、昨日はまさかのオプションが一つ。リョウコさんが事ある毎に俺の布団に入り込んで来たということ。

とにかく添い寝をしたがる。俺としては、幽霊だし女の子だしベット狭いしで丁重にお断りしたのだが、寝返りをうつ度にそこにリョウコさんがいた。

苦言を呈する・リョウコさん離脱・寝る・寝返りをうつ・リョウコさんいる。を計5回繰り返し、横で寝るくらいもういいっか……と添い寝については俺の方が折れてしまった。

「そのうち慣れるだろ」

と高を括ったのが俺の計算外。それ以降俺は一睡も出来なかった。

なぜかって?それはね。リョウコさんは眠らないからだよ。幽霊だから睡眠という概念が必要ないみたいなんですねぇ。なので、リョウコさんは横にいる間ずっと目を開いています。

そんなの気にしなきゃええやん。とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、『幽霊の視線』というものを甘く見ちゃいけない。あれは無条件でだ。俺ががっつり目を瞑ろうが体を背けようがどう足掻いても感じてしまうその視線。一応リョウコさんにも目を瞑ってもらうようお願いはしてみたけど、目を瞑るという行為が必要なかった50年の壁は厚く、リョウコさんは気付けば勝手に見開いてしまっていた。

リョウコさん自体はあんなんだけど、幽霊の眼力はさすがのものだった。


ちなみにこのリョウコという名前は俺が付けさせてもらった。

本人に名前を聞いたが、生前の記憶はもう無いらしく名前も思い出せなかった。本人からの要望もあり俺に命名という白羽の矢が立ったが、生憎RPGの主人公の名前すら友人らに強いバッシングを受けた経験を持つ俺じゃまともなネーミングセンスなんか備わっていない。

そんなんで、安直に『霊子』でリョウコと呼ばせてもらう事に。それも最初はレイコと呼ぼうとしたが、あまりにも安直過ぎて「それはさすがに……」と異議を申し立てられた。頼まれたからやったのに。

そのネーミングセンスの無さに悲観したのも、眠れなかった要因の一つかもしれない……。


「4本目……いくか」

「いくか、じゃないよ」


顔の横から伸びて来た手に栄養ドリンクを奪われた。振り返ると、夏菜かなが呆れ顔をしてそこに立っていた。


「秋くん寝不足?」

「なぜ分かった……!?」

「さっきの講義、眠気と戦ってヘッドバンキングしてたよ。これだけドリンク物的証拠も揃ってるし」

「参ったな。名探偵だな」

「だとしたら犯行が杜撰だよね」


溜め息をつきながら隣に座る夏菜。流れるように自然と空になったドリンクの瓶を片付けていく。さすがの手際だ。


「ごはんは?」

「今ので兼ねてましたね」

「栄養ドリンクは主食じゃありません。ほら、学食いこ」

「あー。今節約中なので財布の紐は固結びなんだ」

「もうー」


溜め息に次ぐ溜め息が夏菜さんから吹き出る。そんなに出したら幸せが全力疾走で逃げて行ってしまうぞ。

とは溜め息をつかせている帳本人が言っていいセリフじゃないな。


「ほら。多めに作ってあるから食べていいよ」

「なぜに多めに?」

「こんなこともあろうかと思ってね」

「なんというマネジメント力だ」

「いつからの付き合いだと思ってるのさ。ほらお食べ」

「俺はペットか。いや有り難く頂きますけどもね」


夏菜から受け取った重箱の蓋を開けると、それぞれ形が違うおにぎりがぎっしりと並べられてた。


「右の三角おにぎりは鮭と梅干しと塩昆布ね。真ん中の俵は玄米と五穀米。左は酢飯と雑穀米の稲荷だから。あ、下はおかずね」


多めにと前置きはあったけど、「多めに」と言うには作り込みが半端ない。さすが夏菜さんッス。


夏菜とはもう20年来の付き合い。いわゆる幼馴染というやつだ。家が隣同士で家族ぐるみで面識がある。小・中までは同じで、高校は別になったものの大学でまた顔を突き合わせた。

