第4話 幼馴染と幽霊

「じゃあ、帰るわ」

「おう……。気を付けてかえれよぉ……」

「な、なんで秋人はそんなヘロヘロなん?」

「まぁ色々とね……」

「もしかして、俺が来たせいで眠れなかったとか?」

「いや。慎一が来ても来なくても、多分眠れなかっただろうから気にすんな」

「そ、そうなん?それはそれで心配なんだけど……。今日大学は?」

「うーん……さすがに休もうかな」

「そっか。俺が言うのもなんだけど、ゆっくり休んでくれ」

「そうするわ」


何とも言えない表情を浮かべる慎一を見送り、俺はデッドマンウォーキング状態でベッドに向かう。

今にして思うと、俺がまともに寝れたのって初日くらいしかないかもしれない。でもそれも深夜に起こされてはいるんだけど。


「うーん……頭痛い……」


完全に二日酔いのテンションでリョウコさんが廊下をほふく前進している。その体を引きずる姿はある意味今までで一番幽霊らしいかもしれない。

片や眠気。片や酔い。全く生気の感じられない朝だ。


「……リョウコさん。そこどいてくれないとベッドに行けない」

「……介抱してほしい」

「……無理です」

「こんなになるまで私を酔わせたのは君なのに……」

「そんな酒を強要したみたいに言わんで。幽霊の酔い方とか知らないから」

「介抱してぇぇぇ」

「うおぉ!?」


ほふくのまま、2倍速にしたようなスピードで近付いて来て俺の足首を掴んでくるリョウコさん。

こんな時にそんな幽霊感は出さないでほしい!結構ビビるから!


「立てないよぉぉぉ」

「うわわ!俺の体を這おうとしないで!!」


ある意味ではこれが素に近いのかもしれんけど、俺を堕とすためにあれだけ好感度アップを狙ってた人の取る行動じゃない。ギャップ差が激し過ぎるって。

しかも、這おうとしてズボンを引っ張るもんだから必然的に脱げそうになる。このままポロリでおはようございますってか?やかましいわ!!

寝不足による無駄なハイ状態で一層疲れが助長したその時に着信が入る。脱がされそうになるズボンを押さえながらポケットからスマホを取り出すと、液晶には『夏菜』の文字が表示されていた。

出ようか出まいか一瞬悩むも、夏菜ならスヌーズ機能のように分刻みでかけ直してくるのが予測出来た為、諦めてこんな状況のまま通話ボタンをタップした。


『おはよう秋くん』

「おはよう。どうかした?」

『秋くん、最近すごく眠そうだったからモーニングコールしてあげようと思って』

「モーニングコール?」

『そう。モーニングコール』

「そんなとこまで気を遣わんでもいいのに」

『何言ってるの秋くん。これは幼馴染の嗜みだよ』

「そ、そうかなぁ……?」

『それはそうと秋くん。全然寝てないでしょ?』

「え?いや、寝たよ?もうほら元気元気」

『いや。疲労困憊と睡眠不足の声をしてる』


いや、なんで声だけでそれが分かるんだよ。心配かけまいとしたのに、相変わらず恐ろしいほどに察してくるな夏菜は。


「まぁそうと言われればそうなんだけど、夏菜がそこまで心配することじゃないからさ」

「か~い~ほ~う~し~て~」

『今の声って……?』

「え!?テレビの音じゃないかな!」

『ふーん。前にも聞いたけど秋くん。私に隠し事してない?』


声に圧力を感じる。これは俺が隠し事をしていると確信を持って聞いて来ている。

これはマズイ。言い訳でも何でも、力ずくになってもいいからここは押しきらないといけない。


「ないない。隠し事なんて全然ないよ」

『ホント?』

「おうともさ」

『そ。じゃあドア開けてもらってもいい?』

「え?ドア?どこの?」

『玄関』

「はい……?」

『今秋くんの部屋の前にいるから』


一旦リョウコさんを引き剥がし恐る恐るドアスコープを覗くと、スコープ越しでスマホを片手に持つ夏菜と目が合った。


『テレビ見てるって事は家にいるもんね?ほら秋くん。開けて』


墓穴を掘った……。いや、そもそもこんな突撃訪問なんか予期出来るかい!慎一の事といい、俺の知らぬところで突撃が大学でブームなの?