幼馴染というフィルターがあるせいか俺は特に意識してなかったんだけど、夏菜はヒエアルキー的にはかなりの上層域を渡って来たようだ。

整った顔立ちに遊びの無い綺麗な黒髪。背は小柄な部類に入るもののスラリとした体形が非の打ち所がないと友人調べでは出ているらしい。高校は女子高だったけど、そこでもかなりおモテになられたそうで、落ち着いた気配りの出来るクールビューティーという格付けでで黄色い声が途切れなかったそうだ。これも友人調べ。

正直必要ない情報ではあるんだけれども、友人が問答無用で語って来るんだから仕方がない。そんな事ばかり調べている突飛な友達のことはここでは一旦置いておこう。

とにもかくにも、ここにいるクールビューティーは男女問わず人気が高いお方という事になるのだが俺にはどうもピンと来ない。特にクールビューティーのとこが。

これは抜きん出た幼馴染へのひがみではないよ?だって、よく考えてほしい。大学に他人用の弁当(重箱)を用意してくるだけに留まらず、醤油からまさかのチリソースまで和洋中一式の調味料を椅子に並べている女をクールビューティーと呼べるだろうか?少なくともクール感はない。いやビューティー感もないな。


「秋くん。飲み物はお茶でいい?ミネラルウォーターとコーヒーもあるよ」


3つのタンブラーと紙コップまで用意されている。

これが通常運転。みんなのクールビューティー道坂夏菜さんはハードな世話焼き体質なのです。

本人に自覚はないみたいだから周りに露見していてもおかしくないはずなんだけど、未だにそれが『気遣いレベル』で止まっているって事は相当みんなが夏菜を美化しているんじゃないかと思う。


「あ。あと秋くん講義聞いてないと思ったから、ついでにノートも取っておいたよ」

「お、おぉ」


綺麗にまとめられたノートを手渡される。しかもワンポイントアドバイス付き。

もちろん講義は聞きたかったから有り難いのは有り難いんだけど、夏菜のこの世話焼きはいつも度を超え過ぎていてされる側がいたたまれなくなる。需要1の供給9だから釣り合いが全く取れない。需要10のヒモ男でようやくトントンだと思うから、夏菜の行き着く先はヒモ男製造機かもしれないと危惧しております。


「うっぷ。はい、ごちそうさま……」

「お粗末様でした。食後のプリンいる?」

「いや大丈夫」

「そう。で?結局なんでそんなに寝不足だったの?」

「あーいやー、なんというか……引っ越しで疲れちゃってな」

「急だったもんね。言ってくれれば手伝ったのに」

「いやいや。そこまではお願い出来んよ」


引っ越しで疲れてなんてベタな言い訳したけど、それはそれであながち間違ってないからセーフだろ。経験上、お手伝いになんて来られた日には、下手したらリフォームまでされかねない。夏菜ならあり得るんだから怖い。

それに。リョウコさんの件もあると余計に来られても困るし。絶対に面倒くさい事になる予感しかしないから、リョウコさんについてはなるべく悟られないようにしないとな。


「秋くん、何か隠してる?」

「え?いや。何も?」

「ふーん。そっか」

「うん。そうです」


なんか意味深な相槌を打たれたが、そこは平常心を保って注がれた熱々ホットのコーヒーを一気飲みした。






一日の講義も終え、その途中で薬局にも寄って家路へ。

コーヒー一気飲みのおかげで眠気は吹っ飛んだ。喉に貼った冷えピタが心地よい、事にしとこうと思う。

ホントは胃もたれもあるから胃薬も飲みたいとこだけど、今は液剤ですら喉を通らないから今後の常備薬って事になるかなこれ。

食後からずっと夏菜はピッタリと俺と行動を共にしてきて、「何かあるんじゃないのかな?」って目でずっと凝視され続けた結果、講義はまたもや1割もインプットされていない。

あれ?俺って今日何しに行ったんだろ……?いやいや!1割も入ってれば上々だな!積み重ねが大事ってね。

そう言い聞かせながらアパートに到着。


バアァァァァァン!!!


今日も今日とてけたたましくドアが開く。

怒号が飛ぶ前にダッシュで部屋の中へ。なんやかんや小慣れてしまった自分もどうかなって思う。それでもまだこの部屋に住み続けようと思うのは、早期退去による違約金への怯えと、家計のメシアと言うべき格安料金であるからに他ならない。

自分でも世知辛いと思うけど、お金が選択肢の理由になるのは大学生の生活力じゃ仕方がない事だと思うのだ。

例え幽霊(悪霊)に言い寄られるハメになったとしても。


「あ。おかえりなさい」


ごちゃごちゃと考え事をしながら居間のドアを開けると、落ち着きのある穏やかな声に出迎えられる。


「久しぶりの大学で疲れたでしょ?待ってて。今コーヒー淹れるね」


ふわっとしたスカートをなびかせキッチンに向かう女性。しばらくすると香ばしいコーヒーの匂いがしてくる。


「はい。どうぞ」


テーブルにカップを置いてニコリと微笑むその女性と顔を合わせて、そこでハッとする。


「どなた!?」


ビックリして体が少し後ろに仰け反る。


「どなたも何も。リョウコだよ?」

「いやいやいやいや」


温和な表情で小首を傾げる女性。

いやいや。俺の知ってるリョウコさんは、振り乱れた髪で顔を覆っている白装束を着こなした女性ですよ?今目の前にいらっしゃるあなたは、綺麗にスタイリングされたゆるふわパーマでこれまたゆるふわコーデを着こなしたお姉さんじゃないですか。

どこをどう見ても同一人物なわけない。


「ふふふ。そんなに顔を見つめたら恥ずかしいよ」


同一人物なわけない……って、顔は完全にリョウコさんなんだよなぁー!

口調も変わってるけど、声も完全にリョウコさんなんだよねぇー!

脳の認証処理に不具合が起きております。


「え?ホントにリョウコさん?」

「そうだよ」

「なんでいきなりそんな風になったの?」

「そんな風?」

「いやだから。急に大人びてるじゃないですか」

「何言ってるのー。初めから私はこうだったよー」

「いや違うよね!?」


なーにお茶目なこと言っちゃって、という風に手を口に添えてクスクスと笑うリョウコさん。

え?どういうこと?俺は何もご冗談は申してないんだけど?とにもかくにも急なモデルチェンジのリョウコさんにほぼ戸惑いしかない。


「どういうことなんだ……」

「どうもこうも。私は私でしょ?」


俺の隣に座り直してまたもニコリと微笑む。どうもこうもあるし、私が私じゃないから戸惑いが助長する。

ホント一体なんなんだ!?


「ふふふ」

「な、なにジッと見てんの?」

「ん?この角度もいいなーと思って」


ほんのりと上目遣いで細やかに微笑まれる。不用意にも一瞬ドキッとしてしまった。姿も格好も仕草も雰囲気までも昨日とまるっきし違う。なんというか、ビフォー幽霊感とのそのギャップが俺の感覚を狂わしている気がする。

そしてさらに醸し出される謎の親近感。これがさっきから妙に引っ掛かる。ムズムズするというか、ぞわぞわするというか。どことなく感情のコントロールに異変を感じている。


「あれ?それどうしたの?」

「それ?」

「その喉。何か貼ってあるね」

「あぁ。これはちょっと火傷したから気持ち程度の措置で」

「火傷?どれどれ?」

「!?」


触れられた首筋がぞわりとする。不意の冷たさは冷えピタのそれではない。リョウコさんの指先から伝わって来るものだ。

そのままゆっくりと首元をさする手はさらに冷たい。摩擦でも熱は生まれないその冷たさに、自ずと体がピクリと反応してしまう。


「どう?気持ちいい?」


あれ?なんだろう?冷たくてぞわぞわするその中に混じって違うのがある気がする。これは、バクバク?いや、ドキドキ?