もう居留守も使えないしどうするよ……。正直、こんなコンディションのリョウコさんと夏菜を引き合わせたくはない。男の慎一にさえ敵意を剥き出しにしたのに、ここで夏菜と顔を合わせればどうなるか……考えるだけで怖い。

身の安全を考えると、ここは無理言ってでも夏菜には帰ってもらった方がいい。うん。そうしよう。


ガチャン


「え?」


俺の中で結論が導き出されたその時、なぜか勝手に解錠されてドアが開く。


『「おはよう秋くん」』

「えぇぇーーー!?」


地声と電話越しの声が重なった夏菜が朝日をバックにニッコリと笑う。


「なんで開いたの!?」

「なんでって、これで開けただけだよ?」


そう言う夏菜の指には鍵が一つぶら下げられていた。


「鍵……?この部屋の?いやなんでそんなのを夏菜が持ってんだよ!?」

「大家さんに色々事情を説明したら貸してくれたよ」

「へー大家さんが……管理ガバガバ過ぎない?」


まさかのマスターキー。どう事情を説明したか知らないけど、そう簡単に他人に鍵を渡しちゃいけないと思うのは俺だけなのでしょうか?


「やっぱり酷い顔だね秋くん」


溜め息混じりに俺の顔を覗き込む夏菜。行動はあれだけど、真面目に俺の心配はしてくれてるみたいだ。ただ、今ここで脈を測る必要なはいと思う。お前はホームヘルパーか何か?


「し、心配のし過ぎだって。今日は大学休むけどちゃんと体調は戻すし!だから心配ご無用!」

「バイタルの乱れは心の乱れ。心の乱れはバイタルの乱れだよ」

「なにその聞き慣れない格言みたいなの……」

「血圧も測ろっか」

「だから大丈夫だって……ひょわ!?」


あられもない声が出る。見るとリョウコさんがまた俺の足首を掴んで寝そべっていた。


「秋くん。それは……」

「え!?いや、えっと」

「……ダレ?」

「はっ!」

「ソノオンナハ……ダレ……?」

「ちょ、ちょっとリョウコさん!?」

「ジャマモノ……?アァ、ジャマモノ……!?」


のっそりと立ち上がると、前傾姿勢のまま髪を垂れ流して腕をぷらんとさせる。その姿のリョウコさんから幽霊としての不気味さがハッキリと肌に伝わって来る。

そして、それを形にでもしたかのように、リョウコさんの体から慎一の時に見たあの黒い靄が浮き出し始める。


「邪魔者は……呪うべき……」


脅しではない。完全に実力行使をするつもりなのが分かる。リョウコさんは夏菜を呪い殺そうとしている。

状況が飲み込めてないのか、夏菜は表情を崩さずリョウコさんの方をジッと見据えている。

俺が思い描いてしまった最悪の状況。それが現実になって今まさに起きようとしていた。


「ちょ、ちょい待ってリョウコさん……!!」

「死んで!!!」


俺の制止にも応じず、無慈悲にも黒い靄が夏菜に襲い掛かる。

もうダメだ。と思ったその瞬間だった。


バチン!!!


何かが弾け飛ぶような音が室内に響き渡る。


「え?」


よく見ると、襲い掛かった黒い靄が夏菜に届くその前で霧散していた。

もしかして、ただの牽制……?

そう思ってリョウコさんを見るも、当の本人も目を見開いて驚いているようだった。


「幽霊がいるって本当だったんだ」

「え!?どうしてそれを?」

「秋くんが隠し事を教えてくれないからちょっと調べてみたの。最近で変わった事と言えば引っ越しだし、ちょっと前に不動産屋を問いただ……問い合わせてみたら訳アリ物件って教えてもらえてね」