マズイ。これはマズイ。急な年上女性へと変貌を遂げたそのギャップとこの単純な接触行為で、俺はリビドーを揺り動かされている……!

これはまさか……!


「んー?どうしたのかなー?」


目が合うと意味深に微笑むリョウコさん。

これは狙っている!!俺を揺さぶって堕としに来ている!!間違いない!!

だとすればこの様変わりもうなずける。くそ!まんまと土俵に引きずり込まれてしまったのか!

なぜリョウコさんがこのチョイスをしたか分からんが、大人なお姉さんアタック……悪くないです。


「あれ?大丈夫?なんだか熱いよ?火傷がヒドイのかな?」

「そうですかね……」


分かっているだろうに。あくまでも優しくさすり続けるリョウコさん。まるで年上の圧倒的な包容力を味合わせてくるかのようだ。

そして、未だ俺の心を掴んで離さないあの親近感もが理性を溶かしにかかる。なぜこんなにも気持ちが揺れ動かされるんだ!?


「ねぇ。もし他にしてほしい事があったら言ってね?私、なんでもしちゃうよ?」


耳に息を吹き掛けられながら囁かれる。

マウントポジションから連打。これはいつタオルを投げ込まれてもおかしくない!そんな俺の中のセコンドが首にかけたタオルに手を伸ばそうとしたその瞬間、極限状態の俺は何を思ったのか、視界に入った湯気がゆらゆらと揺れているコーヒーをそのまま一気に飲み干した。


「あっつあ!!!」


反射的に体が跳ねて、そのまま後ろのラックと衝突する。


ガタガタガタ!ドンッ!

「ぐへ!?」


その拍子で俺の頭に何かが落ちて来る。そこそこの重みのせいで軽く首をやりそうになったが、ひとまずは大丈夫だったのでその落下物を手に取って確認をする。


「これは……ん?これは!?」


思わず声が上ずる。

それは押し入れにしまってあるはずだった、俺のDVDが収納されている段ボールだった。

そして、そこで俺は衝撃の事実に気付く。


「『お姉さんと秘密の同居生活』……」


そのタイトルと、パッケージの女優さんの姿を見てリョウコさんに目を向ける。


「……これ、見たんですか?」


リョウコさんはわざとらしく舌を出してコツンと拳を頭に乗せる。


「君の好きなものを探してたらそれがあって、つい」

「のおぉぉぉぉぉぉぉ!!!こういうのは物色したらダメでしょ!?自分にとってはバイブルだけど、他からしたらこれはインデックスなんだよぉぉぉぉぉ!!!」


地に平伏すように雄叫びを上げる俺。文字通り恥部を見られたみたいでいたたまれない。


「えぇー。でもいい線いってなかった?頑張って念動力で服も髪型だって変えたんだよ?」

「……くそ!なぜ気付かなかった!ずっと感じてたあれは親近感じゃなくて既視感か……!」


パッケージでポーズする女優さんと全く同じの服装と髪型。そう言えば、シチュエーションとかセリフ回しでもそういうのがあった気がする。

ホント、なぜ気付かない俺!いや気付いたとしてもめっさ恥ずかしいんだけどね!?


「でもバレちゃったらもうこれはダメかなぁ。よし。また違うのでチャレンジするから、次こそ絶対に堕として君をものにするからね!」


2度目の熱々コーヒーのせいで体が熱いのか、羞恥心クリティカルヒットで体が熱いのかもう分からないけど、リョウコさんのフラグめいた捨て台詞に億劫さを感じつつも、とりあえず俺はありったけの冷えピタを体に貼る事にしたのだった。

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