「今、問いただすって言おうとしてなかった……?」

「半信半疑だったけど秋くんの電話もなんかノイズが混じってたし、来て正解だったかな」


淡々と事情を語る夏菜がリョウコさんに鋭く視線を送る。


「秋くんに危害を加える輩は幽霊だろうと許さない」

「危害なんて加えてない!お前には本気の呪いぶつけたのになんで平気!?」

「そんなの準備してきたからに決まってるでしょ」


徐に袖をまくる夏菜の腕を見てギョッとする。

夏菜の両腕にはブレスレット型の青い数珠が等間隔でみっちりと着けられていた。


「か、夏菜さん。それは一体……?」

「退魔の力がある数珠ブレスレット。これの他にも日帰りで恐山に行って除霊道具を一式買え揃えてきたから安心して」

「わざわざ恐山に!?しかも日帰りで!?」

「備えあれば患いなしだよ」

「さすがに備え過ぎじゃない!?」


目を落とした夏菜のバックの中身が、異様にパンパンなのを見て至極シンプルに驚嘆する。


「幼馴染だったらこれくらい当然だよ?」

「それは世の幼馴染さんは賛同できない定義だと思うんだけど!?」

「とにかく。秋くんを誑かす悪霊なんて一網打尽にしてやるんだから」

「ナニをーーーーーー!!」

「食らいなさい。恐山の『清め塩』を!」


鬼に豆でもぶつけるかのように、鷲掴んだ塩をリョウコさん目がけて投げつける夏菜。それは見事にリョウコさんの顔面にクリティカルヒットする。


「あっぷ!!??」


飛散した塩が俺の口の中にも入って来る。予想以上に苦味の効いた塩だったが、それを顔面に食らったリョウコさんは両手で顔を覆ってプルプルと震えている。


「恐山の味はどうかしら?」

「い、痛いぃ……染みるぅ……」


恐山のパワーの是非は分からないけど、顔面に塩ぶつけられたらそりゃそうだというリアクションになってる。


「えい」

「うっ!」

「えい」

「うぐ!」

「えい」

「うげ!」


塩を掴んでは投げてを反復する夏菜。それを至近距離でぶつけられているリョウコさんから呻き声漏れ出る。


「いや!てか、どんだけ塩持って来てんの!?」

「何言ってるの秋くん。ちゃんと買い占めて来たに決まってるでしょ」

「買い占めて来たの!?このためだけに!?」

「幼馴染のピンチだよ?それくらい当然だよ」

「う、うーん……金も結構かかってるだろそれ?」

「大したことないよ」

「いくらくらい?」

「500gで1万円」

「500gで1万円!?いや大したことあり過ぎだろ!?」


目の玉が飛び出るかと思った。もうすでにゲレンデかってくらい廊下に塩が積もってるんだぞ?これ絶対キロ単位はあると思う。つまり、夏菜はこの塩に何人もの諭吉先生を使ったって事だ。

……衝撃で立ち眩みそうだ。


「まだまだあるから任せて」

「ちょっと待ってくれ……!これ以上ここを塩ゲレンデにされても困るし、それに一方的過ぎてリョウコさんがちょっと可哀想だ!」

「可哀想……?幽霊が……?何を言っているの秋くん?」

「確かにリョウコさんは幽霊なんだけど、実害はないっていうか、いやちょっとあるか……。でも思ってるほど悪いってわけでもなくて……多少質の悪い時もあるんだけど……」

「秋くん。その幽霊を庇おうとしてる?」

「庇うっていうか、そんな目の敵にしなくてもいいんじゃないかなって……」


威圧が半端ない夏菜の目をまともに見れない。射殺される。もしかしたら、今この場で恐ろしいのは幽霊のリョウコでは全然なくて夏菜かもしれない……。

出来ればこれ以上逆撫ではしたくない。


「助けてダーリン……!!」

「ダーリン……?」

「!?」


予想だにせずリョウコさんが俺に飛び付いて来る。そして完全に空気を無視した「ダーリン」という単語。もう夏菜の目が殺し屋みたいになっている。


「……どういうこと秋くん?」

「ダ、ダージリンって言ったんじゃないかな……?」

「抱き付いてるけど?」

「余程飲みたいのかもねぇ~……」

「秋くん。それが通ずるとも?」

「はい。ごめんなさい」


もう条件反射で謝罪が出るくらい夏菜の威圧感は増している。これは修羅場と言っていいのでしょうか……?


「不動産の人は言ってたよ。ここのは悪霊だって。何人もの人が危ない目に遭って来たって。リョウコそれは危険な存在でしょ?」

「はい……」

「じゃあ離れて」

「リョウコさん一旦離れて……イダダダダダダッ!?」


急に万力のように俺の体を締め上げるリョウコさん。ほんのりと骨の軋む音が聞こえる。


「リョ、リョウコさん!?」

「……嫌だ。離れるの嫌」

「それにしたって力がちょっと、イダダダダダダッ!」

「ほら!やっぱり本性を現した!この!離れて!!」


夏菜も引き剥がそうとするが、お構いなしに締め上げて行くリョウコさんの腕。増していく痛みはちょっと洒落にならない。


「リョウコさん……!マジ死んじゃう……!!」

「……あ」


我に返ったように急激に力が緩まる。俺が一息吐けたのを見て、夏菜が鬼気迫った顔でリョウコさんを加減なく突き飛ばした。


「……秋くん。分かったでしょ?これが本性だよ。このままじゃ秋くんが殺されちゃう。私の家に居ていいからここから出て!」

「ちが……わたしは……」

「秋くん!!!」


手を伸ばして縋り寄ろうとするリョウコさんを見て語気を荒げた夏菜が俺の腕を目一杯引っ張る。

俺はその手をどうしていいかも分からず、引かれるまま部屋を出て行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る